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命のコスパとサブスクライブ

有名俳優が自殺すると大きく報道され、多くの人が悲しむ。
だけどもその辺の一般人が自殺しても悲しむ人は少ない。

志村けんがコロナで死ぬと大きく報道され、多くの人が悲しむ。
だけどもその辺の一般人がコロナで死んでも、数字でしかない。


2年くらい前に「命のコスパ」について考えた事がある。
「病室で穏やかに死ぬ。親族や孫に見守られながら、老衰で死ぬ」
死ぬ時のベストな状況ってこんな感じだと思う。

だけども現実的に考えると、コレってコスパが悪いのでは?
資産も必要、家族も必要、気遣いも必要、健康も必要。
掘り下げればその他色々と必要な物が出てくるような気がする。

そもそも、死ねば無なのだから、死ぬ直前に備えるのは無駄なのでは?
死ぬ時に悲しんでくれる人とかがいればいいとは思うけど、有限で尊い人生という名の時間を、たった"死ぬ間際"の為に費やしていいのだろうか?
意識もせず自然と人間関係が構築されていく環境の人ならば苦ではないだろうが、世の中にはそんな人ばかりではない。
親戚や世間にいい顔をしながら社会貢献し、金を稼ぎ続け、皆から愛される事ができる人というのは、皆が思っている以上に希少なのではないか。

そもそも有名人だってみんなが悲しんでくれている訳じゃない。
金持ちが、権力者が、有名人が死んだというだけで喜ぶ人もいる。
そんな不純な人達の願いも死ぬ間際に死神と共に贈られてくる。

イタリア独立を夢見た第三王子も「幸せとは有限である。人生とは奪い合いである」と言っていたように、幸せを得た代償として、この世界の均衡が保たれるように誰かが不幸を手にしている。

幸せだけが存在する"命の終わり"はありえない。
頑張ったら頑張った分だけ幸せを手にするかもしれない。
だが同時に、ソレは不幸になるように世界から望まれている事を意味する。

そこで私は考えたのですが"死の救済"というサービスを始めたら凄いんじゃないかって思ったんですよ。月額500円くらいで。

イラスト137

毎月500円を私に振り込む。
死ぬ時に「あともう少しで死にそうです」って連絡すると、私が願う。
「貴方はいい人であった!」と真剣に願う。

不慮の事故で死んだとしても第三者が連絡してくれたら、私が願う。
「貴方はいい人であった!」と真剣に願う。

その言葉に嘘偽りはない。
何故ならば、毎月500円くれる人に対して受ける感情は"感謝"のみ。
金を貰って文句を言う人間なんて存在しない。少なくとも私はそうだ。

故に、500円を払う側も信頼ができる。
この人には見返りがなくても毎月500円を払っている。悪い感情を抱くはずがない…… と。

結婚には金がかかる。子供を育てるには金がかかる。
いい人を演じるには金がかかる。健康には金がかかる。


――もし貴方の生きる目標が「幸せに死にたい」のであれば。
  「頑張って生きた意味を認めてほしい」のであれば――

……神に500円を寄付してください。
口座を晒すのは怖いので、TwitterのDM経由でWM500円分ください。

そうすれば、貴方は救われます。
たった毎月500円を払うだけで、貴方は死を恐れずに済みます。
コスパやば…… これはもう入会するしかないね……!

裏切られても損するのは毎月500円だけ! リスクも少ない!
ローリスク! ハイリターン! もう始めるしかないでしょ!!!
神は公平に、500円をくれた人に微笑みを授けるます! ~終~

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