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阪神淡路大震災から始まった。

あの日から生き方が変わりました。良い事をしたからとか悪い事をしたからといった事は全く関係がなく、震災は間違いなく人を不幸にします。家屋の下敷きになっていて助けたくても助けられない。火事が至る所から始まって消す事ができなくて迫ってくる、そして、長い悲しみと不自由な生活が今でも続いている。

震災を素直に受けとめられなくて、自分にできた事があったはずなのに何もできなかった。今まで出来ていたことさえできなくなって幾日経ったんだろう。その間にも忘れてしまいたい出来事が次から次に訪れて、記憶から消しても、ニュースを見ては思い出す。

都合の悪い記憶と一緒に楽しかった記憶まで消えている。あれからしばらくの間が空白になって歳をとることまで忘れてしまっている。

生きる事の意味を求め、彷徨っていたように思います。

死んでいってしまった人の分まで生きなくてはいけないとは思えませんでした。その人の代わりにはなれないからです。死にたくはなかったでしょう。テレビの映像で流れる暴力や戦争、いじめや理不尽な事に対する答えが見つかりません。

現実世界で沢山の死と向き合うと悔いの残る死に方だけはしたく無いがいつ死ぬかはわからないのだから毎日毎日を悔いのないように過ごそうと思うようになりました。

悔いを残さないとは、ああしておけば良かった。こうしておけば良かったと思うような行動はしない。予知できるならば先の事がわかりますが、わからないのが未来です。過去の出来事から予想して危険を避ける事はできます。

忘れてしまった過去からは予想は出来ませんが、忘れていない記憶、深層記憶、第六感から知らされる虫の知らせはよく当たります。

自分の未来は、いつか終わります。他人の未来もいつかは終わります。でも時間差はあります。人類の未来もいつかは終わります。宇宙の始まりから終わりまでつながっているのです。いつになるかはわかりませんが伝え続ける事によってその最後に続く事はできます。

文字なのか、DNAなのか、精神なのか、わかりませんが伝える事によって続くのです。一人一人が存在していた事が伝わる事によってつながっているのです。

人は社会の歯車ではありません。社会の一部でもありません。伝えるという行為でつながった宇宙の構成員なのです。産まれてすぐに死んでも、その存在した事は伝わっているのです。存在していた時間も場所も名前も私にはわかりませんが存在していた事は知っています。

誰から聞いたのかも忘れましたが私には兄がいたそうです。

江戸時代の災害で家族を亡くした人達は家族を再編成したそうです。貧しくて口減らしをしたり、家督を継がす為に養子をもらったり伝える事が途切れないように暮らしてきたのです。

命の大切、戦争や紛争、災害で途切れる事がないようにするのが、これまでの伝わってきた事です。守れていないのは、まだ伝わり方が不十分なのでしょう。

災害の事、戦争の事、貧富の差、公害問題、たくさんの出来事があり忘れてしまって同じ思いをして悔やむ事のないように、どうすればよかったのかを研究して対策してるとは思えません。

予算や、経済優先で、人命よりも金の世界になっていませんか?

これから先、何を伝え続けますか?