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わかったつもり

わかったつもり

般若心経を唱えて写経してわかった事は、表面上でわかったつもりになっていた事です。般若心経に出会えて、ちょっとかじった知識で、悟ることが出来たと勘違いしていたのです。そんな事で悟れたら、世の中はもっと平和になっていたでしょう。お坊さんは修行してよく理解していて偉い人には間違いがありません。お坊さん以外でも我輩より学歴も会社も収入も上の人はたくさんいます。達観した人、職人、プロフェッショナル、先生と呼ばれる人達がいます。その人達の内、何人がわかったつもりでいるのでしょうか?

表面上は

注意されてもその場は反省したふり、同じ失敗を繰り返すのは理解できていないからです。出来たつもり。一度や二度の成功を本当の成功だと信じてしまう。本物と偽物は、見た目は同じでも使い込んでくると違いが出ます。
表面上は同じでも本物と偽物は違うのです。

本物と偽物

偽物でも本物と全く一緒ならばそれは本物です。作られた時間も同じでなければならないのですから本当の本物と同じ偽物は存在しないのです。時間は異なったとしてもそれ以外が本物と同じならばそれは本物と言って良いと思うのです。それならば何を持って本物というのでしょうか?

価値観

思い出のある石ころと黄金の観音様のどちらの価値が高いでしょう。世間相場では黄金の観音様です。「わたしは、思い出のある石ころを取ります」と物語では話を進めます。その前に欲に眩んだ悪人がちょっかいを出して話が展開して最後はどちらも手に入れてめでたしめでたしとなるのですが、SFでは、黄金の観音様の正体は悪の手先の欲望妖怪なのです。そして石ころは正義の味方、石ころマンになるのです。でも現実はどうでしょう。どちらにも絶対的価値はありません。そこにあるのは、自分の記憶と照らし合わせた相対的価値しかないのです。

想いと思いと念い

「おもい」には3種類あります。過去の想い。現在の思い、そして未来の念い。記憶に感情と時系列を組み合わせると想いは過去を懐かしみ、思いは現代の判断基準に使う。そして念いは未来の不確かな事柄に希望を持つ事なのです。

本物は

念いが叶う事です。想い出しても本物だと思ればそれは本物です。でもその念いが、偽物ならば本物を見逃し偽物を本物だと思ってしまうのです。途中で念いが変わって偽物なのに本物にしてしまう事があります。本物を手に入れましょう。本物を求めましょう。本物とは何なのかを常に自問自答しましょう。本物は変わる事がありません。本物は感動できます。感動する事が本物ではありません。本物に出会えると感動するのです。

本物の人生

本物の人生を歩むためには本当に生きる事です。嘘のない自分。偽らなくても生きていける事なのです。本物が手に入らないからといって偽物を手に入れて満足する事はありません。美味しい物を食べ、豪華な家に住み、幸せな家族に囲まれて一生を終わっても人生。貧乏で住まいも家族も無く一人ぼっちで孤独死しても人生。人にはそれぞれの人生があります。

楽しくないのに楽しいふりをしたり、苦しいのに苦しくないふりをしたり、なりたかった自分になれなかったからそれを他人に強要したり怠けたいけど頑張ってるふりをしたり出来ないのに出来るフリをしたり知らないのに知ってるふりをしたり素直なふりをしたり本当の自分の気持ちを表に出さずに我慢したりしてその行き場のない状態が続いて一生を終わるのと本当の自分を認めてそのままでも暮らして行ける人生とどちらが本物と言えるでしょうか?

本物の人生を歩む人には

本物の家族、友達、仕事に巡り合えるでしょう。本当の事を言うと子供だと言われ、大人の事情だからだと真実から目を背ける。子供になろうと言っているのではありません。本物の子供は「大人びた事は言いません」本物の大人は「語りません」

良い習慣を身につける

繰り返し繰り返しする事で身につくのです。理屈では無く身体が勝手に動くのです。何をするのかは、その道のプロに学びましょう。我輩は「本物の可愛い老夫婦道」を究めます。良い習慣を身につけて価値観が同じ人と友達になって「可愛い老夫婦道」を広めるのです(笑)




経済的に幸せにはできないかも知れませんが精神的に幸せにする自信があります。と言いましたがついてきてくれました。今は、精神的に幸せだから次は経済的に幸せにしてと言われています。