遭難する、ということ
昼のニュースで突然、山岳遭難のニュースが飛び込んできた。
K2という世界第2位の高峰で日本人登山家二人が滑落し、安否不明だというのだ。
その登山家の方とは、ちょっとした縁があったので、本当に驚き苦しくなった。
つい最近のとあるニュース番組で、その人はK2にかける静かな情熱と、大切な家族とのひと時を語っていたばかりなのに。
なんという運命か。
本当にお二方ともご存命であることを心から祈りたい。
本当に今年は山岳遭難が後を絶たない
異国の山ではない、日本の山で。
登山家でもなんでもないふつうの山好きの。
毎日、遭難のニュースを見聞きする。
遭難したときの心境はどのようなものだろう。
誰も自分が遭難するとは思っていない。
登る前も登っている途中も下山している間も
無事に下山を終えて、リラックスしている自分を思い描いて歩いている。
山下りたら何食べよう?
山下りたら温泉だ!
山下りたら、とにかく一服しよう。。。
明日は仕事だ〜筋肉痛だ〜
ところが、一瞬の間に全てが変わってしまう。
それが、遭難だ。
ここでは、遭難しないためにはこうした方がいい、
ああした方がいい、という話はしない。
そんな遭難回避術は数多の媒体で紹介しているので
別の話を。
私はありがたいことに遭難したことがない
けれど、登山をしているときに、
一歩まちがえれば死んでた可能性もあったことが何回かある。
道に迷いそうになってゾッとしたことも何度かある。
得体の知れない何かに引き込まれそうになったこともある。
どうして無事に帰ってこれたのだろうか。
まず、体力があった。
食べ物をいつも多く持っている。
水とお湯を持っている。
装備がしっかりしている。
ルートや天気など事前にしっかり把握している。
地図を忘れない。スマホの充電を切らさない。
常備薬を必ず持っている。
それとソロの怖さを知っているから、
難度の高い山には必ず相方と一緒に登る。
ふむふむ
よく考えてみると、いろいろあるものだ。
が、一番の大きな要因は、「運」「縁」だろう。
危ないとこまでいって無事に帰ってこられたのは、
「運」がよかったからだ。
その山で遭難しなかったのは、
その山との「縁」が遭難しない縁だったからだ。
もちろん、準備をきちんとして、体力も十分つけて、
その上での「運」と「縁」である。
神様と仏様のご加護もある。
こういうふうに言ってしまうと、遭難する人たちは遭難するべくして遭難した、
そういう縁がその山とあったから、というふうに聞こえてしまうかもしれないが、
遭難した人たちを貶めいているわけではないし、
遭難など誰もしてほしくないのが、私の本音だ。
未知の景色を見たいから新しい挑戦をするためにK2に登ると言っていた、
登山家のお二人。
K2という山ととても深い縁があるように思う。
でも、その縁が無事に下山できる縁であることを心から願っている。
本当に生きて帰ってきてほしい。