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「こういう人に、私はなりたい」というお話

「こういう人に、私はなりたい」というお話。
※注意※
辻村深月作品の登場人物「赤羽環」について書いています。作品のネタバレはありませんが、辻村深月さんの作品を今後読む予定のある方、あるいは辻村深月さんの作品に強い思い入れのある方はご了承ください。

では改めて。「こういう人に、私はなりたい」というお話。辻村深月ワールドに登場する、赤羽環のお話でもある。

赤羽環に私はなりたい。
赤羽環は新進気鋭の脚本家だ。小説家チヨダコーキに憧れて創作の世界に進み、ノリに乗った人気若手脚本家と世間からは評価される。彼女の脚本は、深く考えることを要求し、観劇した者に答えを委ねる。東京のそこそこ大きいホールに老若男女を集客できるぐらいに、赤羽環は新進気鋭の脚本家だ。

赤羽環に私はなりたい。
彼女はカッコいい。普通だったら言いづらいことであったとしても、思ったことは容赦なく言う。それが自分のためである場合もあれば、それがその人のためである場合もあるが、ダメなことはダメだとしっかり言い、嫌いなことは嫌いだという。合理的な機械人間だと間違われることもあるぐらいに、赤羽環はクールでカッコいい。

赤羽環に私はなりたい。
彼女はブレない。自分の信念を決めたら、周囲に反対されようが、非効率であろうが、貫く。それが頑固だと評される場合もあれば、それが素晴らしいアイデンティティだと評される場合もあるが、彼女は世間からの評判に惑わされない。彼女のカッコよさをコーティングするぐらいに、赤羽環はブレない。

赤羽環に私はなりたい。
彼女は一途だ。人に対しても、物に対しても、良いと思ったものは良いと思い続ける。それが疎まれる場合もあれば、それが尊敬される場面もあるが、彼女の信念と同じように、彼女の外界への思いも曲がらない。彼女のカッコよさへの信用を生むぐらいに、赤羽環は一途だ。

赤羽環に私はなりたい。
彼女は負けず嫌いだ。自分より優れた人がいれば、たとえそれが絶対に届かない花だとしてもその花を目指す。それが仕事の場面で発揮される場合もあれば、それがプライベートな人間関係の場面で発揮される場合もあるが、彼女はとにかく自分の方が上でありたいと思い続ける。彼女のカッコよさの芯になるぐらいに、赤羽環は負けず嫌いだ。

赤羽環に私はなりたい。
彼女はお人好しだ。仲の良い人に対しても、初対面の人に対しても、付き合う義理がないところまで付き合ってしまう。それがプライドからくる場合もあれば、それが優しさから来る場合もあるが、一度関わったことには逃げずに面倒を見る。優しさとのギャップでさらにカッコよく見えるぐらいに、赤羽環はお人好しだ。

赤羽環に私はなりたい。
赤羽環は孤独だ。自分の弱さを周囲にさらけ出すことが苦手だ。その結果として彼女が神格化される場合もあれば、抱え込める弱さの量の限界を超えて周囲に迷惑を書ける場合もあるが、とにかく弱いところを見せたがらない。彼女のカッコよさの裏側として必然なのではないかと感じるぐらいに、赤羽環は孤独だ。

赤羽環に私はなりたい。
赤羽環は仲間を持っている。彼女の仲間は、彼女の良いところも悪いところも理解している。彼女が仲間と正しく接する場合もあれば、仲間との接し方を間違える場合もあるが、彼女の仲間はそんな彼女の不器用さも理解している。彼女のカッコよさが最大限に引き出されるぐらいに、赤羽環は仲間を持っている。

赤羽環に、私はなりたい。
赤羽環は新進気鋭の脚本家だ。赤羽環はカッコいい。赤羽環はブレない。赤羽環は一途だ。赤羽環は負けず嫌いだ。赤羽環はお人好しだ。赤羽環は孤独だ。赤羽環は仲間を持っている。

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