私はいつまでかわいそうな主人公でいるのか
誰にだって辛い過去の一つや二つはある。私にもある。貧乏、宗教2世、一家離散、強迫性障害。どれをとっても苦しい経験だったことは間違いない。問題はそれをどれだけ引きずるのか。
いつまで「悲惨な星のもとに生まれ、次々に与えられし試練を乗り越え頑張ってきた伝説の主人公」という設定に酔っているのか。困難に耐えることがデフォルトで、問題が起きても根本の原因からひたすら目を逸らし続け、”耐える”で思考停止している。立ち向かえバカ。
「辛い経験も悪くない。だって傷ついた分、他人の傷みがわかってあげられて、優しくできるから……(遠い目)」みたいな、どっかで聞いたことあるようなセリフを自分に言い聞かせ、不幸には価値があると信じてきたし、「幸せを味わい続けていいわけがない。うまくいくわけがない。というか本当にいいと思われているわけがない」といつまでも自分の力や他人を信じられず、いつも全世界を疑っている。
そのくせ承認欲求は強く、認められたい、褒められたいと常に願い続け、何かに失敗するたび、わざとらしくクヨクヨして「頑張っててえらい!」と言ってもらおうとアピールしていたり、「やっぱりね。うまくいくわけないんだ。私はこういう星のもとに生まれた人間だから何をやってもうまくいかないって決まってるんだ」と自分以外の要因のせいにしたりしている。
自分が傷つかないための防御と言えば聞こえはいいけれど、ダサい。「どうせ……」といつも斜に構えて、まっすぐに受け止めることもしていない。卑怯だ。
*
そんな卑怯でダサい生活を送っている私だが、一丁前に美容に興味を持ち始めた。卑怯でダサいくせに、美しくなりたいなんて思ってすみません。
アラフォーになり、どうしても肌のたるみが気になってきたのだ。しかしいろいろと化粧品を買い揃え、せっせとスキンケアに勤しんでみても、どうにもこうにもピンとしない。
そこで、美容に詳しい友人Yに聞いてみようと思った。
Yとは20代の頃にバイト先で知り合った同い年の友人で、とても明るく元気で、面白くて豪快な女だ。「ダリぃー」(だるい)が口癖で、いつもちょっと悪態をついてはいるが、楽しいことが大好きで、細かいことは気にしないし、バーンと遊んで、バーンと飲んだくれて、バーンとお金を使い果たし「やべー、金欠だー」と言っている。
しかし彼女は誰よりも仕事ができるし、義理人情に熱く、周りへの気配りが細やかで、先輩にも後輩にも男にも女にも全人類に好かれている。しかも美女。「王道ヒーロー漫画の主人公」みたいな人間だ。
当然男性にもモテまくっていた彼女はいつも男を取っ替え引っ替えしていたが、20代後半でインディーズのバンドマンをしている彼との間に子供を授かり、さくっと結婚し、数年ほどで「いつまでたっても売れないのに真面目に仕事してくれなくてダリぃから」とさくっと離婚して、今は新しい彼氏と子供達2人と楽しく生きている。
もうお分かりだと思うが、Yは私とは正反対の人間だ。華やかで快活で楽しそうで、いつだって人気者で幸せそうな彼女が羨ましかった。
その彼女にアラフォーの美容事情について突然電話して尋ねてみたところ、返ってきた答えは「韓国行って美容医療ぶっかますのが一番早くて安くて確実だよ! 化粧品でコツコツなんてダリぃことしてても変わんないっしょ!」だった。
半年ぶりくらいに連絡したけれど、相変わらずだなあー。彼女は電話の声がデカいということをすっかり忘れていて、耳がキーンとした。
出産も結婚も離婚も、何もかもスパッと的確に決断し、どんなことが起きても前向きに聡明に生きている。私みたいにいつまでたってもネットで検索ばかりしてネチネチと悩んでいる姿を一度も見たことがない。
彼女と私の人生の謳歌具合には、一体どれほどの差があるんだろうか? 私が1つのことに対して1ヶ月悩んで決めかねているうちに、Yはいくつの素晴らしい体験をしているんだろうか? 10? 20?
きっと死ぬほど徳や経験を積みまくっていて、来世も人気者の星の元に生まれるんだろう。私の来世はゾウリムシとかかもしれないな。いや、それはそれで気楽そうでいいかもしれない。
「そっか、さすがだね。韓国の美容医療、検索してみるよ」
「なみは元気? 活躍、見てるよ。本でたら買うからね。マジですごいね。昔っから書いてたもんね。私は文章なんて全然書けないからさ、本当に尊敬するよ。これ私の友達だ、ってみんなに自慢するわー」
「ありがとうー。でもそんなにすごくないし、無理して読まなくてもいいよ」
またやってしまった。照れ隠しで、せっかくYが褒めてくれたのに、否定してしまった。素直に「ありがとう」だけでよかった。余計な一言を言ってしまって、気を悪くさせただろうか?
電話を切りしばらくモヤモヤしているうちに、彼女からおすすめの韓国の美容クリニックのリストが送られてきた。たるみにはここのコレがいい、ここはちょっと高いけど痛くない、ここは痛いけどダントツに仕上がりがいい、など、私の知りたいことがもれなく一発でわかるシゴデキすぎる1枚だった。辛い過去に傷ついていなくてもこんなに他人に優しいなんて、本当にすごいよ、あんたは。
突然電話してきて貴重な時間を奪ったこの浅ましくも貪欲な私に対して、こんなに素晴らしいリストをただの優しさのみで爆速で作ってくれた彼女に、羨ましいを通り越して、なんだか申し訳なくなってきてしまった。
するとリストの後にもう2通追加でLINEが来た。
「親父が脳梗塞で倒れてからずっと介護しててさ、一緒に行ってあげたいけど当分無理そうで。また行けるようになったらそん時は一緒に行ってパーっと豪遊しようね」
「介護と仕事と育児でダルすぎて辛い毎日だけど、あんたのエッセイは面白くて笑って読んでる。救われてるよ。本当に楽しみにしてるからね。お肌ピカピカで本持ってドヤってる写真も楽しみにしてる」
何年も前に彼女の父親が脳梗塞で倒れたことは知っていた。離婚した後、実家に戻った彼女に会いに行った時に姿を見かけて挨拶をしたこともある。
でも、ずっと彼女が介護をしていたことは全く知らなかった。
ナンテコッタ! なんで私はそんなことに思いもよらなかったんだろうか? 考えてみれば当然なのに。私は辛い経験をしているはずなのに、友人の傷みにまったく気づいていない上、「無理して読まなくてもいいよ」なんてひどいことを言っている。もう私の来世のゾウリムシ人生も踏み潰してくれ。
あの子はこの数年間、一度もそんな境遇を教えてくれていなかったし、辛いそぶりを見せたこともなかった。彼氏のおならが臭いだの、手遅れのハゲのくせに抱えている育毛剤の在庫が多すぎるだの、そんなくだらない軽口しか聞いたことがなかった。「ダリぃー」と言いながらも、いつも楽しそうに笑っていた。
もしかしたら、彼女はずっとそうだったんだろうか?
知り合ってから20年。一緒にバイトして、若いってだけで無敵な気がしてバカ騒ぎして、ほぼ同時期に結婚して、子どもを産んで、揃っておばさんになってきたつもりだったけれど、ずっとそうだったんだろうか? 辛いことがあっても周りにクヨクヨした姿を見せないで、いつも我慢して笑っていたんだろうか? 何もかもをさくっと舵取りしているように見えて、実はめちゃくちゃ悩んだりしてたんだろうか?
なんで言ってくれなかったんだよ。私がいつまでたっても愚痴愚痴してるのを、どんな気持ちで聞いてくれていたんだよ。
自分が、いつもよりさらに幼稚で滑稽な人間に思えた。今度こそ「もうかわいそうな主人公のままでいるのはやめよう」と強く思った。
本当はずっとわかってた。私が辛かったのはとうの昔の話だし、生きるためにその設定が必要だった時期は過ぎ去っている。自分が人間的に未熟な理由を、いまだに過去のせいにしてクヨクヨして半ば自分のせいじゃないと逃げていることも。もういい加減、やめよう。
対して、Yはかっこよすぎる。かっこいいけれど、辛いことがあったのなら、少しは分けてほしかったな。今からでも遅くないかな?
「ずっとお父さんの介護してたの知らなかったよ。いつでもいいから、もっともっと話してよ」とLINEした。
「ありがとうー!」とだけ返ってきた。
もしかしたら、これからもそんなに分けてはくれないのかもしれない。
そういう人なのかもしれないし、彼女がクヨクヨを分けたい相手は、私じゃないのかもしれない。
だとしたら、私はもっともっと面白いエッセイを書いて彼女を笑わせよう。
Yほどかっこいい人気者にはなれそうにないけれど「友人を笑わせられる、お肌のピンと張ったおもしろエッセイストになろう」とここに誓おう。
おしまい