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『何者か』になりたい人へ、届け

スーパーヒーローってかっこいいですよね!

あなたは、
「こんな人になりたい」とか、
「何者かになりたい」と思ったことはありますか?



僕らは小さい頃、アニメを観ながら育ってきた。
背負う日本や世界を守り、国民に大歓声をあげられながら、正義感を掲げ戦うセーラームーンやウルトラマンのような主人公はかっこいい。

テレビの芸能人や有名人、SNSのフォロワーをたくさん抱えている人をみると、慕われている姿は輝いて見えるし、時に憧れを抱く。


一般社団法人経団連の中西宏明会長やトヨタの豊田昭夫社長が、会社あるいは組織が、個人を守り続ける時代ではなくなりつつあると語っている。

つまり、個人の時代がきているのだ。

そういった風潮の中、
「早く名を売らねば!」「たくさんのフォロワーを付けなきゃ!」「人脈を作らなきゃ!」「すごい肩書きをつくらねば!」といったように焦る人が増えてきているようにも感じる。

それがモチベーションになり、がんばってみるということはとても素敵なことのように思う。

しかし、目指した山はずっと高く、煽動や将来への焦りのみで登り続けるのだとしたら、その輝かしい山の頂上にいくのはかなりハードルが高い。
結果、挫折し、自分なんて才能なくあんな山の上にいる人たちのようにはなれないといったこっち肯定感が下がってしまう始末。
絶望するだけで終わってしまうことも多くはないのだろう。

しかし、多くの人が、健全で、かつ自分の役割に誇りを持ち、そんな個人で生きる時代の中で、生きていくためには、どうしたらいいのか。
1人でも社会とどう繋がり、僕たちは生きていけるのか。


『役立つ』よりも、『意味がある』時代。


例えば物選び。
今の冷蔵庫は昔の冷蔵庫と比べて、かなりモノがいい。
電気代も抑えられ、ドアの開く向きも左右両方から開けられるし、チルド保存もできる。
当初の初任給12ヶ月分だった値段も、今ではもっともっと機能的に優れる冷蔵庫がジモティーで500円で売られることもある。

このように昔は、悪いものよりもっといいものを作った。

だが、この時代、みなが先端の技術を駆使でき、
それぞれのメーカーがこれでもかといいものを作り続けた結果、
ひたすらに安く売られている。

ハイレベルのものを作っているのにも関わらず、
役立つ製品は、いずれ安売り競争という戦場に舞台が移される。

モノだけではなく人材もそうだ。
アメリカのコールセンターの人材も、今ではインドやフィリピンなどのアジア系に変わってきている。それぞれの国で、大学を卒業し、質の高い英語で話せる人々をアメリカの相場の時給の半分で雇うことができる。

役立つということ自体が、さほど意味がなくなってきている時代なのだ。

ともなれば我々が目指すのは、
他の誰かが、型にはめてできるようになるものや優秀さではなく、
ぜひあなたならば仕事を頼みたい」と言われるような、
身近な誰かにとっては、意味のある存在なのではないか?

僕らは油断すると、様々な媒体を通して、階段の上を見上げ、まず社会的に有名な人、訴求力の高い何者かになりたいというふうに、気持ちが先走ってしまう。

しかし、10段100段飛ばしてそんな人になることはできない。

今からできることは、SNSのプロフィール欄や周囲の人にアピールする最良の内容を考えることではなく、近くの誰かにとって意味のある存在になることの積み重ねではないだろうか?

そもそも何者かっていうのは、あなたが決めるものじゃなくて、周りが勝手に読んでいくものだ。

自分でヒーローと呼称するヒーローなどいない。
周りが認め、周りに呼ばれる中で、自然とそう何者かになっていく。


何者かになるために、できること。それは、小さなありがとうを積み重ねること。


例えば、漫画やアニメで有名になったウシジマくんにでてくるんニートのコセちんは、家で寝ているだけ。家に来訪したソーシャルワーカーに「あなた方が存在できるのは誰のおかげですかー?」「無駄に頑張ってこれ以上体調崩させる気ですか」「あなた方が存在できるのは誰のおかげですか」などのたまい困らせていた。
しかし、あるひょんなことからネットでおばあちゃん達を相手にパソコン教室をすることになった。
それならば、自分は誰かのためにできると、
おばあちゃんにパソコンの基本操作を教えてあげて、おばあちゃん達からとても喜ばれる。
たくさんのありがとうをもらって、ここならば、自分は活躍できると、居場所を見出す。
最終的には、相談員の方にも自立を宣言して、番組は終わる。

僕らの商売は基本的には、物々交換。相手のないものを互いに交換しあう。


まずはできることっていうのは、自分にあるものを全力で提供してみることではないだろうか。


たくさんの人に対してではなくても、名声がつくものでもないかもしれないけど、できることっていうのは自分にあって、あるものを提供することになる。
昔、山の民は、果物や野菜を海の民に、海の民は、魚や海草などを山の民に、必要としている人に届けていた。
僕らの日々の経験や学びも同じように、
誰のためにだったら、ありがとうって言ってもらえるかなっていう様に考えて、自分のアクションするメッセージを届ける。

もしかしたら相手が必要とされてないものもあるかもしれないけど、必要とされてるものだったら、相手からありがとうって言うことももらえる。
ありがとうっていう言葉がもらえたら、自分がどういうもんだったら他の人に役立てていけるのかっていうのがわかってくる。

今からできるアクションを目の前にして、どう幸せにできると考えて行動していくことだけ。

名前は人を作らない。人が歩いた足跡の中にそっと名前が残るだけだ。

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