今日8月9日は

18でこの世を去った叔父の命日。

毎年この日は氷水を仏壇にあげる。

私の時代の長崎の子供は
8月9日は登校日だった。

「夾竹桃の花咲くたびに」という原爆読本を読み、原爆の映画を見る

そして「夾竹桃の歌」を歌った。

長崎の子供は毎年8月9日は、

業火の中で油の浮いた水を飲むしかなかった場面を想像せざるをえなかった。

それは
私が8月9日の朝は氷水を
供える事になった始まりかもしれない。

父が他界して10年が経つ。

父は私の叔父さん、
つまり自分の兄にあたる人の事も

あの日の自分の話も
あまり深く話してくれたことがなかった。

また私たちも聞いた事がなかった。

でもよそよりも1日多い、
毎年の登校日が重なることにより

あの日の事は
「聞くべきではない事」として自分の中で納得していたように思う。

生まれ故郷の長崎を離れ
都会で暮らすようになり50を半ばも過ぎた。

終活に向かう年代になり
夏になると向かい合わざるをえない

「あの日の事」を今は被爆二世として、
もっと聞いておけば良かったと思う。

故郷を離れて思うのは私も含め、

私の同級生はほとんどが「被爆二世」である。

でもその事を普段意識していないし、

まして映画になるような事でもない感じがしている。

それほど「被爆二世」と「遠く離れた土地」の人が感じる

「被爆二世のイメージ」は全く違う。

それはちょっと今のコロナ禍の
東京の人というだけで
バイ菌扱いされる
「東京問題」と少し似ている気がする。

今年はコロナの影響で登校日がなくなった学校もあるとネットで見た。

原爆の事を風化しないためには、

「ネット配信」が主流になりつつある今年こそ、

いいきっかけだと思っている…

長崎の子供、広島の子供だけ登校日って
おかしくないですか?

と、ずっと感じてきました

夾竹桃

花言葉:「注意」「危険」「用心」

キョウチクトウに強い毒性があることに由来する

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