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仮タイトルと言うタイトルです。

小学生に読んでもらいたい文章と大人に読んでもらいたい文章はどこが違うのでしょうか?粗筋は一緒であったとしても文章は違ってきます。大人ならば理解できるであろう文章と子供には理解できない文章。又は、子供ならば理解できる文章でも、大人には理解できない文章。子供にも、大人にも理解できない文章。書いた本人も理解できない文章は、問題外です。

それは知識の差であって、文章の中に丁寧に盛り込んでいく事で解消できる事なのです。一般的には短い文章の方が子供には受け入れ易いと考えられますが、丁寧に分かり易くそして短い文章を書く事ができれば大人にも子供にも受け入れて貰える文章になります。

これぐらいは知っているだろうという思い込みで文章を書くと伝わらない事があります。書き手の癖を熟知して想像を膨らまして読む場合もあります。そのような文章はマニアックな読者には受けますが、一般向けでは無いのです。

俳句は、季語の力を借りて17文字に想いを込めて作るのですが、言霊が本領を発揮する良い文章だと言えます。季語も知らず。言霊も感じず。なによりも日本語を知らないと伝わらないので高等な文章だと言えます。

それでは、今回の課題、小学生に伝える、学校を素材にした「こんな学校あったらいいな」についてです。小学生にも伝わる文章は、漢字と単語を厳選します。「こんな学校」ですから、小学校でなくても構いません。動物や植物の学校など面白いかもしれません。「あったら」ですから想像して良いのです。「いいな」は、子供の考える理想の学校であって、大人が押しつける物ではありません。

全文、平仮名で学年によって漢字や単語を変えていくのも面白いですし、ルビをふるのもいいかもしれません。同じ内容なのに一年生に向けた話から六年生に向けた話を一つの物語にして書いてみるのも楽しいかもしれません。

六年生は、中学校に上がる自分に向けて、五年生は六年生になる自分にむけて「こんな学校あったらいいな」を進学前に書くのです。一年生から二年生になる自分に向けて書くのです。大人になっても誕生日に向けてこんな何歳あったらいいのに」と書くのも楽しいかもしれません。

つまり一年の経験から自分の理想を描くのです。

一年経験した自分が「あったらいいな」を次の自分へ引き継ぐのです。
いくら、頭で想像していても実際に行動しなければ伝わったことにならないのです。

なぜ、実現できなかったのでしょうか?そういった反省を込めて次の自分に引き継ぐのです。

いま我輩は62歳「こんな63歳あったらいいな」

誕生日パーティには大きなロウソク6本と小さなロウソク3本たて、一気に吹き消して家族に祝ってもらう。誕生日は家族が集えないのでお正月になりますが、全員揃えば、八人です。再来年はさらに増えて九人ですから大騒ぎです。

自宅ではなくどこか会場を借りても良いでしょう。その為にはお金を稼がなければなりません。作家として小遣い程度の収入があり無理せずに書きたい物を書き、伝えたい事を伝える。

心がほっこりできる場を提供してみんなでほっこりした時間を過ごすのです。自分がほっこり出来なくても他人がほっこりできれば良し。時間がゆっくりと流れて、1日の終わりに今日の1日は早かったと思い。何も出来なかった悔やまず。気がつけばたくさんの人にたくさんのことを伝えることができたと安堵する。

そんな一年でありたい。