見出し画像

(急募)復調の兆し

書けなくなってしまった。

ネタが切れてしまった、というわけではないと思う。
実際、10日に一度位の頻度でパソコンには向かっているし、日々あったことや思ったことを文字に起こすことを怠ってはいない。
でも、そうやって書いたものも、結局最後には全部消してしまう。

「せっかく書いたんだから消さずにメモ程度に残しておけばいいんじゃない?」と妻にも言われる。
彼女も同じように創作活動をしている身の上なので、時間をかけて書いたものが無になるのはやっぱり釈然としないんだろう。

でも、それでもやっぱり消してしまう。
どうしても納得いかないのだ。
読み返したときのしっくりこない感じが、どう足掻いても拭えない。
このしっくりこない感じを一言で言うなら『むず痒い』が一番正しい。
この『むず痒い』という感覚の中には、例えば
「いや、俺の日々あった出来事なんて、誰も読みたがらないでしょ?」
という自己肯定感の無さもあれば
「文章に緩急がないからどうしても冗長になってつまらないんだよな」
という客観的評価もある。
まぁ要するに
『つまらない』
と自分でも気づいている、ということだろう。
つまらない自覚があるのにそれをアップしようとする自分に対しての気恥ずかしさも相まっての『むず痒い』、なんだろう。


「いや、むしろ君の日常のこともっと読みたいし、バンバン書いてアップしてよ!!」
って言ってくれるお友達もいて、そう言ってもらうたびに本当にうれしいしやる気も湧いてくるんだけど、でもやっぱり満足いくものが書けない。


そう。
書いても書いても、満足出来なくなったのだ。

あんなに書くのが楽しかったのに、
四六時中書くネタのことばっかり考えてたのに、
書いてる間は嫌なことも忘れられたのに、

どうしても、その気持ちに戻れない。





へんなのっ






もう半年以上も前のことになるけども。
ゴールデンウィークの5月4日に、おそらく人生で初めてであろう、中学校時代のクラスメートとの同窓会に参加してきた。

『小中高大学の中でどれが一番楽しかった?』なんて質問は会話の鉄板ネタだと思うけど。

 読書や音楽・歴史とかとか、大人になった僕を構成している趣味嗜好の大部分が形成されたのがこの時期だったことと、今でも仲良く交流している友達が圧倒的に多いという二つの結果を踏まえるに、中学校が僕にとっては一番楽しい学生生活時代だったと思う。大学時代もすごく楽しかったけど。

 じゃあなんで今まで同窓会に参加してこなかったかといえば、別に同窓会の空気が苦手だとかそんな理由は一切なく、社会人になって就いた職業が全て土日祝日年末年始お盆の定期休みがない仕事だったからであり、僕個人は日程がかみ合えばいつでも行きたいとは思っていた。

 今まで同窓会に参加出来ていなかった僕は知らなかったけれど、他の皆はGWやお正月に定期的に内輪で集まって飲んだりしてたらしい。
ただ今回の同窓会は大がかりなもので、延べ70人いる同窓生のうち22人が参加したうえに当時の学年主任をしてくれていたベテランの男の先生と、僕らのクラスの副担任をしてくれていた当時新任だった女性の先生の二人も顔を出してくれるという。楽しそうじゃん。
そんなわけで、上司に『同窓会のため』ときちんと理由を説明して休みをもらい、実家に帰る道すがらもずっとウキウキしていた。

そんなわけで夕方6時頃から同窓会がはじまった。
久々に集まった同級生もバラエティに富んでて飽きなかった。

10年前は実家でニートしてたやつが、今ではアニメ制作会社のお偉いさんとしてNetflixと仕事してたり。
アパレルの仕事をしてたやつが、いつの間にかコラムニストになってマレーシアで活動してたり(その時はコロナがあって日本に戻って来てたけど)
ニューヨークで修業して、つい先日神奈川に自分のネイルサロンをオープンしたやつがいたり。

「いやーー、Netflixは海外の企業だからなのか、僕らの担当してくれる人がコロコロ変わって困るんだよねぇ」
とか
「取材も兼ねて行ったカナダの湖で釣りしてたんだけど、そしたらマリファナをキメたヤバいオッサンに絡まれてさぁ。
でも話すと意外に良いオッサンだったんだよねっ」
とか。
話題がまた刺激に溢れてて面白い。

面白いんだけれども。

こんな話サラッとされちゃ、こっちとしては話すことなんか何もないのよ。

だって僕が持ってる話題なんて
「昔はあんなに嫌いだった散歩が年々好きになってきてねぇ。これが歳を取るってことなのかねぇ」
とかしかないのよ

ジジイなのよ。

「へぇーーー!すっげぇなそれ!!」
なんて、途中からは上手く相槌を打つマシーーンと化したジジイこと僕。
ほんとは僕の有り余る話術スキルでもって場をドカンドカンと盛り上げる予定だったんだけどな。


 飲み会や会食における普段の僕は、①相手が心地よく話せるような適度な相槌を打ち、②話を振られたときの返答はシンプルかつ適切、③あまりしゃべり過ぎず周りの反応を読み、④会話に入れなくしている人にも即座にパスを回すことが出来る。

という脳内設定であり、僕はそれに則って事前に妄想で会話の予行演習をする。

妄想内だと大体上記のとおりのスマートな会話の出来る人間なんだけどね。

 まぁ実際のとこは、①相槌は適度に出来るけど、②相手の会話に被せて喋りだしてしまって「あ、すいません…」がすごく多いし、③得意な話題のときに我を忘れて喋り、④気付くと会話に混ざれない人がいる、な感じ。


ただの口達者なゴミじゃん。
ジジイがゴミにダウンフォールしてんじゃん。
ゴミが同窓会に参加させてもらえるなんて、僕が思った以上にこの地球と言う星は善意と優しさで成り立っているみたいだ。
地球、ありがとう。
こんなゴミもとい僕を住まわせてくれて。



 こんな感じでみんなの話を聞く係に徹していた僕だけど、何故だか分からないがみんなが僕のことを
「やっぱお前は今でも面白いまんまだなぁ」
なんて言ってくれる。イジりとかでもなく真剣に言ってくれる。
そんなに面白い奴だと思ったおぼえはないんだけどなぁ。理由が分からんなぁ。
でも、大好きな友人達から口々にそう言ってもらえるのは、何せ良い気分だ。

「そうなんだよ、俺も昔からお前は面白いやつだと思ってたのよ」

「………僕もねぇ…この子はねぇ…変な子だと思ってたよ…」
「……悪い意味じゃなくて…そうねぇ……」
「うーーん………」
「おもしろくて楽しい…そんな子だと思ってたよ…」

「先生もやっぱりそう思いますよねぇ!」



年齢を重ねたが故の喋りの遅さは仕方ない。
むしろなんというか、好々爺という雰囲気が滲みていて、また好きになってしまったかもしれない。
周りの皆も、この人のペースに合わせて話を聞いてあげたり話題を振ったりして、それはそれで楽しそうだ。
話しているうちに、学生時代の記憶がよみがえってくるんだろう。

 ゆっくりと話しているこの人は、僕らの中学時代の学年主任だった人で当時の担当教科は社会。僕らが中学生だった20年前の段階ですでに50代の半ばに掛かろうかという初老の男性だったんで、今はもう70代のお爺ちゃんだろう。勿論何年も前に教員職は退官されていた。

 小学校のころに図書室で偉人の伝記やらピラミッドの謎やらの人文系書籍ばっかり読んで育った僕にとって、中学に入学して出会ったこの先生は正しく僕が欲している知性や教養を全て持っている賢者のような存在だった。それでいて会話も授業も面白く、怒るときは怒るけど普段は陽気なお爺ちゃん的立ち位置で、僕を含め多くの学生から慕われていた。

 学生の中でも人文系学問に興味関心のあるやつなんかは、授業の合間を縫って職員室に行き自分が興味関心のあることで先生を質問攻めにしていた。僕もそのうちの一人だった。


「(地図帳を出しながら)先生、フィンランドのカレリア地方っていうのはどこらへんなんですか?」
「そんな細かい地名言われてもなぁ……ここじゃないっけ?(地図を指し示す)」
「へぇー、地図で見ると狭いとこですねぇ…」
「けど、なんでわざわざそんなこと聞くの?」
「昔、この土地をフィンランドとソ連で争ってたっていうのを事典で読んだんですけど」
「あぁーー、冬戦争だっけ?歴史の教科書にもちょっと載ってるけど、それはねぇ……」


 最初は単純に先生と喋るための話題の一つとして気になることを聞きに行っていただけのものが、この1を聞けば10が返ってくる感覚に僕は夢中になったし、先生と話せば話すほど自分の見えている世界が広がっていくような感覚に僕は興奮した。この時の快感が、今に続く僕の知識蒐集癖の起源になっている。


「先生は、最近はどんなことをされてるんですか?」

友達の一人が先生のグラスにウーロン茶を注ぎながら聞いている。
昔は大好きだったビールも歳と共に飲めなくなったとかで、今ではもっぱら飲み会の席ではウーロン茶なんだとか。

「………僕もねぇ…ちょっと前までは…NPOの役員とかね…」
「…………やってたんだけどねぇ………」
「…歳だから……やめちゃって………今は何にもねぇ…」


背中が、丸まっているなぁ、と思った。
立っているときも座っているときも。
お爺ちゃんだから、そこはしょうがないんだろう。

でもやっぱり
なんだろう、
モヤモヤする。



 中学校を卒業し、高校に進学してからもう既に2年半が経ち、来年には晴れて京都で大学生活!!という2006年12月。
母親が地域の寄り合いに顔を出していた先生と久々に顔を合わせたらしく、

「先生が『久々に彼に会ってみたいねぇ』って言ってたから、せっかくだし電話でもしてみたら?」

というもんで久々に電話をかけた。そしたら先生が
「京都に行く前に一度、僕の家に遊びに来なさいよ」
と言ってもらったので、年が明けて少し経ってから菓子折りを持ってお邪魔した。
 僕は久々に先生と好きな学問の話が出来ることにウキウキしていた。意外に勤勉な僕は、高校に入ってからも好きな人文学の勉強は欠かさず続けていたし、話せる知識も中学時代よりは格段に増えてもいた。勿論、先生の知的水準には及ぶべくもないけれど、それでもより先生に近いレベルで会話が出来ると思っていた
お家に伺うと先生はすごく喜んでくれて、自分が学生時代に使っていた研究資料やら専門書やらを色々と見せてくれた。

「良かったら、ここにある本を自由に持っていってちょうだいよ」

先生はそんなことも言ってくれた。
それ以外にも、これから行く大学のこととか、色々と話をした。


したけれど。
でも何故か、中学生のころはあんなに満足できた知識の応酬が、今はあまり満足出来ないのだった。



「(本棚からたくさんの本を持って来て)これは僕が大学生の頃、中国の民主化運動を研究してたころに読んでいた参考書でね……」

「あぁーー……なるほどぉ……」



「(これ、今はすっかり否定された過去の学説なんだけどなぁ…)」


ハッ、とした。
先生の知識の源泉になっている書物は、実際は過去の研究資料であって、そうした書物は今では否定されてしまった学説に依拠するものも多かった。
知識がアップデートされていなかったのだ。
片や僕は僕で新しい書物に触れていたので、そうしていつの間にか僕の知識は分野によっては先生の知識を更新し始めていた。
それが結果的に先生との会話のズレに繋がっていたのだった。


「良かったら、ここにある本を自由に持っていってちょうだいよ」

「先生すいません、せっかくそう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、引っ越しのときに持って行ける荷物が沢山あって、これ以上荷物が増やせなくて………すいません…」

「……あぁ、そうなのかぁ。勿体ないけどしょうがないよねぇ…」


実際のところ、引っ越しの荷物なんてほとんどなかった。
家財道具は京都で揃える予定だったし。


『こんなもんか』と、内心で感じてたんだと思う、あのころの僕は。


そこからパッタリ、先生とは合わなくなってしまった。


本当に、失礼な奴だった。




ウーロン茶を傾けながら、猫背の先生が一人で座っている。

僕はいそいそと、先生の横に座った。
宴会がはじまって、もうすでに1時間半くらい経っていたのに、僕ときたら中々先生と面と向かって話す勇気が持てずにいたのだった。
それは、過去の自分の不遜な態度に対する罪悪感なのか。
それとも、憧れの先生の『老い』に向き合うことが嫌だったからなのか。

意を決して、話を切り出すことにした。


「先生、お久しぶりです…」

ゆっくりとこちらを向く先生。表情がゆっくりと笑顔になる。

「………やぁ~久しぶりだねぇ…最後にあったのはいつだったっけ?」
「高校の最後の年に、先生のお家に伺った以来ですねぇ」
「……そうだったねぇ、あったねぇそんなことも…………どうなの?今でも勉強は続けているのかな………?」
「はいっ、今は哲学とか現代思想とか社会学が好きで、あ、歴史も勿論好きで今でも読書は続けてますっ」
「そうなんだねぇ……最近読んだ本はどんなのがあるの……?」
「最近は……『贈与論』っていう、コミュニティとコミュニティの間での物の贈り合いを主軸にした民俗学の本を読んだんですけど、それによると……」

気付くと、饒舌に喋っていた。
先生は、僕の話にゆっくりと頷きながら、うんうんと相槌を打ちながら、話を聞いてくれている。


20年を経て、立場は逆になった。
僕が知っていることを話し、先生はそんな僕の話を遮らずに聞いてくれる。
15年前の僕だったら、この立場の逆転を
『どんな人間も老いには勝てないんだな』
と斜めに見下していただろうけど。
でも今になって思えば、知った知識を嬉々として先生に話す僕と、それを聞いている先生という構図は中学時代も今も変わりはないのだから、そういう意味ではいつまで経っても僕は先生の『教え子』のままで。

それが、すっごくすごく、嬉しいんです。



これを書き出したとき、「書いても書いても納得出来ないんだ」ということを、書いた。
実際に書き出したときにはそうだった。でも今は妙に充実している。
この心境の変化は一体どうしてなんだろうか。

ここまで書き上げてから、台所に立つ。
コーヒーが、カフェインが切れている。コーヒーを接種せねばいかん。
中毒患者のような目をしながらコーヒー豆も機械に放り込み、ボタンを押す。
ガリガリガリッと勢いよく機械が豆を挽きつぶす。
その間もずっと考えているのは、文章を書いたときの満足感とか高揚感について。

そうしてちょっとだけわかったことが一つ。



僕は、自分自身のことを書きたいんではない。
僕は、自分の周りにいる素敵な人を、たくさんの人に紹介したいんだ。
そのための手段が文章であって、自分に焦点のあった文章を書いても満足出来ないのは、僕の身の回りにいる人に焦点があっていないからなんだ。


そして、今も夕飯の時間をずらしてもらってまでこの文章を書いている。
なんでそこまでして書きたいのかって。


それは僕がこんなみんなに伝えたいと思っている人も、いつかは僕の前からいなくなるから。


2度と会えなくなる前に、こうしてネットの端っこに走り書きして、そうしてそれを見てくれた人に少しでも『こんなに素敵な人がいる/いたんだよ!!』と伝えたい。


そのためには、自分の寝食なんて投げうったって、構わないんだ。






なんだ、ちゃんと書く意欲も目的もハッキリとあったんじゃないか。

良かった、まだまだ書けそうだね。



さ、今日明日と連休を頂いたんで、今から行きつけの居酒屋に飲みに行ってまいります。

そこで僕は、今日書いたことを、お酒の勢いに任せて沢山話そう。

「今年の5月に同窓会があって、そこで色んなやつと久々に合ってさぁ…」

なんて、周りの人に触れ回ろうじゃないか。

そうして、僕の周りの大事な人のことを、一人でも多くの人に覚えておいてもらおうじゃないかっ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?