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1月後半

某日。

アニメに引き続きロゴを担当した舞台『リコリス・リコイル』を観劇する。2.5次元の舞台を見るのは初めてだったが、とてもセンセーショナルな経験だった。キャラクターたちが確実にそこにいたのだ。アニメ作品の実写化が解禁された時にアニメのキャラデザにいかに近いかを気にしてしまう。実写映画と2.5次元舞台の大きな差はカメラ割がないことだと思う。要は顔のアップがない。動きと声が演技の大多数を占めるのだ。これは実際に現場で見ないとわからないことも多いだろうなと思った。声の演技も声質は違ったとしても口調がアニメと同じでびっくりした。(ミカやクルミは声質もそっくりだったのでアニメのまますぎて仰天した。)2.5次元俳優はこれをいろんな作品のキャラクターにチューニングを合わせていく仕事なのだなと知った。すごい。もうひとつすごかったのは、舞台装置の工夫だ。舞台自体そこまで大掛かりなものじゃなさそうだったが、プロジェクションマッピングひとつで様々な背景に変貌する。ステージの真ん中にスライド式の扉があったのだが、場面によっていろんな扉として使われるのが、とても良くできてて感動した。舞台を見る機会も増やさねばと思わされる経験だった。


某日。

Netflixで配信されている『舞妓さんちのまかないさん』が至高だ。原作を途中までだが読んで好きだった身としても大満足の出来。キャスティングも演出も全てが愛おしい。オリジナルキャラクターも良いアクセントとスパイスになっていて良い。文化的意義や諸問題にフラットに言及できて良い工夫だ。『花咲くいろは』などの青春お仕事ものが大好物すぎるので、大事に大事に噛み締めて味わうように大切に見た。長ーく続いてほしいシリーズだ。(シリーズにしてほしいのにつる駒が退場してしまったのだけが許せない…!)


某日。

残りの5割チャンネルの有馬さんゲスト回を見る。大事なことをたくさん言っていて金言まみれの放送だったのだが、そこよりも自分のコンプレックスが刺激されたことが気になってしまった。美大で良い成績を収めた人や、周りの良いデザインをしている人にはデザインの歴史や文化や意義に興味を持って研究している人が多い。それは例えば、グルメな人が美味しいご飯を食べて、ここの産地の食材だから美味しいだとか、このレストランには長い歴史があってだとか、この料理は元々この職業の人のためにあっただとかのうんちくを述べられてる感覚に近い。もちろんそれらが大切でそこに興味を持つ人間がいるのもわかる。自分はそこに興味を持てなかった側の人間としてのコンプレックスが自意識の根底にある。ただ私は千鳥の食レポのようにただ味の濃い飯をウマイ!ウマイ!と言いながら食べたいのだ。やはりデザイナー的マジョリティ思考ではないんだなと再認識する。ただ同時に一見大多数に見えるものや、権威ある人間の発言があたかも正義であるかのように見えてしまうことを常に気をつけなければならないと思った。自分がやりたいこと、興味を持ったことも間違いなく正義であるのだ。


某日。

新年会ランチ。シェフという映画を見てから無性にキューバ料理が食べたくなり、Googleマップにピンしていた店に行く。サルサソースのハンバーガーがとても美味しくて満足。友達もかなり気に入ってくれたようでなんか嬉しい。ぼざろを成功に導いた音楽プロデューサーの手腕がいかに素晴らしかったかの話をする。最近人と会うたびにぼざろの話をしている気がする。何気ない雑談をして別れる。


某日。

松潤の演技を見て、自分が演技が上手いと思う感覚はなんなんだろうと考える。どうにも松潤の演技は内容が入ってこない。演技にレイヤーがないのかもしれない。自論だが、感情はさまざまな小さな感情が複雑にミックスされてアウトプットされるものだと思う。そこに奥深さを感じ喜怒哀楽の四文字じゃ表せない感情をリアルな演技だと感じる気がする。松潤は真っ直ぐにレイヤーひとつの悲しみを表現するから心まで届いてこないのかな。