パンドラの散歩「飲食寺」

マイナンバーカードとポイントやら電子マネーやらを紐付けて2万円相当の〜 みたいなやつに目が眩み、マイナンバーカードを取得した。しかしカードをスマホで読み取ることができず、分からないので役所に行ってみたところ「わかんない、ごめん。自分でなんとかしてほしい。バイバイ。」という感じだった。実際はこんな重すぎて愛想尽かされた人みたいな対応をされた訳ではないが、マイナンバーにおいて役所がお手上げなら恐らく自力で直すのは困難だろう。そんなことができたら自分のマイナンバーをゾロ目にしたり複製して街中で配ったりしてやりたい。
悩んでいる人間ほど思考や価値観の袋小路にいる生き物はいないわけで、自力でなんとかするのが周りの人間にとって一番助かる道でありながら本人にとっては一番苦しい道でもある。周りの人に嫌われるのが一番いやだから、仕方なく自力でなんとかしようとする。余計に悪化し、手が付けられなくなる。自分で自分の機嫌や調子を良くするってのは、理論上存在しているに過ぎない概念なんじゃないだろうか。さーて前段も済んだし散歩散歩…………。

今はどうしても役所とかスマホショップを見ると嫌なことを思い出してしまいそうなので、なるべく駅前から離れたところで昼食をとりたいと思いとりあえず歩いた。しばらく歩いて景色の彩度が低く、環境音が静かになって道が寂しくなったころ、美味しそうな匂いがしてきた。そこには飲食店ではなく大きな石塀に囲まれた木造の寺院があった。大きな正門の上に「飲食寺」という札が出ている。おいおいまさか、空腹の人が見る雑な幻覚じゃないんだから……と思うがそれにしても美味しそうな匂いは確かにしている。どうせ役所でキツネにつままれた身だ、この際、タヌキに化かされても構いやしないと思って寺に入ってみることにした。入口で検温と消毒がある。これはコロナ禍ゆえにであるが、その隣にはなんとガチャガチャが置かれていた。ラインナップはプリキュア、仮面ライダーリバイス、ドンブラザーズ、すみっコぐらし、アンパンマン、デカい宝石がついた指輪が出てくるやつ、ハンドスピナー、くっつくスライム………。どう見てもファミレスや回転寿司にある品揃えだ!!間違いない、ここは飲食店だ!!!!!ニチアサの品揃えがほんの気持ち遅れている感じがリアルだ!!!!!!よく見ると端っこに2個縦並びで仏像のフィギュアが出てくるやつもある!!!!!!これはなんのリアルだ??????寺のリアルか。

ここが飲食店、しかもあまり身構えなくていい系統のところだと確信した私は境内を散策することにした。敷地はかなり広いようで、本堂らしき大きな建物は遠くにそびえ立っている。それよりも気になっていた匂いの正体が分かった。いや、分からないことが分かったと言った方が正しいか。この境内ではお祭りの屋台顔負けなくらいぎゅうぎゅうに出店が出ているのだ。イカ焼きたこ焼きチョコバナナなんていかにもな料理のみならず、団子にクレープにチーズハットク、おでんにターキー揚げアイスなんてのもある。今日が何かの特別な日なのか、いやそうだと信じたい。そのおびただしいまでの出店に対して、参拝客の数は普通のお寺より少し多いくらいだ。平日の昼間なこともあり空いているのかもしれないが、目立つのはスーツに営業カバンのサラリーマンたちだ。どうやら買ってすぐ食べられる屋台料理は人気なようで、立ち食いそばの屋台に人が並んでいる。こんなに選び放題なのにそれでいいのかよと言いたくなるが、冒険するのも最初のうちで常連というのは手堅くなっていくものなのかもしれない。

私は冒険心あふれるまっさらな旅人なので、「わらか焼き」と書いてある出店で一本焼いてもらった。雑穀米と味噌を小さい卒塔婆につけて焼いた食べ物で、わらかというのは「わらくずにまみれた農家の女房をさす言葉」だと店の主人が教えてくれた。初めて聞きました、と返すと彼はおかしそうに笑って色々話してくれた。どうやらここは食にまつわるお寺で、年がら年中日本各地からやってきた出店が出店しているそうで、SNSなどでは「出店の聖地」とまで言われているらしい。店主も新潟からはるばる出てきたそうで、儲けとしてはそこそこ、とにやけ顔で言っていた。腹に余裕があるなら本堂にも行くといいと言われたので、屋台めぐりでいっぱいになる前に向かうことにした。

本堂に向かうまでにも色々面白いお店があり、東門はドライブスルーになっていたり正月じゃないのにおせちが食べられるお重の塔とか、御朱印をケチャップで描いてくれる巫女メイドとかを通り過ぎて本堂にたどり着く頃にはもう気分的にお腹いっぱいになっていた。トリコの世界に行ったらどこに行っても飯に待ち伏せされているようで気が狂っちゃうかもなあとぼんやり思った。

本堂は入場料が必要な形のバイキング会場になっており、和洋折衷四季折々の精進料理がずらっと並んでいた。さっそくお金を払ってお盆を持ち、山菜や豆を中心とした目に優しい皿たちをひと通り見て回っていたところ度肝を抜かれた。唐揚げやシーフードピラフ、モンブランタルトなどのギラギラした料理も普通に置いてある。いや普通に置いてあるならなんの問題もないのだが、どの料理も「精進」させられている。唐揚げの衣は脱がされ、裸の肉があぶらとり紙のような懐紙でくるまれている。かなりサイコだ。ピラフも頭を丸めてお経を読んでいるし、モンブランに至っては悟りを開いて解脱してしまったのか菩提樹に殻ごとぶら下がっている。まともな料理人の作とは思えない異様な料理を目の前にしたあなたはSANチェック。

CCB<=64【SANチェック】
(1D100<=64)>43>成功
減少無し。

私が料理に呆然としながらサイコロを振っていると住職らしき人が現れ、宜しければ堂内を歩きませんかと勧められた。断る勇気がなかったのでついていくことにした。バイキング会場の先へ進むと意外にもそこはいかにも普通の寺院といった木造建築の様相を呈しており、少し安心した。住職は更に奥へ奥へと歩きながら飲食寺について詳しく教えてくれた。コン、と庭でししおどしの音が鳴る。

「この寺は元々、大乗仏教の教えを守る普通の寺だったんです。ある日、住職候補のひとりだった逆善僧正(さかぜんそうじょう)という人が住職になる試験のようなもので百日間の断食を行ったそうです。この逆善僧正は弟子たちからの信頼は厚いもののえらい大食らいで、食べることが仏の教えよりも何よりも大好きな人でして。」
その時点で住職になるにはどうなんだ、と思わないこともないが黙って頷いていた。
「しかもこの試験が、心の強さを試すため本人に知らせず突然土蔵に閉じ込めるという過酷なものだったのです。その内容や長さについても当時の住職しか知らなかったので逆善僧正だけでなく同じように別の蔵に閉じ込められた次期住職候補たちも軒並み混乱したようです。」
なるほどこの寺がサイコなのは今に始まったことではないと見える。しかしこの手の修行話は信仰心の無い部外者からするとただの拷問では?と思ってしまう。しまわないか?

 「ただ、僧侶たるもの過酷な修行には慣れていますから、数日もしないうちにこれは修行なのだと気付いてほとんどの者が平静を取り戻したそうです。経を読めるくらいにまで落ち着いた者には蔵の小窓から水や豆などが定期的に与えられ、百日後にはどの僧侶も無事断食行を終えて蔵から出てきたのですが……。」
ごくり。コン、じっとり。
「逆善僧正だけはずっと落ち着く気配がない。腹が減った、苦しい、ここはどこだ、いつまで閉じ込めるんだと毎日喚いている。と思ったら急に静かになり、爪を噛む音が聞こえてくる。二週間ほどして他の者がすっかり読経をするようになっても落ち着かないので、このままでは死んでしまうので仕方なく水や豆を与えたところ、誰よりも早く食べ終えて空の皿を蔵の窓から投げ、足りない足りないと喚き散らしたそうです。欠けた皿には隅まで舐めとった跡があったとか。生きるのに必要な最低限の量しか与えていませんから足りないのは当然なのですが、逆善僧正の卑しさに腹を立てた住職は百日経っても彼を土蔵から出さなかったようです。」

鶯張りの廊下をずっと歩いた先で、本堂の最奥部と思しき部屋に着いた。そこは黒檀の観音扉と大きな閂で閉じられており、住職は閂を外すと重たいその扉を押した。

「断食行を終えた僧侶たちの中から次の住職が決まると、寺はちょっとした大団円のムードになり、その騒ぎは土蔵の方まで聞こえたそうです。そのとき逆善僧正は自分が除け者にされていると深く傷つき、土蔵の扉を激しく叩いたそうですが誰もその扉を開けませんでした。鍵は住職が持っていたし、何より寺全体でなんとなく、逆善僧正はどうしようもないやつだという雰囲気ができていたのだと思います。これは私の想像でしかありませんがね。」
仰々しい扉に比べるとそこは随分狭くて暗い部屋だった。黴臭いような匂いが木の香りと混ざってなんともいえない場所だったが、四畳半程もない部屋の奥に置かれた、というより祀られた『それ』はいやでも私の目に付いた。

「日に日に僧侶たちから逆善僧正への目は厳しくなり、特に修行を無事終えた者たちからは弱虫、卑しい豚、仏の教えを守れない煩悩者と蔑まれていたようです。日に日に逆善僧正の声は小さくなり、あるとき彼は喚くのをやめました。苦行の果てに心を落ち着けたのかもしれませんし、ただ単に体力が限界だったのかもしれません。彼が静かになっても土蔵は開けられず、その頃には彼を慕っていた弟子たちも含めほとんどの者が逆善僧正のことを忘れていたそうです。忘れたことにしたかった、のかもしれません。」

「逆善僧正の土蔵が開けられたとき、彼はもう死んでいました。身体中から水分が抜けほとんどミイラのような状態で蔵の隅に横たわっていたそうです。身体中あちこちを噛んだ痕が残っていましたが、噛みちぎる勇気は無かったようで、爪と髪だけがほとんど無くなっており、血の滴る指で壁にお経が三、四行だけ書かれていました。」

注連縄や御札で囲まれた金網の向こうに、長い釘で打ち付けられたミイラは空洞となった眼窩でこちらを睨んでいる。その口は大きく開かれ、何かを訴えるようにも噛み付こうとしているようにも、助けを求めているようにも見えた。

「逆善僧正は仏教において非常に徳が高い即身仏となり、死後改めて大僧正の名を冠してこの寺の宝となったのです!それ以降この寺は名を飲食寺と改め、逆善大僧正の教えにならって人々に食べ物を美味しく食べてもらう風習が根付いたのです!あぁ、この美しい姿を見てください、これぞ僧侶のあるべき姿だ!私もね、今年即身仏になるんですよ!その時は見にいらしてください、ご馳走を用意してお待ちしてますから、まぁ私は食べられませんがね!アハハハハハハハハ……」

飲食寺を後にした私は、腹は減っていたが食事をする気分にはなれなかった。そのまま駅に向かい、キオスクで炭酸水を買って帰った。
逆善大僧正のミイラは、普通の即身仏とは明らかに様子が違った。餓死して干からびたにも関わらず、何故か太っていた。薄汚れた骨は肥大化し、頭蓋骨も前に横に下に広がって、体を覆う袈裟は風船でも入れたようにぶくぶくに膨らんでおり、それでいて全身から生気という生気を吸い取るような虚ろな瘴気を放っていた。
逆善大僧正は、土蔵に血文字でお経の他に最後の力を振り絞って文章を残していたらしい。
「他の者にしてみれば、拙僧の嘆きは大袈裟に聞こえたかも知れぬ。さりとて同じ苦しみを知る者が他にあろうか。ものを食らうよろこびと、それを失うつらさは拙僧だけのもの。ここから出られたとて、以前のように生きてはゆけぬ。もっと生きて、もっと皆と話して、もっと食ろうて、もっと、もっと、もっと……」
それ以降は同じ言葉がしばらく続いてから途切れていたという。

なお、飲食寺の住職は脱税と横領の疑いで書類送検された。堂内の捜索に踏み込んだ警察に発見された逆善大僧正のミイラに心臓マッサージと点滴を行ったところみるみる蘇生し今では普通に生活できるようになった。現代医療、恐るべしである。逆善大僧正はときどきインスタに家系ラーメンの画像をアップしている。

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