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【アロハ!風呂は?】

たまたま北新地のお寿司屋さんで知り合ったご夫婦の娘さんが、ハワイで挙式をあげると伺い、参列しに行ったことに乗じたハワイの旅行記のようなもの。そろそろ海外旅行に行きたくなる。写真は陶芸作品の風呂蛙&レジンで作ったコロナもどき(共に自作)。


2016年12月某日
【飛べないパンダは、ただのパンダだ~ハワイ旅行・ダイジェスト~】
先週の木曜日夜から今まで、知人の結婚式に参列するためハワイへ行ってきた。
難波の「カレー屋バンバン」にてカレープレートに卵ビンダルと鶏軟骨キーマトッピングしたものに満足し関空へ。行きのフライトは6時間で機内映画で「シンゴジラ」「君の名は。」を観ていたら、案外あっという間だ。
常春な気候で、日が照るとさらっと暑いが、雨が降ると肌寒い。虹を毎日のように見る。隙あらば、ホテル「ロイヤル・ハワイアン」のプールと目の前の海を行き来して、ビールやマイタイを飲みながら過ごす。滞在中には亡き夫ぽんの夢を2回見た。ビニールハウス横で二人でいる優しく柔らかな夢だった。夫ぽんも、ちゃっかりちゃんと憑いて来てるのね。

到着した晩は「ラムファイヤー」のBBQ料理を頬張り、ロコモコ丼(ハンバーグ卵丼)やアヒ・ポキ(鮪の醤油マウイオニオン和え)も食べた。翌日の結婚式は海が見えるチャペルで行われ、ムームーを着て出席した。椰子の新芽とサーモンや、クラブチャウダー、モンチョン(島鰹)や生の海老が美味しいコース料理をいただいた。
夜は港の「チャートハウス」で花火を見ながら、蒸したロブスター、蟹、クラムチャウダー、アヒ・ポキ、ステーキ、アワビのクリームピカタを腹一杯食べる。

3日目はルームサービスでエッグベネディクトの朝食をしっかりとったあと、街並みを一望できる山頂や近郊のショッピングセンターに行き、昼にベトナム料理のフォー(薄切り牛肉、センマイ、アキレス腱、レバー、肉団子入り)をすすり込む。
午後からはダイアモンドヘッドに登山して、夕方にまた泳ぐ。夜は「アズーア」でスモークした魚のチャウダー、ぶ厚い島鰹の瞬間高熱ソテー、レモングラスガーリックライス、チョコレートケーキを平らげる。

・・・さらに次の日は、なんと人生初のスカイダイビングを体験した。高所恐怖症ながら、ノリと成り行きで参加したのだが、シンプルな造りのプロペラ機に乗って、ダーッと高度があがり、インストラクターと共に、空に向かってダイブした。
6人中1番目だったから、なんのシミュレーションも出来ぬまま、飛び降りる。顔を下に向けてしまっていたため、薄っぺらいゴーグルに、氷の粒が叩きつき、まさに激しく落ちて行く。かと思ったら、パラシュートが開き、ぐんと上昇し、ぐるぐると回されながら降りて行く。どこまでも地球は丸く、山並みと海が眼下に広がる。重力と空気抵抗が拮抗して、なんだかやみつきになりそうだ。

そして、遅いランチで「テディズ・ビガー・バーガー」で、ハラペーニョ、アメリカンチーズを足して、レアでハンバーガーを頼む。夜は「ウォルフギャング・ステーキハウス」にてTボーン・ステーキ、シュリンプカクテル、マッシュポテト、ほうれん草のガーリックソテー、ロブスターマックンチーズ(マカロニチーズグラタン)で満タンにして、今朝帰路についた。
ホノルル空港ではロコ・バーガー(ガーリックソース入り)を頬張った。機内食は、メインをステーキにしたが、ご飯(白米)が一番美味しかった。帰りは10時間のフライトで、映画「後妻業の女」と、またしても「シンゴジラ」を観て、それから一寝入りのあと「夜の写本師」乾石智子著を読了。軽食でファヒータ(トルティーヤで牛肉が巻かれており、サルサソースで食す)が出たが、それも旨い。

帰国して難波の「グリル清起」にてハンバーグステーキと豚汁で夕飯として、ようやく帰宅した。たっぷりと肉付きがよくなる。ハワイでは、観光客以外に物乞いの人もちょくちょく見かけたが、身なりがよく、街角にきれいに溶け込み、年中暖かいからか、どこか明るく堂々としていた。難波では、ごちゃごちゃした路地裏で、ホームレスがジャンパーを着込み寒そうだ。
良くも悪くもハワイは稀有な楽園のようであり、ロシア人も中国人も、アジア、ヨーロッパ、北欧、南米、北米など様々な文化が持ち寄られ、ポリネシアと同居している。受け入れながら、奪われず、歴史や自然と共に存在している。
経験したことが根付くまで今しばらく時間を要する気がして、それまで長い冬眠に入りたいが、すぐに仕事が待っているので、時差ボケを乗り越えるべく、まずは少し寝よう。


以下は上記をゆっくり伝える。
【クローズアップ・カルチャーショック~ハワイ関連その1~】
ある国においては、上面発酵した芳しいビールの瓶を紙袋に包む行為は、腐敗した死体をこっそりと極秘でくるむ作業に値するのだろう。一方で、他者に対して、感情があまり動かないまま、銃を向けるのは、1ドルのチップを渡すような軽さなのかもしれない。

てことで、海外旅行中の私にとってのチップ問題ははかり知れぬ。どのタイミングで、財布に手をやり、数ドルをつかみ、他者のサービスに対して手渡すかは。日本だと高額旅館で心付けとして、仲居さんに先に渡すことも、なきにしもあらぬが、アメリカ系の海外だとタクシーに乗っても、軽い店で食べても、ルームサービスを受けたときでも、チェックの際になんとなくついて回る、悩ましいモタモタ感だ。
ぽろぽろ小銭が落ちる。思わず、帰国後のタクシーに利用時には、私お釣り要らないから、がピックアップされる。私にそんなにお金が有り余っているわけではないが、より良いサービスに関して個人に還元させる方向性は、システムとしては了解できる。
しかして、日本だと精度の高いサービスの均一性が、問われたりするから、しかも受け取らないのが前提だったりするので、海外におけるテーブルごとに店員が目を光らす、まばらな狙いかたが、かつ、当たればラッキーな感じで、しかも普通にほがらかにあるのが、不思議で慣れない。

だから、私に活き鮑とか生鮪とか手作りの味ご飯おにぎりとかシフォンケーキを渡さないでおくれよ。饅頭が怖くなるときも、たまにはあるのだ。
心付けはお金や物ではなく、ただたんにその人の表情や表現を、ネガティブでもポジティブでもフラットにでも、みせてくれたらいいや。私はチップを貰えなくとも、恐らく給料分くらいは働いているからな(本当に?)。

【どこかに虹が~ハワイ関連その2~】
観光先のハワイは雨期だったので、毎日強い雨が、太陽越しにひとときザッと降る。あいだを縫うように泳ぎ、ウェルカムスコールを喜ぶ雨女がここにいる。さっと晴れて、二重にも虹がかかる。私はそれを何度も見上げる。ダブルレインボーには卒業と祝福の意味があるらしい。
ありありと思い出せるが、夫ぽんが肺癌で死んだ朝も、病室の窓から、珍しく虹が見えた。それを見たとき、今日が夫ぽんの最期だなと感じた。手をもう一度握り直して、指を繋いで、意識のないあなたの生命との引っ掛かりを、小さく温度で想った。死にゆくときも、植物の根っこをガシガシ掴んでいたあなたの手は大きくて、手のひらは厚くて、指は長くて、安心したのだ。
そして、この虹の向こうには、先に亡くなった、飼っていた黒猫のテロ、トロ、チロ達が迎えに来ていて、夫ぽんは猫まみれになるのだろうと。かつ生きているちま(妻)のことをいとおしく惜しみながら、見守る立場に変わってゆくのだなあと。

虹のふもとには、市場がたつらしい。それはカラフルで賑やかな、喧騒溢れる市場では、新鮮な野菜や獲れ立ての魚、生きていた肉、染められた布が次々売り買いされるだろう。現世の生活がありありと行き交う。

私は虹を見るたびに、懐かしく切なくなる。でも、ハワイでは、あまりにもドスンとくっきりと鮮やかな虹の橋がかかるから、渡りたくなる。ああ、でも、まだ渡らないよ、かすかにあなたが呼ぶけれど、そちらには間違いなく向かっているから、焦らせないで。いつもあなたはどこかに。私はあなたからこの先ずっと卒業できなくとも(むしろそのほうがいいし、望んでしまう)、いずれこの世から卒業するのだもの。虹は目を離した隙に、あっけなく空に消える。

【ハンバーグ祭り〜ハワイ関連その3〜】
ハワイに滞在中には、肉とハンバーガーをしっかり食べてきた。
とくに「テディズ・ビガー・バーガー」のハンバーガーは大層美味しくて、バンズとの一体感があり一個のまとまりと荒々しさとジューシーさが堪らなかった。パテの焼き加減もオーダーできるし、いろいろトッピング(ハラペーニョとアメリカンチーズを足した)が頼めるのも嬉しい。
普段ファーストフードのハンバーガーはそんなに食べないが、高額グルメバーガー系もどちらかといえば、個々の素材の良さは突出していても、トータルで満足できなくて、好んでは・・、だったが、この1個はぐわぁと食べてガツンと充実した。毎日食べてもいいかもなあ。

もしかしたら、カウンターでネイティブ英語しか通じなくて、めちゃくちゃ緊張して何とかオーダーが通ったから、余計安心して嬉しくて、美味しく感じたのかもしれないが、にしても、ハンバーガーはアメリカに限る、と思ったわけで。ロコモコ丼のハンバーグもやはり美味しかったし、牛肉や作り方など何が違うのかなあ?そんなに丁寧でなく、ざっくり作ってそうなのだけれど。日本の定食屋の何てことのないカツ丼や親子丼の旨さに通じるなあ。日常の胃袋にしっくりくる。

地元には地元ならではのなじみ深い味があり、ローカルフードは違う文化の異邦人の味覚にも、不覚にヒットしてしまうのだ。だから、私はこれからも、どこにだって行こう、何でも食べてやろう。
希望としては、アボリジニーの蜜蟻と蝙蝠のバナナの葉で包んだ蒸し焼きと、エスキモーのアザラシの肉とそれにわいた蛆と、アラブのラクダ・ターダッキン(ラクダ一頭の肉のお腹に、羊一頭、その中に鶏、そして卵と米を詰めて丸焼きにしたもの)などを食べてみたい。
美味いものを食べ尽くすなんて、あと百万回生を得ても、無理だろうからなあ。それくらい、食べるという営みは果てしなく、多様性に富んでいる。人種や民族のバリエーションより、国の数より、生物の種類よりも、食べ物のメニューははるかに多いもの。ああ、でも本や物語の数には劣るのかな、どうだろう?

さて、帰国後数日経た、この夕飯は行きつけの魚屋で島根県産の鮟鱇を勧められたので、内臓とゼラチン部分多目で一人前をと注文したら、肝、とも(胸びれ、尾びれ)、水袋(胃)、皮をがっつり入れてくれた。だから、鮟肝を味噌と酒で炒って、どぶ汁を作ろう。ぷるぷるとふるえるゼラチンにかじりつきながら、じゅるじゅる喰らう。うむ、こればかりはハワイでもドバイ(←行ったことないけど)でも食べられぬ。

【足付き紙飛行機・アッシー~ハワイ関連その4~】
人生初のスカイダイビングは、今年一番のマイ・ニュースだ。12月上旬、ハワイで200ドル払って、空から落ちてきた。そもそも私は高所恐怖症で、高いところは煙と何とかしか昇らないと思っている。とくに自力を必要とする吊り橋や崖っぷちや屋上が苦手だ。運動神経がアレなので、協調運動が苦手なので、自身の能力に自信がない。自分から足を思いきり踏み外しそうで。
でも、他力なジェットコースターは高くても平気だ。もはやベルトと機械に身を委ねてしまえば、何かあっても私の衝動のせいではないから。ゆえにスカイダイビングは、インストラクターに任せてしまえるから、意外とハードルは低いのだ。

とはいえ、ビデオデッキで流れる髭の老人が語る「事故があっても文句言うな、家族にも訴える権利はない、スカイダイビングのショップはここだけではなくあなたには選ぶ余地がある」といったムンテラを受け、同意書に9回サインして、とてもシンプルなハーネスを装着され、1分ほどのレクチャーをインストラクターから受けて、放置され待機していたときの気分は、もはや諦感だ。
刺青たっぷりな海賊のようなインストラクターより英語にて、彼「スカイダイビングは初めて?」、私「はい」、彼「イッツイージー」腕をクロスして落ちて、そうしたら両手を広げて足を海老反りに曲げよ、着地時には足を上げておけ、以上。
簡易セスナ機に乗せられ、平均台のようなシンプルな椅子にまたがり、上空に飛び立つ。飛び降りる6人プラス後ろにつくインストラクター6人が乗り入れ、瞬く間に高い空に飛行機は浮かぶ。
カラカラとプラスチックな窓ぐらいの扉が開き、私は一番手だ。はい、どうぞ。ひゃ〜青い空に霧状の薄く白い雲、その空間へ身を投じる。躊躇する隙もなく、あっと言う間に。
ぐんぐん落下する。顔を下に向けていたせいで、ペラペラの安いゴーグルに、てちてちてちと氷粒が叩きつけられる(本当はすぐに顔を上げるべきだったようだ)。目に入ったらえらい(大変な)ことだ。数十秒程度だったが、十分に思えるほど堕ちる。重力と空気抵抗のあいだで、私は地球の引力を感じる。見渡すとハワイの海と山が遠く広がる。弧を描く水平線、なんて私は重くて小さな粒なんだろうか。
パラシュートが開いて、少し上昇し、そのあとは旋回しながら、ぐるぐると景色を眺めつつ降り行く。お尻と太股に食い込むギチギチのハーネスで、まさにタコ紐に縛られた焼豚(チャーシュー)状態だなあ、と若干余裕ができる。ぐいぐいと下がりながら、地面が近くなる。足を上げる。着地した、以上。

折り紙に足付紙飛行機というなんとも可愛らしいモチーフがあり(ぜひググってほしい)、まさにそんなモービルの一機になった気分だ。その折り紙の足付紙飛行機の名称はアッシーというらしいが、亡き夫ぽんの名前はアツシだから、尚更愛しい。
たぶん夫ぽんが生きていたら、スカイダイビングなんてチャレンジしなかったろうな、仮に反対しなかったとしても。でも、夫はすでに死んでいるから私は平気だ。遺すことになる人がいたら、私はもしも99パーセント安全と言われても、やらないなあ。
そんな矛盾を抱えつつ、見たばかりの体験したばかりの世界の一端を楽しいと感じ、すぐにでももう一度飛びたいと思う。

あなたは言う。ちま(妻)をそちらに遺して逝くのは、心残りだが、遅かれ早かれいずれこちらに来るのだから、安心してその世に放り出したままにしておける。待っているさ、たぶん。必ずこっちに来てくれるから。その世のことは、その世で解決するよな。
私は私の持つ荷物や関与できる能力を、この世界に置けるだけ置いて、何も持たずにいずれそっちに行く。それまでは、私の身体や脳みそや魂を導管として通じてこの世界にアースして、持っているスペックをこの世に卸してゆこう。

記憶は鮮明で、あなたとのメモリーは真空パックに封じられいつでも開く。結界とは魔や邪を退けるためではなく、人間界の現世でのノイズをできるだけ小さくして、異界と結ぶための扉を開けておくための方策だ。私は部屋のあちらこちらに複雑に結界を設け、濃く深く面倒くさく混沌の赴くまま、地下のマグマに繋がる。火と地はそこで融合し、水と風は遠く空高くで出会う。
あ、私にとっては、スカイダイビングよりも美容院に行くほうが、ハードルは高いかもな。どうにかこうにか、先週美容院に半年ぶりに行き、白髪を染めたんだった。よいお年を(あと何回も言うかも知れぬ)。

2012年9月某日 この頃は、夫も祖母も生きており、私はまだハワイに行ったことがなかった頃。
【ハワイの夢】
昨晩は早く寝なきゃと思いつつも、車中でうたたねしたせいか眠くならない。「七つ橋を渡って〜闇と癒しの百物語〜」小原猛著(ボーダーインク社)を読み始めたら、止まらなくなり最後まで読んだら、三時を回っていた。塩を舐めて寝付く。


ハワイ島に女友達と来ている。朝早く起きて、ホテルのプールでもう一回泳ぐぞと思って、布団に横になる。何かが隣りに来て、横を見ると小さい男の子がいる。ぱっとみたときは赤ん坊のようだったが、次に見ると少年であり、くっきりした目をきょろっとさせている。私の知ってる人の亡くなった魂だわ、と思い、その子に向かって、あの友達のお腹に入りな、また会おう、と念じる。少年の気配が消え、女友達が妊娠してできちゃった結婚をする未来が浮かぶ。
しばらくすると、今度は何者かが私の体に乗っかる。首を前に曲げられ、幽体離脱のように私の魂だけ引きはがされ、ぶわーっと浮かぶ。風圧が強く、でも勢いよく室内の上方へ浮かび上がり、ぐるんぐるんとでんぐり返りをするように空中を転がり始める。どこか重力を感じつつ壁や窓をすり抜け、何部屋かをぐるんぐるんと回転しながら移動する。私の影のようなものが壁に映るが、奇妙な多肉植物のようにくねくねと枝をいくつも生やした真っ黒な大きな影だ。
一周して元の位置に戻り、自分の体に入る。ほっとしたのもつかの間、またぶわーっと浮かび、もう一周する。三周目にさしかかり、これはどうにかして止めないと、と思う。なるべくこれを恐怖と感じず、淡々と対応せねば、と感じる。ある部屋に差し掛かったとき、ここで降りろ〜と、ぐるぐるでんぐり返りをしながら進む私の幽体自身に向かって唱える。ぐっと力がこもって床の畳に着地するが、浮力が強くすぐ浮かぼうとする。
そこへ力強い男性の声が響いてきて、すいきょ(推居)の姿勢をとれ、と聞こえる。すいきょがどういった姿勢かわからないが、運動会の時のクラウチングスタートのポーズを取り、畳を両手で掴もうと努力する。そうしたら、隣室にいた女友達が私の体の異変に気がついたらしい。私の体は仰向けになり両手両足を上げて、どたんばたんと左右に振り子のように振れている。体は熱く熱を持っている。女友達がまた変なものに憑かれたね!と苦笑し、戻すための方法を思案している。私の魂は肉体に重なりふらふらと立ち上がり、友達に向かって大丈夫だから心配しないで、とぼそぼそと口を動かす。しかし、まだふわふわと魂が抜けそうで、友達からもその不安定さがわかるよう。
祖母が呼び出され、祖母はこれは「しゃっく(灼苦)」と言ってマジムン(魔物)の一種が取り憑いているから、「しゃっく」を離すためにすいしゅ(推手)で背中をこすらないと、と言って、祖母は手を私の体の背中に当てる。私の魂がどすんと肉体に還り、いきなり魂と肉体の感覚が一致する。はあ、やっと戻れたと思ったら目が覚めた。ああしゃっくりってのは、しゃっく(灼苦)が離れるときの横隔膜の痙攣で、灼苦離なんだわ、と思う。

左腕の感覚がどくんどくんと脈打ち、夢だったことが信じられないほどのリアルさに圧倒される。まだチューナーが壊れたみたく、断続的に言葉が入ってくる。困ったなあと思っていると家の外で、錫杖を振るような金属音でシャーンという音が三回聞こえる。その後、自転車のブレーキをかけるような音が聞こえたので、朝方だけど近所の人かな?と思うが、その後はシーンとしている。
なぜか安心して再度眠りにつく。何か夢を見たが覚えていない。いつもよりも早い時刻に起きて、缶詰め研修に向かう。現在お昼休み中。


・・・アロハー。

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