見出し画像

私はいつから馬鹿なのか

※注意…夜中に書いたらこんな内容になったってこと、多々ありますよね。消そうと思ったけど、一生懸命書いたからそっと載せておきます。

不意に、こんな疑問が浮かんだ。「私はいつから、こんなに馬鹿になったんだろう。」いや、頭が良かった時なんてないんだけど、でも確実に私の脳はいつからか考えることをやめてしまった。いつからか…。

3兄弟の末っ子。唯一の女子として産まれた私。団塊の世代と言われる親の元に産まれ、あからさまな男尊女卑の家庭に育った。両親は都会のデザイン会社で社内恋愛の末、次男のお人よしの父は独立して静岡の田舎に戻ってきた。バブルだったあの頃、デザイン会社を自営していた父は、毎晩ガウンを着てブランデーを飲み、兄には最新のテレビゲームを買い与え、田舎とは言え、自らデザインした家兼事務所を建てた。そんな父と家、出来のいい二人の兄が私の自慢で、家の中では唯一の味方の母に甘えて、私は特別な存在なのだと自尊心たっぷりの幼少期を過ごした。小学1年生の時、小児性の腎臓病で入院した時には、シルバニアファミリーや大きなぬいぐるみや織姫…。欲しいものは全て手に入ったうえに、「かわいそう」と家族中の注目と同情をかうことができて、私は一家の姫だった。

画像2

とは言え、二人の兄に勝てた記憶はなく、勉強もスポーツも芸術的なセンスも兄弟の中では私が最下位。学校で1番になろうと、地域で表彰されようと、何かの代表になろうと、それは既に兄がやった後。父はことあるたびに「1番になれ」と言っていて、そう言われたから1番になったのに、いつも褒めてくれるのは祖父だけだった。しまいには「女なんだから」と、勉強よりも料理や掃除をしろと言われる始末。令和の今では信じられないかもしれませんが、世の中まだまだそういう状況だった。

それでも、私は勉強が嫌いな方ではなく、スポーツも芸術も苦手な方ではなく、学校ではそこそこ褒められ、出来の良い二人の兄のおかげで先生の評判も良かったので、小中高とそれなりの成績を収めていて、部活動では中学でも高校でも部長を務め、生徒会にも所属して、まぁまぁ優等生といわれる部類にはいたわけですが、大学に進み、さぁそろそろ就職先を考えなければと思った20歳の時、「これからは自分の力で生きていきなさい」と父から言われた一言に必要以上にショックを受けてしまったのを覚えている。今思えば、小学6年の時にバブルがはじけ、自営業の父はパッタリ仕事がなくなり、それでも国鉄に努めていた祖父の年金のおかげで私は大学に進学できたわけで、父としては末っ子の私が成人したことに、自分の子育ては終わったのだとホッとしたのだと思う。でも、私としては父の言う「1番になれ」の言葉を信じて、小中高、そして大学も1番になれる場所を選んできて、これからどこで1番を取ればいいのか悩んでいる矢先の言葉。父にとっての応援が私にとっては最後通告だった。

父の言うとおりに「1番」を取ってきたけれど、私はただ「1番」をとれる場所に逃げてきただけで、この「1番」に何の価値もない。この先、私が「1番」をとれる場所など、どこにもなくて、学校や大学で評価されても、それは社会の評価ではないということを、私はもうわかっている。大学で「余暇」や「スポーツ心理学」を専攻していた私は、もう学校という枠の中でしか生きていけないのだと、大学卒業後は留学して「レジャー論」を極めようと一時期は考えていたのだが、両親は「いい加減にしてくれ」と、大反対。優秀な兄達のことならまだしも、Fランの私に留学など、させる価値はない。実際、兄が理系の大学院に進んで仕上げた論文に比べたら、私の卒業論文は小学生の作文みたいだった。これでも首席卒業だったんだけどね…。

画像1

まぁ、最終的には就職できたものの、半年で鬱になり、私はやっぱり社会では生きていけず、悶々とした20代を過ごしたのだけれど、考えれば考えるほど、闇は深まるばかり。自分が何者で、社会は何を求めていて、世の中がどうなっていて、宇宙がどうで、生命とはなにか…みたいな。ろくなインプットもないまま、再就職もできずに過ごした日々が、今の私を形成している。最終的に、鬱から解放されるためには、そうするしかなかった。『考えない』こと。馬鹿が解りもしないことを考えるから、鬱になる。だったら、考えるのをやめて、感情のままに生きようと。楽しいことだけ、やりたいことだけやっていこう。そう、私は最初の就職先で鬱になったことがきっかけで、その後10年考えた挙句に、考えることをやめた。

「いつから馬鹿なのか」の問いの答えは、「就職を考え始めた20歳の頃から」が答え。

あの頃、もっとまともな情報を手に入れて、自分自身の将来のことを考える力があったらと、最近の大学生を見ていてすごく思う。就活の仕方なんてほとんど知らずに、なんとなくテレビ局にエントリーシートを送ってみたり、スタバやスポーツクラブの会社説明会にいったのを覚えている。大抵場違いでよくわからないまま大企業の就活時期は終わろうとしていて、なんとなく友達と受けたスポーツクラブに引っかかったので、そのまま就職になったわけだけど、今だったらどうしてるかな。結果論で言えば、今の仕事にたどり着いたわけだから正解だけど、やはり留学の道を選んだかもしれない。クラファンすることか、バイトめちゃくちゃやって、自力で行く道を考えられたし、今なら、いろんな人に相談して決められたのに。

自分をどんな環境に置くかは、すごく大事。ここ数か月いろんなサロンに入って、インプットを増やしたことで、新しい出会いも新鮮な情報も、自分の中で整理できないぐらいに増えている。アウトプットも大事だけど、やっぱり一番大事なのは、良質なインプットだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?