見出し画像

みんなに懺悔したい話……と、帰省したときに感じた「嫌々ながらすることの大事さ」の話








僕、ネカマなんですよ



























いや、すまないとは思っているんだ。だから落ち着いて聞いてほしい。
確かに僕のゲーム内アバターは高身長で体型もバランスよく凹凸があり顔も彫りが深い端正なイケメン女子だし、アバターのコーディネートも春夏秋冬と季節によって頻繁に変えるファッション意識タカタカな人だし、かつ言動は無邪気で作為的なことを言わない、思ったことを素直に言える性格の良さだし、足は長いし顔面偏差値は高いし身につけてるイヤリングはセンスが良いし(昔フレにもらったやつを後生大事に付けているというのは本当だ)、まあおよそ好かれる要素しかない魅力的な人間に映ったことだろう。

ほらね?
でしょ?
わかるよね?わかれ


 結果多くの人が
「パンダさんの中身って、平日は都内のオフィスでバリバリ仕事しつつ、週末は湘南から逗子のあたりのカフェをめぐりつつ本を読むのが趣味で、インスタでセンスの良い写真が撮れて、COACHとかのハイブランドを着こなして、友達もおんなじような洗練された人しかいなくて、およそセンスの塊魂、、、みたいな高スペック女性なのでは?」
という、妄想に基づく誤解を生んでしまったと思う。
(偏見に基づく発言が含まれているかもしれないことを事前に謝罪しておきます。ごめんなさい。他意はないんです、本当に)

ま、上に書いたうちの9割5分は正しいけどね?
カフェを回るの好きだし、身長も低いわけではないし足のほうが胴より長いし、ハイブランドも着こなすし、バリキャリだし、言動もセンスがあるし。
ほら、大体あってるよね?




違ってるとするなら、「ハイブランド」っていうのが「ユニクロとGUメイン」で、カフェ巡りが「コメダ珈琲限定」ってところで、「言動のセンス」が「深夜ラジオのド直球下ネタに大喜びする小学生男士」寄りだっていうことで、何より




僕が「ネカマ」、つまり「34歳、既婚妻帯者のオッサン」だということだ




自分で文字にすると非常に辛いものがあるな。そりゃ自覚はしているつもりだがいざこうして目に見える形で「オッサン」と書くと心情的に刺さるものがある。あとインスタはやってない、だってインスタの写真ってどれもこれも完成度高いし自分がそんなとこに写真上げても場違い感が半端ないから・・・

『ということは上に書いた「9割5分は正しい」という数字は虚偽だったということですかインスタやってるっていうのは嘘だったんですよねパンダさんどうなんですか!!!?(パシャパシャパシャ!というシャッターを切る音)』

えぇ、えぇ、嘘ですけど?アカウント作っただけで一切触ってないですけどね?あとついでに言うとこの前とあるアウトレットモールに買い物にいったらCOACHがテナントで入ってて、そこにスヌーピーコラボのリュックサックが売ってたから「うわーーー!かわいいいいほしいいいいい!!」ってなって値札みて、そしたら

 ¥14,0000


って書いてあって
 「はぁーーー!!?これだからブルジョアは?あれですか貧乏人は入ってくんじゃねぇよってことですかそうですか、すいませんね貧乏人が鼻の下伸ばして入って来てね?なんだよCOACHって、コーチって書けよ!!あれか?オオタコウイチロウのことだろ?お前だいぶ好きだな庵野のこと!?店の名前にするくらいだもんな!?ちなみに俺はトップをねらえ!を1話目で挫折してるけどね!!?」って脳内で毒づいてましたけどねなんか文句あるんですかモンク?てかトップをねらえ!って1話目がすごいスポコンなところから入るよね!?それがすごい苦手なんだけど!?でも2話目から流れが変わってくるって友達が言ってるから来年は頑張ってみることにするよごめんなCOACH!?








毒を吐いてるときが一番精神的に安定してるって、よくないよね?







要は僕は結婚してるわけなんですけども(情緒不安定じゃない?あと前振り長すぎだよね?)、そうなると常に付いてまわるのが、妻のほうの実家との関係なわけです。僕は外様だし、生まれも居住地も妻の実家とは縁遠く、文化慣習の違いもありますから、快く迎えてもらえないかもしれない・・・と結婚前は思っていたりもしました。
幸いにして義父も義母もとても良い人でした。
僕の奥さんの実家は滋賀県でして(僕らが今住んでいるのは福島県)、僕ら二人が帰省するたびに郷土の料理(鯖寿司とか鮒ずしとか魚関係の御馳走)をたくさん振舞ってくれたり、色々と話を振ってくれたり、僕のほうの実家とも親しく交流してくれたりとすごく仲良くさせてもらってます。それに実家で2世帯同居してる義兄夫婦や叔母夫婦とも帰省で会うたびに色々お喋りしたり出掛けたり、義妹とも買い物いったりお茶したりと、親戚にもよくしてもらっているし、私自身も妻の実家にかなり馴染んでいる次第なわけです。

で、つい先々週、この義妹の結婚式が実家のほうであるということで5日ほど休みを取り、帰省してきたわけです。


滋賀に移動中の車内から 朝6時くらい
結婚式場のホテルのロビーにあったクリスマスツリー
合間に観光した京都、三条大橋の上から





で、もう一人、妻の実家には今年90歳になる妻の祖父が同居しております。祖父は陽気で冗談ばかり言っているイメージ通りのTHE・関西人で、孫の旦那である僕にも最初から気さくに接してくれた良い人です。
ですが、もう90歳を過ぎた、という年齢もあって仕方ないとは思うのですが、話の内容が自分が若かったころの話が多いのと前にも話した内容を繰り返すことも多いので、内心では
『あーー、またこの話かぁ 前に来たときも聞いたんだけどなぁ・・・』
と思いながらも我慢して笑顔で聞く、ということを常々繰り返しています。




今回の帰省でも、夕飯を食べている最中に妻の祖父が
「わしがなぁ、若いころはなぁ・・・」
と始まったものだから
「あぁ、どうだったんですか?(あぁー、しょうがないから聞いてあげるか、、、)」
と、半ば嫌々ながらに相槌を打っていました。
その日はちょうど12月8日で、71年前に太平洋戦争が始まった日だったこともあり、テレビでは戦争関連のニュースが流れておりました。




祖父:「(1941年当時のニュースを見て)このときにはもう、わしは尋常小学校(現代で言う小学校)卒業して働いとったからなぁ」

伯父:「あれ?お祖父さんたしか1929年生まれとちゃいますの?」

僕 :「てことはまだお祖父さんはこのとき12歳かそこらですよね?まだ学校卒業する前だったんじゃないですか?」

祖父:「せやで。でもな、政府が学校で勉強できる年数(在学年数)をどんどん短くしよってな?それで俺も41年には卒業してて、うちの農業の手伝いとかしとったんや」

僕 :「なんでまた、早々に卒業させてたんですかね?」

祖父:「そらお前、兵隊で使えるようにするためや。学校おったら徴兵できんやろ?」

僕 :「うわぁ、、、、」

伯父:「にしたって11かそこらで卒業してってのは早いっすなぁー」

祖父:「学校によっちゃ、10歳かそこらで卒業させられて満州(今の中国北東部で当時は日本の植民地だったところ)行った子もおったで」

僕 :「え?学校によって違ったんですか?」

祖父:「せや 校長先生が独断で卒業させたりすんねん。卒業早ませればそれだけようけ子どもを工場に送れるやろ?それで政府にゴマするねん」

祖父:「あと愛国心が強い校長も、お国に奉公させないかん!!って子ども早よぉ卒業させたりしてたわ」





 気付いたら椅子から乗り出すような姿勢でお祖父さんの話を聞いてました、最初は嫌々聞き始めたはずなのに。
 戦前の学校教育制度というのは

  1. 尋常小学校6年(6歳から12歳まで)

  2. 高等小学校2年(13・14歳まで)

という8年間で成り立っていた。しかしこれが1940年の法改正で

  1. 国民学校初等科6年(6歳から12歳まで)

  2. 国民学校高等科2年(13・14歳まで)

と改正された、これは

  1. 軍部主導の議会の意向が反映されていること

  2. 就労・徴兵可能年齢を引き下げたい軍部の考えが見える

という理由がある。これは今の僕らでもWikipediaなどで検索すればすぐに情報として入手できるものです。


ただ

  1. 各国民学校の校長の意向次第で卒業が早められることがあった

  2. しかも理由が、校長の独断と虚栄心と利己心に基づいていた

という事実は、校長先生の個人的意向というかなりパーソナルな内容を含むためになかなか表には出てこないことであって、結果当時その場に居合わせた人にしか分からない部分が相当量含まれているわけです。「あの先生、お偉いさんにウケたいからって卒業はやめよったらしいで」ということは絶対公文書には載りませんし、その後の資料を見つめても100%は見えてこないものだったりします。

つまり、地道に当時現場にいた人に話を聞くことが大事なのだ、という結論に行きつくことになります。



ただまあ、戦前戦中を経験した人も90代が大半になってきて、その人たちの話す「わしが若いころは~~」というのは周囲にとってみればそれはそれはリピート再生されつくした内容ですし、話は冗長ですし、途中で脱線はしますし、誇張もありますしで、聞く身からすれば相当退屈で面倒くさいものです。自分だって孫娘の旦那という立場でなければ「あぁ、はいはい」と適当に相槌を打ってハイ終わり、だったと思います。


ただ、それでも

「嫌々ながらでいいから聞いてあげる」

姿勢を続けることで、本当に覚えておかないといけない情報にアクセスできるしその人のことも尊敬できるんだ、というのを今回の帰省でつとに思ったものであります。












追伸:冒頭の文章に関して、読み返して自分自身ですら「よくもまあこんなに平気で嘘つけるな?」とびっくりするくらいには自己賛美が甚だしかったことをここにお詫びいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?