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困った人たち(エホバの証人)その10(宗教2世こころのキズ④)

幸いにして父親はエホバ狂の信者には
なりませんでした。でも基本、優しく
てお人好しな性格ゆえ、母親の精神面
・人格面の問題をそのまま受け入れて
しまい、カルト宗教への傾倒について
も強く反対することはなかったようで
す。いわゆる仕事人間でしたし、夜の
お付き合いも多いというか、むしろそ
ちらが主体か?ともいえる職業だった
ので、家庭については母親に任せきり
だったとも言えます。
陰ではどうだったのかはわかりません
が、たった一度だけ夫婦喧嘩の場面に
居合わせたことがあります。離婚する
しないの論争シーンなのですが、母親
の口から発せられるのは「エホバ狂の
教えでは離婚は許されていない」の一
点張り。それがどの程度の強制力なの
かはわかりませんが、双方の主張が全
く噛み合っていないことは、子供でも
理解することができました。
エホバ狂の人たちは信者ではない夫の
ことを「異邦人の夫」と呼びます。久
保田早紀のヒット曲で知られるこの「
異邦人」という言葉。調べると「自分
たちは神に選ばれたすぐれた民族であ
るという誇りから、ユダヤ人が非ユダ
ヤ教徒、特にキリスト教徒を呼んだ語
(コトバンクから引用)」なのだそう
です。なので、信徒たちの間における
母親の存在は「神の教えに従がわない
愚かな異邦人を夫に持つという、不遇
な境遇の中にあってもなお、健気に信
仰を続ける模範的な信徒」と位置けら
れるわけです。
歪んだ自尊心?プライド?のようなも
のを持つ母親にとっては、それはハン
デどころか、他の信徒たちとの間にあ
って強力なアドバンテージになってい
るわけです。
しかし考えてもみてください。この現
実社会における「結婚」や「離婚」と
いう概念は、エホバ狂の人たちからす
れば神の意志に反して「異邦人」達が
勝手に定めた「法」に基づく形式基準
なのだから、そもそもそんなものに縛
られていること自体がナンセンスとい
えます。しかし現実には夫の経済力に
依存し、社会に寄生しながら生活をし、
信仰を続けた方が楽に決まっている。
だから身勝手な教義を持ち込んで必死
に離婚を拒む。父の人の良さに付け込
んで自分の都合の良い方へと物事を運
んでいく。父の気持ちや幸せなんか二
の次、三の次、いや、そんなことは微
塵も考えていない。そうしながら信徒
との間では「異邦人の夫」をもつ悲劇
のヒロインを演じて同情を買い、そう
した境遇に耐える自分の存在というも
のに酔いしれているというわけだ。

あの時、父が離婚を押し切っていれば
私は迷わず父方につく選択をしただろ
うし、もう少しまともな人生を送れて
いたことでしょう。父を恨む気持ちは
まったくありませんけどね。


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