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映画「キネマの神様」ネタばれ感想~愛すべき馬鹿の居心地悪い時代

代役なんていったん忘れて

昨年からの大規模な災厄によりいろんなことが当たり前にいかなくなってしまったわけですが、映画業界もしかりでありまして、この作品「キネマの神様」もそのウネリに翻弄された一本であります。主役の急逝から、感染防止策での撮影現場、そして公開の延期に次ぐ延期と、今年90歳を迎える山田洋次監督の困難と奮闘のニュースがいろいろと耳に入ってきたのですが、こういうことが映画に向き合うときに余計なフィルターをかけてしまうものですね。まずは無事に公開おめでとうなのですが、作品に残された(意図的に残さした?)傷跡にハッと現実に戻されたりもしてしまいました。

主演俳優の急逝という緊急事態に対して、とても難しい立場で主演を引き継いだ沢田研二にまずは拍手を送りたいと思います。沢田研二の主演の新しい映画!ってだけでももう大興奮じゃないですか。「太陽を盗んだ男」「ときめきに死す」「魔界転生」など、何度も見直しては、退廃的な孤高の色気にうっとりしてきた世代の私には、もう代役なんて失礼な言葉は忘れて、久々の新作にワクワクを抑えることができませんでした。

宣伝の仕方として「弔い合戦」的な戦略がされるのも致し方ないことですし、どんな演技をしたところで元のキャスティングと比較されるのは間違いありません。そんな不利な状況でこの役に挑んだ沢田研二の心意気を見届けようと、やっと公開が実現した映画館へと向かいました。

映画愛を貫く見事な再構築

原田マハの原作はずいぶん前に読んだ覚えがあり、ギャンブル依存症で借金まみれのダメお父さんが映画ブログで復活する、みたいな内容だったと記憶していました。しかし映画版の予告では、読んだ覚えのない映画撮影のシーンがあったので「あのとき読んだのはこの映画の原作じゃなかったんだなあ」と、kindleにダウンロードして映画館へ向かう電車の中で読み始めると、以前読んだのと同じ内容だったので苦笑‥‥脚色って言葉を知らんのか、私は。

出だしの設定は原作通り、主人公のゴウこと円山郷直(沢田研二)は、ギャンブルと酒に溺れて借金まみれ、娘の歩(寺島しのぶ)と妻の淑子(宮本信子)がそのたび肩代わりに返済するというクズ老人。ついにブチ切れた歩は借金を退職金で返済する代わりに、ゴウからキャッシュカードをすべて取り上げ「映画」以外の趣味を禁じてしまいます。ふてくされたゴウは、親友のテラシンこと寺林新太郎(小林稔侍)の営む小さな名画座「テアトル銀幕」に転がり込み、売店のビールを盗み飲むくらいしかやることがない。

「テアトル銀幕」のスクリーンに映るのは往年のスター女優桂園子(北川景子)。後ろの席に座ったテラシンに、ゴウは「この後のアップのとき、桂園子の瞳に俺が写ってる」と語りかける。そして、園子の瞳のクローズアップから、瞳に映った若き日のゴウ(菅田将暉)のカチンコを構える助監督姿へ。このモノクロのスクリーンからカラーの回想シーンへの胸躍る展開が見事で、わくわくしながら引き込まれていきました。

ここからが原作にはない設定で、活気のある映画撮影所で助監督を務める若き日のゴウと、映写室の技師であるテラシン(RADWINPSの野田洋次郎)、撮影所の連中が集う食堂の看板娘の淑子(永野芽郁)、そしてスター女優の桂園子、この若者4人の恋したり夢語ったりの青春活劇。時代がかったセットだけじゃなくて、演出もオーバーでやや作り込みすぎなのですが、山田監督の青春時代を思わせる古き良き時代のファンタジー性も帯びており、見ていて実に楽しいのです。キラキラした熱血漢菅田将暉と純情青年野田洋次郎のコンビも抜群ですし、さらに永野芽郁のハツラツな可愛さ、いつもは浮いて見える北川景子の堂々とした往年の大スターっぷりも美しく、みな見応えじゅうぶんでテンポも良く引き込まれていきます。

ゴウには自分の初監督作品として夢見ている台本「キネマの神様」があり、それが園子の主演で実現するチャンスが。しかし気負いすぎたゴウは周囲のスタッフと衝突、ついに癇癪を起して撮影所を飛び出し、彼に思いを寄せていた淑子も食堂を飛び出し後を追っていくことに。こうして物語は現在に移り、クズ老人へと落ちぶれたゴウと、いまだに連れ添う淑子へとつながっていきます。クライマックスでは、若き日の情熱の結晶「キネマの神様」の台本が、ゴウの人生と周囲の人々に幸せな奇跡を起こす‥‥‥すっかりダメになってしまった男の人生が失っていた映画愛によって救われるという、まさに松竹映画100周年にふさわしい、映画愛に貫かれた見事な再構築じゃないですかこうしてプロットだけ書き出してみると、心温まる名作の誕生に思えてくるのですが‥‥

「愛すべき馬鹿」の難しい時代

そして時が移って現在編ですが、「山田洋次的青春喜劇」として作り込んでいた回想編に比べて、時事ネタをからめた現在編は妙にリアリティがありギャンブル依存症の主人を抱えた借金家族が暗くて重んですよね。怒り狂った寺島しのぶ、あきらめてしまった宮本信子が、素晴らしい演技でさらに気を滅入らせます。そこに沢田研二演じるゴウが回想編の「喜劇性」を引きずりながら「愛すべき馬鹿」を演じているのですが、この重苦しい状況の中ではただただ迷惑な存在にしか映りません。時折見せるユーモアもなんかイラっとくるし、家族に疎まれてはふてくされる姿がどこか寂しくもあります。

この居心地の悪さは前にも覚えがあるなあ、と思っていたら、山田監督の代表作「男はつらいよ」シリーズ後半での車寅次郎を思い出しました。惚れっぽくてワガママで、すぐにブチ切れては周りに迷惑をかけるどうしようもないヤクザ者の寅次郎ですが、間違いなく日本映画を代表する国民的ヒーローであり、私も若いころはこの「愛すべき馬鹿」に夢中で泣いたり笑ったりしてました。彼が受け入れられた背景には、山田監督の作り込んだ「下町喜劇ファンタジー」が成立した世界観があり、迷惑な異端者を迎え入れる温かい家族、共同体への幻想(憧れ?)があったように思うんですよね。私が変わってしまったのか時代の価値観が変わったのか、異端者を排除して同調圧力で守りにはいるなか、いつしか「男はつらいよ」も「喜劇ファンタジー」の魔法が解けてしまい、「愛すべき馬鹿」寅次郎も「さびしい迷惑もの」という位置へ退いていったように思えます。

この現在編におけるゴウの居心地の悪さ自体、時代の包容力のなさに対する山田監督の問題定義と深読みできなくもないのですが、「愛せない馬鹿」ゴウに感情移入できないのは物語として弱いです。現代編も思い切って昭和喜劇風に作り込むこともできるでしょうが、つねに時代性を意識してきた山田監督には不本意かもしれません。そこでいっそゴウの中途半端な喜劇性をなくして、思い切り荒んでしまったゴウという手もあったかもしれません。個人的には、そんな退廃的で暗い目をした沢田研二が映画によってどん底から救われるって話、見てみたいんですけどねえ。

ゴウのぼんやりした映画人生

クライマックスへの運びとしては、すっかりダメになってしまったゴウの人生が、若い日の映画への情熱によって救われるって流れになるのでしょうが、夢半ばにして撮影所を飛び出してしまったゴウがその後の50年間どんなふうに映画と向き合ってきたかって描写がぼんやりしてるんです

原作小説でのゴウは同じようにギャンブル狂のダメ親父なのですが、娘の歩も一目置くほど映画への愛と知識が溢れ出ていて、この映画愛こそがゴウを憎めない「愛すべき馬鹿」にすることに成功しています。しかし映画版では、歩の「お父さんには好きな映画があるじゃない」という言葉があるくらいで、それが人物像にまで及ぶ描写はなくとってつけたような印象です。さらにあれだけの思いを込めた台本「キネマの神様」を、孫の勇太(前田旺志郎)が発見してホメたときでも、「あ、読んだの」くらいの反応で肩透かしなんですよね。これならむしろ、50年間映画に背を向けて生きてきましたってほうが分かりやすいかもしれません。

現在のダメ親父ゴウと映画との関わりがぼんやりしているために、たまたま見つけた昔書いた台本が入賞して、今の借金返済の助けになったという小さなドラマが淡々と進んだだけで、「キネマの神様」がゴウの人生に関わるような盛り上がりを感じられなかったのが惜しい気がします。

加えて、どうしてもひっかかっちゃうのは、この重要なキーとなる台本「キネマの神様」の内容が、どう考えてもウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」なんですよね。別に引用するのは悪いことではないし、この台本が後に大きな賞を獲ることになるのも「カイロの‥‥」が存在しない世界線ってことで無視すればいいんでしょうが、ラストシーンの描写にも関わってくることなので、知っていると妙にひっかかっちゃいました。(菅田将暉が朗々と内容を語るシーンで、ちゃちなアニメが合成されてたのもなんか彼に失礼な気がしました)

そしてラストシーン、「キネマの神様」が起こした奇跡なのでしょうか、終わりよければ全てよし!とばかりにゴウの人生が全肯定されてハッピーエンドとなりますが、これじゃ共依存に落ち込んだDVカップルだって目が覚めなければ万事OKって感じで、心に何か寒々しいものが残ってしまいました。淑子さんの今後の幸せを祈るばかりです。

「キネマの神様」は名画座に宿る

いろいろな思いのすれ違いで、私にはちょっとぼんやりとした印象の「キネマの神様」でしたが、山田洋次監督の映画への愛情はひしひしと伝わりました。とくに過去の名作へのリスペクトと名画座という空間への愛情を強く感じます。「テアトル銀幕」の映写室でニコニコしているテラシンこと小林稔侍の姿、大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館」での映写技師の姿にも重なり、世知辛い現在編の中でも変わらぬ温かさがあって「キネマの神様」はここにいたって感じです。ネット配信でいつでも名作アーカイブに触れられる前は、私も名画のラインナップ調べに胸躍らせていたものです。

かつての映画撮影所のキラキラした活気や、名画座へのリスペクトとなると、山田洋次監督の「昔はよかったなあ」的振り返り映画に思えてしまいますが、今起こっている災厄が映画業界、とくに映画館経営に与えている打撃も描いており、今後の映画への応援も込めているのですね。

本当にいろいろな困難を経てやっと上映が実現した「キネマの神様」ですが、それだからこそ過去から未来へ向けて、制作側から映画鑑賞という環境全体への愛情は受け取ることができました。

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