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【玉川温泉の気持ち】

秋田県田沢湖国立公園内にある玉川温泉。湯治をめぐる小さなひとり旅。

2017年10月某日
【かの玉川温泉・その1~はじめに~】
週末は秋田でデイケア学会が開催され、木曜日夜遅くに遠路はるばる訪れた。初・秋田県にして、珍しい郷土料理やら何やら食べちぎる。恋い焦がれてきた、なまはげも見に行く。
・・・など有休もくっつけて満喫していたが、それらの件はまた書き記すとして、日曜日午後、台風の近付くさなか、玉川温泉に行った。二泊三日とってあったのだが、ど真ん中の月曜日が、ばっちり台風の影響で風雨が著しく、ウェルカムシャワーにしては激しすぎる。

なぜ玉川温泉かというと、(肺癌で亡くなった)夫ぽんの生前に、二人で山辺の蕎麦屋に行った際、お店にあったマニアックなラインナップの本棚に「玉川温泉ガン闘病日記」という本をたまたま見つけ、蕎麦を待つあいだパラパラ読んで、そのとき既に肺癌ステージ4とわかっていたので、「秋田の山奥か・・・でもなあ・・・」と夫ぽんは呟いた。
結局玉川温泉には行かないまま、夫ぽんはあの世に逝ったわけだが、秋田に行くこの機会に、ここはひとつ私が出向こうじゃないの、実際にどんなところか体験しようと気合いで足をのばしたのだ。しかして、この温泉が激辛ならぬ劇酸な湯なのであった・・・。

【かの玉川温泉・その2~宿状況編~】
さて田沢湖駅から路線バスで揺られること70分、バス内は誰しもが湯治(もはや闘治)を目的に目指している。玉川温泉には一軒の宿しかなく、リピーターばかりのようだ。食堂や温泉で出会ったメンバーをざっと見る限り、内訳はリピーターが8〜9割、初心者が1〜2割といった印象で、平均年齢は60歳くらい、10〜40代は見かけてもちらほら、50〜80代が大半を占めている。中には90代とおぼしき面々も。お気楽な観光客風情は居ない。
そして基本的に病気持ち(主に癌)か、この温泉で治癒したあとも通っているといったメンバーで、にも関わらず、館内の移動は3階まであり、さらに廊下も入り組んでおり、食堂(朝・夕はこちらでバイキング形式)や大浴場に行くにしても、アップダウンが多いのだが、段差も多く、かつ階段しかない。宿はまさに焼岳の間際(一部と言って過言ではない)にあり、吹き出てくる強烈な酸で、電気類はご破算になりやすいため、エレベーターは設置できないようだ。
ほかにも、部屋には冷蔵庫、テレビ、電話はなく、トイレや洗面台は共有だ。四畳半の畳の部屋には、湯沸かしポットと湯呑み、灯油ヒーター、布団一式、小さいタオル(バスタオルは無い)、浴衣(浴衣やシーツ類はセルフで好きに共同棚から取って使える)、丹前(ワンサイズで私には大きめ)、タオル掛け、ハンガー4つ、小さいテーブル、ティッシュペーパー、以上、というミニマムかつシンプルさだ。
イメージとしては、沖縄や北海道で2000円くらいで泊まってきた宿に近いが、それよりもさらに電気製品は無い。当然館内に電子レンジ等もない。テレビはロビーと大浴場前に1台ずつ、全館暖房はしていない。(2017年当時。2023年現在はエレベーター有り)
・・・ちなみに2〜3km離れた同グループの新玉川温泉は、電気系統の腐蝕はなく、バリアフリー対応をしているようだ。(大浴場は玉川温泉から引いているため成分は同じ、ただ屋外岩盤浴にはバスでの行き来になる)。

このような場であるので、たいがい口コミやら評判やらで、近隣から遠方まで様々な病者が訪れて、長期逗留するので、食堂や大浴場、屋外岩盤浴テントなどでしばしば顔を合わし、気がつけば、それぞれに自分の病気について話したり、平癒した先達の話を聞いたりしながら、自らの湯治を研究し創ってゆくのだ。
むむ、なんだかちょっと当事者研究に似ている。そして、私にとっては、幻覚妄想大会andべてる祭りに、浦河へ初めて訪れた際のアウェイ感に重なる感覚が、まずは生じた。
浦河での、まわりが皆当事者で、私だけ支援者で肩身が狭い感じ(結局は私自身がディープな当事者だったと当事者研究を通じて判明したが)の別バージョン、まわりが皆身体的な重病人または老人(あえて言うならば、病や死に近い)で、私だけその中では若くて比較的健康体(実際には単発痛風持ちで右手骨挫傷継続中だが、きわめて軽度)というアウェイ感だ。

脱衣所で聞こえてくる会話も、「ステージ3の奥さんが治ったと聞いて・・」「医者には内緒で来ているのよ〜」「夫が脳卒中でマヒになったから・・」「手術したけど再発して、それで・・・」など。みな一様に真剣さや懸命さはあるが、なぜか悲壮感は漂っていない。焼岳の激烈な自然が、生命を受け止め吹き飛ばし、それでも人々は、その自然にしがみつきに行く。溌剌と爛々と岩盤に向かったり、我慢を発揮し山伏の苦行のごとく酸の湯につかる。そして、その場を私はどう経験したか・・・。

【かの玉川温泉・その3〜屋外岩盤浴編〜】
屋外岩盤浴用に必要物品の事前学習はしていたので、とりあえず100均ショップなどで下記物品を取り揃えて、デイケア学会にお供させるスーツケースに忍ばせて置いた。
ゴザ(1〜2回使う程度だったので、ビニールレジャーシート)、毛布(ポンチョにもなる簡易毛布) 、壊れてもいい腕時計(携帯電話などを持って行くならジップロック必要)、大きめのバスタオル(丸めて枕に出来る)、あとは自前で、Tシャツand短パン(寒い時期だから長袖トレーナーandジャージの方が良かったかと)小さいタオルを、これまた100均のリュックに詰めて用意しておいた。
本気の装備には遥か及ばないが(懐中電灯やサンダル、日傘もあると便利)、そして台風で結局屋外岩盤浴には1回しか行けなかったが、事足りた。
持参しなかった場合、宿での貸し出しは無い(宿の浴衣や屋外履きものは持ち出しNG)が、売店で折り畳みゴザや枕、Tシャツ、覆うシートなどを購入すれば一通り揃う。

屋外岩盤浴と言っても、ただただ焼岳の剥き出しの岩肌に、オンドルのような簡易テントが3棟あるだけで、中には10人くらいが譲り合ってなんとか寝そべれる広さ。入れない場合は、辺りの平らなところで場所取りをして適当に寝ころがる。どこもかしこも、火山性ガスが吹き出し、地熱もすごい。大噴(おおぶけ、塩酸を含むph1.05の強酸性泉で、ボコボコと激しく毎分9000l湧出している)あたりの遊歩道脇で寝転ぶ人々もいる。

到着した日曜日は小雨が降る午後3時過ぎだったから、その足で上記装備プラス水(500mlペットボトル)を持って、宿から徒歩5分程度のテントまで出向いた。宿が管理しているテントゾーンの利用は夕方午後5時までなので、1時間ほど寝転がる。幸い一番上のテントに先客一名だったので、入り口から屈んで入って、悠々と横になれた。直(じか)の熱が伝わってきて、すぐに汗が出て来る。その後、同日到着組とおぼしき4〜5名が、寸暇を惜しんで(月曜日の来る台風情報もあったので)、ポツリポツリと入ってくる。
なんだかよくわからないが、すごくクる。どんどんエネルギーが伝わってくる。目を閉じてテントに降りかかる雨音や、横から入り込む雨飛沫(柱と屋根だけで、側面にカバーはない)、地面から突き上げてくる熱、ああ、これが原点の岩盤浴か・・・と、地面を通して地下のマグマに繋がるのがわかる。ずっとここに横になっていたい(実際には1日1〜2回50分程度が良いらしい)。どこまでもここは、自然で地球だ。堪らなく心地よい。人間や生命体が狭間にそっとこっそりお邪魔して、でも、圧倒的に地球にアクセスするような。
癌に効くというのは、このあたりの北投石(放射性ラジウムを含む含鉛重晶石で、台湾の北投温泉で発見され、同鉱物があるのは日本では焼岳のみ)が、なにがしか関係しているのだろう。イメージとしては、漢方薬的な、ゆるやかな放射線治療だ。
ジーンとしながら、足取り軽く岩盤浴場をあとにした。次は温泉(内湯)だ。

【かの玉川温泉・その4〜大浴場編〜】
玉川温泉にある大浴場は、スーパー強酸性泉で、ひとつは源泉100%で、98℃ある源泉をそのまま42℃程度に冷却したもの、あとは水で薄めた源泉50%で、ぬる湯、あつ湯、気泡湯、箱蒸し、蒸気湯、打たせ湯、寝湯、浸頭湯、飲泉に、救いの弱酸性湯、かけ湯がある。
入りかたは、それこそ千差万別で、できれば事前に情報を得ておき、かつ、自分にあった方法を試行錯誤してゆくのだ。
実感としては、源泉100%は粘膜部分は禁忌に近いので、目に入れない、顔にかけないが必須だ。男性にとっては、玉や皮の戦い、まさに玉川温泉、つまりはビリビリ滲みて痛いのだ。それを防ぐには、かけ湯をじっくり念入りに行うべし(行わないのをヨシとする戦法もある)。でも、すべては防げない、ちょっとはマシになるくらい。

さまざまなこの湯への入り方が、リピーターの数だけ存在して、苦行といかに付き合うかが、玉川温泉との対峙だけでなく、自身の病(やまい)との有り様になってゆくのだ。
私はナメてかかっていたわけではないが、普通の温泉のつもりで入ったわけではないが、にしてもヤラレテシマッタ。だって、温泉じゃなくて、もはや塩酸ですよ!なのに自分イジメのごとく、先達は余裕綽々で源泉100%に浸かる。私は1回目フルコース(つまりは全ての湯にチャレンジした) を行ったら、初めは気楽だったが、じわじわと特にアソコの部分がヒリヒリしてキツくなる。じっとしていても、辛い。さらに温泉皮膚病に見舞われる。例えれば、激辛料理を、全身でもしくは体の弱い部分で、ジリジリと食べている感じだ。これは辛さの味わいかたを、本気で検討し、研究せねばと、以降奮起する。

【かの玉川温泉・その5~温泉皮膚病~】
激辛料理は大好きな私だが(むしろ必要不可欠なごとくガンガン唐辛子と山椒を体内に補填してしまう)、かつて料理の上で、激辛な存在にぶち当たり、ふらふらと立てなくなったり、胃の腑が痛くなったことがある。
玉川温泉はその酸性バージョンだ。言わば、カラムーチョとスッパムーチョは、刺激の強さは同じでも、全然性質が違うのだ。私は温泉に入った2回目のあと、いきなりバラバラと温泉皮膚病が出現した(個人差があります)。成分に対するアレルギーと違うのは、全身に蕁麻疹が出るのではなく、個々に限定した部分であることだ。そして、俗説かもしれぬが、出るのは体の悪い部分らしい。まさに、デトックス。

さて、私は?右腕の骨挫傷とおぼしき部位、それをかばう左腕全体、大腸の走行に即した部分(潰瘍までではなかろうが、たしかに以前集中して痛かった胃腸部分を中心に皮膚にボツボツがでた、意外なのは気にしていた喉や肺、肝臓付近には出ていない、顔や頭皮も大丈夫だった)に、はじめポツポツ、中パッパ、赤子泣けどもカサブタ取るな、なレベルで皮膚炎が生じた(そのあとお湯に浸かるたび、全く大丈夫だったり、ヒリヒリきつかったり異なる反応だった)。面白いなあ、同じ湯に曝したのに、毎回違うし、出たのは全身ではなく極めて部分だ。風呂から上がると痛くも痒くもない、でも、ときにいきなり痒かったりピリピリする。過剰や不足が顕著だ。
そして、興味深いのは、温泉の温度や濃度が、時々刻々と変化することだ。逗留中トータル9回程入浴したが、温度が冷たかったり熱かったり、酸度が強かったり弱かったり、呼吸をするように、湯が動く。何より玉川温泉と出会った、私という身体の化学反応、不思議な現象に惹き付けられてゆく。

【かの玉川温泉・その6〜針千本飲ます編〜】
さて浸かるたび、びっくりするくらい温泉皮膚病が、顕在化して行く。皮膚のブツブツに酸性湯が、ビシバシと突き刺さって来る。針山地獄のようだ。それでも、大丈夫なときもあり、浸かり方にコツがあるかもしれぬと探る。
試すうちに、とりあえず到達したのは、かけ湯は丁寧に時間をかけた方がいい、源泉100%で10分我慢したあとは、弱酸性湯に浸り、蒸気湯や箱蒸しに行き蒸気を吸い込み、寝湯(うつぶせも意外と心地よい)か浸頭湯にのぞみ、キツくなってきたらば、かけ湯して、合間に飲泉(これは1日2杯まで、薄めて飲んだあとは、必ず水道水でゆすがないと、歯が溶けるらしい、さもありなん)、2~3分間休憩を挟む、を繰り返すのが、私のペースになった。

とくに、台風に閉ざされた月曜日は屋外岩盤浴に行けなかったので、1日4回大浴場へ修業に行った。4回目のときに、源泉100%に浸かりながら、えーんえーん、痛いようと思っていた最中に、ふと亡き夫ぽんのことが様々に思い浮かぶ。大好きだなあ、興味深い日々だったなあとか。
そして、ああ、この痛さは、夫の死後悲しいときは思いきり悲しんできたつもりだったが、最近は何食わぬ顔で過ごせているが、私の内側には控えている感情がまだまだあって、その痛みが出ているのかもしれない、と感じる。
そうしたら、久しぶりにボロボロと涙が出てきて、でも、頬が濡れても、ここは浴場だから気にせず、流しっぱなしにできる、まさに源泉かけ流しだ。どんどん湧出すればよい、苦(くる)しゅうない、善きに計らえ。

さて、強酸性の殺菌作用は強いので、菌の繁殖はさせないからか(なんせ魚が棲めない、このあたりは恐山の宇曽利湖はph3.5のためウグイしか居ない、に通じるものがあり、中和方法が開発されるまでは、田沢湖に注ぐ玉川毒水と呼ばれていた)、ある側面では皮膚病に効くのだろう。現に若干棲息していた我が足のウォーターバグ(つまりは水虫)は死滅なさったようだ。
あとは内側に病変を内蔵している部分の皮膚表面に反応が起きるのが事実だと仮定すると、炎症により、その部分が熱を持ち、免疫系も活発になるので、その付近の内臓のガン細胞がヤられてくれるのか?と想像したりする。

また、玉川温泉本(売店に関連書籍各種が販売されていて3冊とも購入)によると温泉皮膚病には泉質の異なる屋外テント近くの露天風呂(現在は雪崩後の影響で使用できず)に入ると治る、とあった。
恐らく効くのはアルカリ性成分だろうと踏んで、帰宅後は土産に連れて帰った痒みを伴うブツブツに向かって、アベンヌウォーター(アルカリ性温泉水)をせっせと吹き付けている。ちょっとマシになるナウ、ちなみに普通の我が家の風呂の湯が滲みることはない。

【かの玉川温泉・その7〜食堂編・食べることも湯治のうち〜】
では、湯治場の食事はどのような形式かというと・・・以前はあまり美味しくなかったと評判で、それを念頭において、しめしめ不味いなら食が進まず、一石二鳥だわいと、秋田市で食べちぎり膨れた腹がへこむことを希望し挑(のぞ)む。
夕食と朝食がついているが、時間帯が決まっており、食堂でいただく。まずは1日目の夕食とばかりに、行ってみたらば、そこには目を疑う光景が・・・。

学食のようなテーブルと椅子が100席ほどズラリと並び、銘々好きに座れる。それでもみっしりと集まるので、相席におのずとなりそこで先輩たちの湯治話も小耳に挟める。
食事はバイキング方式で、サラダ(レタス、キャベツ、貝割れ大根、プチトマト、海藻)にドレッシングが5種類、冷製豚しゃぶ、揚げ出し豆腐、ピクルス、合鴨マリネ、蒸し野菜(南瓜、馬鈴薯・インカのめざめ、キャベツ、ブロッコリー)、トンブリ長芋、蓴菜(じゅんさい)、キノコ南蛮、玄米うどん、肉料理か魚料理を2品から1つセレクトできる(この日は、鯛の蒸し焼き、またはハンバーグ)、味噌汁、玄米、あきたこまちのご飯、漬け物各種、果物など、まああるわあるわ、味噌や米など素材へのこだわりがあり、下手なホテルのビュッフェよりも、郷土色もちらほら混じり良いではないか。
朝御飯も同様に様々あって、卵料理も2種類(スクランブルエッグand温泉卵、目玉焼きandオムレツなど)、サラダ、肉(ベーコンやソーセージ)、春雨サラダ、蒸し野菜、納豆、焼き魚(鰈や鯖)、シラス大根おろし、出来立て豆腐(ほうれん草を入れたバージョンも)、青菜のお浸し、野菜炒め、ヨーグルト、果物酢ジュース、牛乳など日替わりで並ぶ(パンは無いが玄米、ご飯に加えて薬膳粥も)。
滞在中に他には、豚肉ハニーマスタードソース焼き、キノコ・芹・鶏肉などがたっぷりのきりたんぽ鍋も出た。長逗留に応じて、毎日異なるラインナップで飽きさせない。

店員さんも、若いお兄さんだったりして、気持ちのよい対応で、浮き足立って気がつけば、トレイに載りきらないほどワンサカ取っている。そして、何ということでしょう、アルコール(別料金、部屋づけできる)が豊富だ。ヱビスやアサヒの生ビールに、各種地酒、全国の銘酒がそろう。
むむ、こ、これは・・・呑むしかないでしょうよ。とは言え、湯治客に酒を飲む面子は、あまり見当たらず、だけど気にせず、生ビール!さらに日本酒をば。

玉川温泉本には、湯治には栄養補給が大事と書いてあり、トマト、牛乳、玄米、野菜や果物、タンパク質などをしっかり摂取するがよいとあるだけに、まあ皆よく食べる。90代とおぼしき人々も、私の食べる量を凌駕している。負けじと、モリモリ食べていたらば、まんまと体重は維持された。

ちなみに、お昼ご飯は食堂で、蕎麦やうどん、日替わり定食、比内地鶏料理など十数種類のメニューがあり、私は比内地鶏鉄板焼定食を食べた。しっかり歯応えと旨味があり、美味しかった。
あと、宿泊には食事のつかないリーズナブルな自炊棟(ひとりだと1泊5000円前後)もある。

そして帰宅してからも、やたらと野菜が食べたくて(なんせ野菜を摂るとからだが喜ぶのだ)、体質が変わった気がしたが、三日経ったら、すっかり元の木阿弥な状態になったとさ、どっとはらい。

【かの玉川温泉・その8〜屋内岩盤浴〜】
玉川温泉には屋内岩盤浴もあり、朝8時〜17時は1人1回50分間予約ができる(全25床)。それ以外の時間帯、17〜21時、夜中3時〜7時は、予約してなくても、空いているところを自由に使える。

1泊目日曜日の夜、22時にすとんと寝て、パッと自然に目が覚めたらば、夜中の2時45分、あ、屋内岩盤浴が3時から使えたはず、でもまあ人はあんまり居ないだろうなあと、そそくさとTシャツand短パンに着替え、自前の毛布ポンチョとバスタオル、小さいタオルを引っ提げ、ひっそり向かったら、すでに20人ほどが岩盤浴っていた。
ここは屋内で岩盤浴ができ、源泉を還流し、ラジウム放射線、安定した温度をキープしており、人工によるものだが、焼岳で岩盤浴するのと同様の効用が得られるらしい。高温(15床、58度)と中温(48度、10床)ゾーンがある。こちらではゴザが借りられる。
コロコロとゴザを広げて、ごろりと仰向けに寝転がる。じんわりと熱が身体に伝わる。うわ〜気持ちいい。30分ほど経過したある瞬間に、フガアと呼吸が深くなる。その後は喉から肺への空気の出入りが、長く息をおろしながら、深くなって行く。そのままうつらうつらと眠ってゆき、時々うつぶせや横臥しながら、夢をみた。


高校生のころに付き合っていた方が、二人と重婚しており、そのうち一人が本命らしい。でも、久しぶりに私と出会って、素直に喜んでいる。私も誰かと付き合っており、でも、その方を誘おうとしていて、少しでも長く留まらせようと、近くにいてもらいたくて引き止めるように話す。

起きたときに懐かしい気持ちになっており、すでに朝の6時を過ぎている。うーん、伸びをして、ゆるゆると起き上がる。汗がビッタリとTシャツに滲み、私の背中は驚くほど軽やかで、羽が生えたかのようだ(天使ではなく、たぶん烏の羽)。
月曜日は台風に閉ざされたので、日中予約を一枠取り、他は大浴場を利用しながら過ごす。さらに、夜中の3時からのフリータイム(時間を気にせず寝落ちできる)岩盤浴に嵌まった私は、夜中3時にリピートした。気がつくと、右手の痛みがじっくりと改善している。やわらかな温熱療法になっているのかもな。(つづく、次回シリーズ最終回)

【かの玉川温泉・その9〜寄り道エンディング〜】
火曜日は、前日の台風の嵐が嘘みたいに、山向こうからパーッと透明な日が射し、たくさんの黄色や赤色の紅葉がさらさらと揺れる。ラスト大浴場を堪能したあと、休憩所で、山形からきたと言うおじさんとぽつぽつと話をする。

台風凄かったですね。
「そうだね、足掛け17年間この時期に毎年通って来たけれど、こんなことは初めてだわ。
ワシは52歳のときに膀胱癌がわかり、手術は難しくて、人伝てにここの温泉の噂を聞いて、4泊5日で湯治に来て、それを2回繰り返したあと病院で検査したら、消えていたんだ。医者が何かしたんですかとびっくりして、実はと伝えたら、ものすごく興味を持ってくれて、次に来たときに、玉川温泉本を土産に買って帰って渡したんだ。喜んでくれたわ。
女房も何回か湯治に付き合ってくれて、風邪ひとつひかずぴんしゃんしとる。3年間再発なく、今は病院に通わなくても良くなって、でもお礼奉公にと、仲間を誘って毎年紅葉を見ついでに、ここへ来てるんだわ。今度は孫も連れて来ようかと思ってな。
湯治はのんびりとはしておれない。朝食を食べたら1回屋外岩盤浴に行って、昼ご飯のあと昼寝して、入浴したら、また屋外岩盤浴に行って、夕食とって、ひと休みして、入浴して寝るから、存外忙しいんだ。」
そうですか、私はここに初めて来たんです。stage4の肺癌で亡くなった夫が、生前ここの温泉のことを行ってみたいなあと気にかけていたから、代わりに私が来てみました。来て良かったです。
「そうなんか、まだ若いのになあ。たしかに、生きてる間に連れてこれたら良かったのにのう。でも、あなたがここに来て晴ればれした気持ちになったらいいねえ。」

・・・そんな会話を交わす。私は最後に自分のことを、少し誰かに聞いてもらえて、ほっと肩の力が抜ける。
そして朝の光の中、もう一度、大噴の横を通り、焼岳岩盤浴場に散歩に出かける。脇の薬師神社にもお参りする。てくてく歩いて、すがすがしい。歩く力が足元から沸いてくる。
たぶん夫ぽんはここに来て仮に寿命が延びたとしても、心地よくはなく、痛さに不機嫌になっていたろう。むしろ、一緒に四国や中国地方の鉱物や岬や植物巡りをして、夫ぽんらしくひとつずつ死に向かい閉じて行けて大変良かったと、パートナーの私は手前勝手に真剣に思うから、一緒に来られなかったことをちっとも後悔していない。
それよりも、むしろ、このプロセスは、夫ぽんが私をこの地に寄越したくて、めぐってきた機会なんだろう。私はテント脇の日陰で、火山性ガスの吹き出る3㎝径のひとつの穴の脇に座る。吹き出る蒸気が、まるで夫ぽんの口からぷわあと吹くタバコの紫煙のように感じて、いつまでも座り込んでいたい。地熱がお尻を温める。私は黄泉の近く、あなたの側にいるよ、と思う。
生者は死者のことを自由に思い浮かべて想像できる。死者も生者のことを気まぐれに見守り、ときにアクセスしてくる。その行き来を拠り所に、存在としてお互いに有り続けられる。肉体はなくとも、夫ぽんよこれからも、焼いた骨と我が記憶と双方の魂で、繋がっていて下さい。

鉱物好きのあなたのために、田沢湖駅の近くのひなびた土産物屋で北投石を販売していたから、ひやかしてみるが、その石に店主がガイガーカウンター(放射線測定器)をあてると、しっかり数値が上がる本物だ。でも数万円するので、諦めて、また来たらいいやと思う。というより、購入しないことが、また来るための、布石だ。
生きていたらば、まだまだこの世の不思議やわからないことへの興味や、やむにやまれぬ運命に出会えて、それに反応する自分自身という面白さに惹かれることができる。だから、私もいつかは閉じて行くが(それはいきなり途絶えるかもしれぬが)、今は在る限りはアンテナがオープンのままでいよう。適当に不適切ないい加減さでゆるゆると。

「世界の奇蹟・玉川温泉」の著者、明治39年生まれの阿部眞平氏は玉川温泉を実体験と湯治客からの聞き取りにて研究し、「温泉馬鹿だ」と批判されながら、温泉医療研究向上を願いつつ、昭和61年に亡くなった。その最期は焼岳の源泉に転落し、全身熱傷で翌日に急逝した。どこかなにか壮絶で、でもそこに生きることのコアなエッセンスが光り、心惹かれる。そんな玉川温泉。fin

・・・ちなみに、finはフランス語だから、ファンと読んでちょ。秋田弁は、実にフランス語に似ており、蒸気浴中や脱衣場で年輩のじもてぃー(地元民)同士で話していると、海外から来られたのかと、思わずガン見してしまうが、本当にひとつも聞き取れないのであった。

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