映画『ロックンローラ』(RocknRolla)レビュー考察(ネタバレ少しあり)
評価:90/100点
前回のレビューを見直してみてわかりにくいと思ったので評価は点数にしようと思う。あと文体も適当でもいいかと吹っ切れた。
さて、私が一番好きな映画監督を聞かれたとき、最近はガイ・リッチー監督を挙げている。
映画において一般と批評家の乖離は論争が絶えない。最近でもマーベル映画で話題になってましたし、海外ではRottenTomatoなんかはずっと燻って(プチ炎上)いるようなものだ。
私の個人的見解を述べると、絵画もそうだが、批評というものは過去の事例と比べるからこそ成り立つもので、すなわち目新しいものやアウトローなものには滅法弱い。ところが、一般民衆はそうしたものに熱狂することもある。もちろんしない方が多いが。
そういうわけで、批評には批評家なりの理由があるが、イコール大衆に受けるわけではないということだ。
つまり何が言いたいかというと、批評は映画史を含めてその映画を深く知る参考程度に留め、後は自分の感性を信じるというのが私の映画の見方である。
私の感性では、オープニングシーンでセンスのいい音楽とカットがあると、それだけで「いい映画が始まるぞ」と思い、途中の雰囲気を壊さない程度のコメディシーンにユーモアを感じ、巧みな編集技術にアーティスト性を感じる。
前置きが長くなってしまったが、ガイ・リッチーの映画はそういった意味で映画が芸術であることを思い出させてくれる。
『ロックンローラ』もその一つだが、同監督の『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(Lock, Stock and Two Smoking Barrels)や『スナッチ』(Snatch)のような群像劇という形式のストーリーも、見終わった後にプチプチが潰れたようなスッキリ感がある。まさにエンターテイメントとしての映画を作る最高の監督の一人だ。
ここまで絶賛して100点でないのは、その一番気持ちいい「群像劇の収束」が少し物足りなかったからだ。
以下少しネタバレ
『ロックンローラ』主要人物の紅一点、タンディ・ニュートン演じる妖艶な危険人物「ステラ」の結末である。
終盤、例の「幸運の絵」は彼女が手に入れるのだが、ロシア富裕層ユーリが手下に指示を出し、彼はおそらく汚い仕事をする時の手袋を要求してそのシーンは終わる。さらに、エンディングではそこから幾年かたったアーチが持っており、ロシア人が「お仕置き」を食らって絵を奪われたことが示唆される。しかしステラは?というモヤモヤがずっと残る。
私はこの映画が「筋の通った」犯罪(=ロックンローラ)賛歌だと思う。
この映画の登場人物は全員犯罪者だが、仲間を裏切ることは殆どない(あるいはドラッグで頭が回らない)。が、実は裏で彼らを売り続けていた「シドニー・ショー」は最後にザリガニとスイミングを楽しむことになる(意訳)。
ひどい結果になったのは彼一人だが、もう一人裏で暗躍しアウトローを裏切っていたのがステラだ。
犯罪者を裏切った「ロックンローラ」ではない薄汚れたネズミ。とはいえ、それこそが彼女の魅力でもあったわけだが、その結末はシドニーで見た通りである。ゆえに、彼女はロシア人富豪の手下によって始末されたが、女性のそういった描写はさすがにカットしたというのが私の見解である。
それが真であれ偽であれ、もう少しスッキリした終わり方をしてほしかったという意味で、90点にしました。
マークストロングがかっこよかったので、ぜひ真・ワイルドバンチも見てみたいですね。
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