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【沖縄と胃袋、猫だけどワン】

多分、沖縄がすごく好きなんだ。多分、としか表現できず、断言したくないほどに、愛しているのだろう。亡き夫ぽんは飛行機が嫌いやったから、一緒に行けずじまいだった。ひたすら空腹を満たし続けた、飽くなき愛ゆえ飢えの足跡。あいうえお。

2016年10月某日
【でーじ、まーさんどー(沖縄の方言で、とても、おいしいよの意味)】
Amazonに注文していた「イラスト版・子供のストレスマネジメント・自分で自分を上手に助ける45の練習」伊藤絵美著が届く。コーピングやマインドフルネスを含む認知行動療法を自分で楽しくワークできる仕組みが満載で、とてもわかりやすい。さっそく外来に持ち込んで、使ってみようと思う。
しばらく仕事が立て込んでいて忙しいが、いい本に出会うと、ワクワクしてくる。食指がピッピと動く。

ついでに塩にまぶしておいた霧島豚の三枚肉塊で、ラフテーを作ろう。青ネギ、生姜とで1時間ほど下茹でし、取り出して大きめに切る。泡盛と水で煮込み、昆布、黒砂糖、鰹出汁を足して、クツクツと炊く。のんびりと待つ。
その間に、鮪の刺身と焼き油揚げ、ニラと豚小間炒めで夕飯を済ませた。私にとっては料理が、すぐれた自助活動になっているなあ。脳も筋肉も五感も胃袋も、タフに使って、料理という日常生活の一部でありながら、泡盛が香りたつと遠く沖縄に飛べる。

ハバ・ナイストリップ、飛ぶならばなるべく重力を感じたい。しっかり身体の重心を低くして、地下に落ちる。潜って、黄泉の国へ、探って、あなたの気配を。
通り過ぎる一瞬を、あの日々を振り返らずには進むことができないから、亡き夫ぽんとのことを、あえて根を詰めて思い出して、記憶をフラッシュバックさせる。追い鰹ならぬ、追いメモリーだ。しっかり泣き濡れて、明日への鋭気を養う。そして、丁寧に煮込み、醤油で味を決めたラフテーは、きっちりと美味しいのだった。

・・・そして、この少しだけ過去へ。

2016年9月某日
【沖縄1日目~遠隔操作~】
那覇市に一人、夏季休暇でやってきている。3年ぶりくらいだけど、沖縄には10数回目かなあ。ひさびさの仕事の絡まぬ完全オフだ〜と喜び勇んでいたが、折しも近しい親戚が精神的にまったくもって不調であり、その相談の電話に若干追われている。ゆえに、ひたすら民宿にこもって本を読んでゴロゴロしようかなという目論見は、あっさり崩れさるだろうから、むしろじっとするのは諦めてガシガシと壺屋を歩いて、片っ端から焼き物や骨董を見て回る。

突き刺さる日差しはやはり南のものであり、影は濃く、花は鮮やかにふち取られている。さっと通り雨ののち、何食わぬ顔でまた光が強く溢れる。猫はニョキニョキと生える緑の木陰をトコトコ歩き、私は汗で塩まみれになってゆく。
金曜日の昼間は牧志公設市場で、アサヒガニのネギ塩炒め、イカスミ汁定食を食べ、夕方は安里駅近くの「美咲」で、山羊刺身、島らっきょ、山羊汁(臓物ゴロゴロしようかなとかか)を泡盛でやった。それから「ルフューズ」でスプマンテ片手に、豚肉ハム、秋刀魚のオイル漬け、水茄子サラダ、豚バラ肉の米粉蒸しを胃袋ギリギリまで詰め込んでいる。甘めの味付けなので、酒飲みにはちときつい。

なんて感じで過ごしていたらば、夫母の耳に虫が入ってしまったと電話が来る。急ぎ地元の耳鼻科に問い合わせたりして、なんだか普段よりも気忙しいんだけれどもな。
だけど、楽しい。今回は夫ぽんの骨を少し持ってきたから、粉々にして、沖縄の海にちょっこし撒こうと思う。亡き夫ぽんに操られるままに踊ろう。

【沖縄2日目〜姑息な目論見~】
朝7時に夫ぽん実家から連絡が来て、無事自然に夫母の耳から虫が去ってくれたと言う。ホッとする。安心したらば、腹が減っていることに気が付き、朝食をとりに、市場に繰り出す。
「台湾風粥専門店 阿里」(※もはや無き2023年現在)にて鶏粥にピータンとワンタンをトッピングして、辛いタレをかけて食べる。エシャロット、セロリ、パクチーやザーサイ、揚げパンが載り、ぷっくりとしたワンタンが3個入って、コクがあり旨い。滞在中に再訪したいものだ。
それからぶらぶら小路を歩き店をひやかしながらうろちょろして、「呉屋てんぷら屋」でモズクの天ぷらを買い食いし、モノレールに乗り首里へ向かう。

ジャストでお昼時になったので「首里そば」にて、沖縄そば(小)、じゅーしー(炊き込みご飯)、煮付け(大根、厚揚げ、昆布、豚肉)をオリオンビールで食べた。
首里城は過去に2回訪れたことがあるので、今回は玉陵(たまうどぅん、代々の琉球王の墓)や金武町の石畳道を行き、大アカギの木に蚊に刺されつつも挨拶する。

夕方にたまたま本屋さん(沖縄県産本を購入しまくる)のコラボ・キャンペーンで手相を視てもらい、どうやら私は周囲に支えられ、美しいものや美味しいものに触れながら、死ぬまで一生仕事をし続けるらしいと判明した。しかも50才からは勤務医と自営とほかにもうひとつ掛け持ちをしながら、仕事をまっとうするようだ。
その後「美榮」で琉球料理のフルコースを堪能する。豆腐よう、オカワカメの酢の物、蒲鉾各種、ポーポー、中身汁、クーブイリチー、ジーマミー豆腐、芋くずアンダギー、ラフテー、ドゥルワカシー、ミミガー和えもの、ミヌダル、トンファン(豚飯)などを古酒(クースー)やフーチバー酒でいただく(どんな料理かピンと来たなら、あなたは相当沖縄通)。
「バー坂梨」でスイカのソルティドッグ、スモークブラッディメアリー、ティラミスカクテル、ウンダーベルグの炭酸割りを飲み、安里へ河岸をかえて、「べんり屋玉玲龍」で焼き餃子とオリオンビール、さらに「美咲」(気に入ったのでまた入る)で島らっきょとイカスミ汁を食べて、ようやっと宿に帰る。
15000歩を歩いているとは言え、少々(?)食べ過ぎだ。宿でささやかに部屋の4階まで階段を上がり、カロリー消費にいそしむ。

【沖縄3日目〜タイミングは流れるように~】
日曜日は朝7時に那覇市を出て、恩納村真栄田岬にある青の洞窟へシュノーケリングに向かう。極めて晴天で、ショップのお姉さんも、海のコンディションが久々に良いですよと太鼓判をおしてくれる。観光客で溢れかえると青の洞窟ではなく、フィンだらけで足の洞窟になるらしく、ポイントに入るのに30分待ち立ち泳ぎのこともあるようだが、幸いにも空いていてスイスイ泳いで入れる。
洞窟の中、青く浮かび上がる海水が様々な人々を迎え入れ、心を広く開かせてくれる。ダイバーの泡がボコボコと下から浮いてきて、それもまた美しい。こんなに人がじゃんじゃんやってくるのに、魚たちは群れをなし、自分達のリズムで泳いでいる。惜しみ無くおおらかだ。

昼は「ちるり」で辛!ビビン麺(盛岡冷麺を使った冷やし混ぜ麺)に島唐辛子ペーストを突っ込んですすりこむ。さらに重ねて公設市場でマングローブガニと椰子ガニを購入して、2階の「がんじゅう堂」で、味噌汁と蒸しに調理してもらい、殻と格闘しつつ汁を腕まで滴らせながら、泡盛で食べる。
それからマッサージ屋にでも行こうかと思ったが、結局うろうろと歩き回っていたら、偶然にも連日訪れていた山羊料理屋「美咲」の女将さんに声をかけられる。サングラスをかけていたから一瞬誰だかわからなかったが、「あれ〜こんなところで〜、ほら、私、山羊屋の〜。いつまでいるの〜?今日はお店休みだけど明日は開いてるよ〜」なんて言われたら、行きますよ月曜日に。
そのあと国際通りの大道芸やエイサー演舞を観て、クバでできた鞄や花笠の形の琉球漆器や古酒などを買い、宿に引き上げる。洗濯物を干したり、本を読んだりして過ごす。

夜になり安里へイタリアンの予約をして出向くが、あろうことか携帯を宿に忘れてきてしまい、取りに帰るのも手間だったので、栄町市場周辺をぐるぐると探すが、いかんせん場所もレストランの名前もうろ覚えのため、当然のことながら見つからない。
先日お邪魔したbar「ルフューズ」に駆け込み、「ア」から始まるイタリアンのお店ってこの辺りにありませんか?と泣きつく。ああ、「アルコリスタ」ですね、前の道をまっすぐ行って、右に曲がって左手ですよと、ご親切に教えていただく。
無事たどり着き、スパークリングワインで、鯖のリエット、海老のアメリケーヌソース・リングイネにありついた。なんとなく山羊も食べたかったので定休日な「美咲」の2軒隣の「山羊料理二十番」の扉を開ける。「さっきまで満席だったけど、ちょうどすっかり空いたとこよ~」とお店のおばちゃんに言われ、ありがたいと着席する。山羊刺身と山羊汁を堪能し、後から来たお客さんが注文したチーイリチャー(山羊の血の野菜炒め)のお裾分けをいただき、すっかり山羊臭くなり満足して宿に帰る。

さて冷房を入れるべくコインを10枚連投して(沖縄の民宿では冷房は1時間100円で使えるようになっていることが多い)、あとはシャワーを浴びて寝るだけだ、とリモコンのスイッチを入れたが、うんともすんとも言わない。なんと、ちょうどリモコンの電池が切れたようだ。民宿の1階で管理人さんの呼び鈴を鳴らすも反応がない。仕方なく4階の部屋に戻り、携帯から電話を入れたら、夜間の当番らしい担当の人が出て、宿の人はもう寝たのよ~と言われ、はじめ要領は得ぬものなんとか単4電池を持ってきてもらえる運びとなった。ようやく冷房も稼働し、心置き無くひんやりできた。
なんだかんだで良い流れで遊泳している感じである。

【沖縄4日目〜重ねがさね~】
月曜日は朝から波上宮に向かう。11時前に道すがら「玉那覇ウシ商店」でソーキそばと、じゅーしー(豚肉入り炊き込みご飯)のセットをオリオンビールで食べる。手打ち麺でさらりと旨い。神社にお詣りしておみくじを引いたら大吉が出た。積極的に動くとよいらしい。波上宮の崖下の祈りの場に離れたところから一礼し、ビーチをほっつき歩き、散歩がてら本屋に寄る。またしても沖縄県産本を購入し、どうしよう多分本だけで10㎏近くになるんじゃなかろうか。
少々胃袋に空きが出来たので、2時過ぎに豆腐屋さんがやっている与儀の「島ちゃん食堂」に行き、麻婆豆腐定食に挑む。なみなみと皿に盛られた麻婆豆腐andご飯に、ジーマミー豆腐、おから詰めのおいなりさん、漬け物、ゆし豆腐汁が付いてボリューム満点だ。さすがにこれ以上は動けない。
宿に帰ったら雨足が強くなり、急いで洗濯物を取り込む。そのあと、宿の前の那覇高校の学生達の部活動に励む声をBGMにしてごろんと昼寝した。

夕方になり桜坂に出向く。この辺りは再開発されて、すっかりいかがわしさが薄れてしまった。桜坂劇場でにっかつロマンポルノ「ラブホテル」相米慎二監督のDVDと、フェアトレードのインドの布を買った。桜坂劇場はお洒落なアングラ系カルチャースポットになったが、昔よく行っていた「新茶屋」も裏手に移転して、小綺麗になっている。ニンニクがたっぷり混ざった餃子をビールで流し込む。

ついでに界隈のスナックに入ってみるのも一興かとちらと思うが、やはり足は山羊料理屋「美咲」に向かう。安里までモノレールで出てお店へ。
すっかり馴染みになって(4泊5日の滞在で3回目だものね)、山羊刺身と島らっきょ、ヘチマの味噌煮を頼む。ヘチマの味噌煮は、島豆腐や挽き肉やニラも入り、美味しいのだがここは沖縄、がっつりと量が多い。山羊汁まで入るか心配だったが、強靭な我が胃袋はしかと受け付けてくれたのだった。常連客らしいおじいさんに「お姉さんはヒージャー・ジョーグ(山羊が大好物)ねえ~山羊のフルコース食べてるね」と言われつつ、一滴残らず完食して店を出ようとしたら、女将さんが油味噌をお土産に下さった。那覇に来たら、また寄ります〜とほろ酔いで店を後にした。

宿に戻り、荷造りは翌朝でいいやと、化粧も落とさず、そのまま寝落ちする。窓の外は風が時おり強く吹き、雨が叩きつける音が響く。顔から山羊臭が立ちのぼる。

【沖縄5日目〜辿り着く先に〜】
沖縄最後の夜は、何度か夢で目を覚ます。ぼんやりした意識の中、つらつらと考える。沖縄は古層とのアクセスが今なお濃く強くなされている地なのだろう。民間においてこそ、広く深く日常の中に紛れ込み交差しながら。だから、妖怪や霊や神といった形で、そこかしらに磁場や古層が顔を出す。そして、現在のこの世の人々と遭遇し交流することで、また新しい物語が生まれ、語り継がれ、生命力を持ち、息づいていくのではないか。
生きている人々が次元の違う存在を当たり前のことのようにも感じており、かつ敬い祈るがゆえに、さらに存在達は、はっきりとくっきりと浮かび上がる。沖縄の歴史や文化や自然について、つゆ知らぬ旅人が訪れても、人々の念の深さと自然の織り成す力が相まった時空間の濃密さに、すっかり引き込まれてしまう。海に浅瀬と深海があり、生き物達が棲み分け、海底から熱水が吹き出すところや、海流の流れがあるように。
そんなことを脈絡なく、夢の狭間でうつらうつら思っていたら、閉めきった板の間のほうで、パーンと破裂するような音がして、驚いて寝ぼけつつ見に行くと、流しに置いてあったはずの、うっちん茶(ウコン茶)のカラの1.5リットルペットボトル容器が床に転げ落ちていた。ゾクリとしたが、多分大気の低気圧の影響か何かで、内圧が高まって弾け飛んだのかな、と思うことにして、布団をすっぽり被って寝た。

朝起きるとそこそこの暴風雨で、とりあえず荷物をまとめる。とにかくたくさん買い込んだので、スーツケース(33㎏)と紙袋3つを抱えて、階下にえっちらおっちらと運ぶ。宿を10時にチェックアウトし、飛行機は夕方6時過ぎの便だったが、雨足も強いことだし、もう思い残すところは無かったので、とりあえず空港に向かうことにする。空いた時間はマッサージやら読書でつぶそうと思う。
先に搭乗手続きだけしておこうとしたら、夕方の便が台風の影響で運行しないかもしれないとのことで、予約便変更手続きが手数料不要で可能だとわかる。渡りに船とばかりに昼12時の便に替えた。「空港食堂」(那覇空港1階の南端に、こっそりある職員御用達のローカルな食堂)でオリオンビールとネパールカレー弁当を食べ、土産物屋を物色して、搭乗し帰路に着く。
本日火曜日6時に無事帰宅、ただいま。台風がちょうど夕方に沖縄辺りに来てるものだから、機会を逃したらば帰れなかった。亡き夫ぽんの神通力が働いたおかげかなと、早々に祭壇のお茶を取りかえた。あなたのもとへ帰ってきたよ、ありがとね、明日からまた仕事に励むよ。ん。

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