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自分が欲しいNFTの話

NFTがお盛んだった頃を知らず、冬の時代とやらが来ている状況へ遅れて合流したようだった。でも、俺がいるところが春なんだよね。冬の時代に生きる方々ごめんね。マジマンメンミ🍣

NFTって色んなタイプがあるけど、自分が欲しいのは「持ち続けることに意味があるアート」なんだなーって思った。

  • 自分の人生に対して価値があること

  • ユーティリティがハマってること

  • ユニークであること

この3つが重要で、そうではないものだと分かると急激に興味が失われていく。そういう自分の性格やNFTとの付き合い方、スタンスが最近分かってきたというか。

例えば、Neo Tokyo Punks Roarsは見た目も可愛いし、ユニークだし、ユーティリティもある。そしてこのNFTを持ったことで、それまでの活動とは比べ物にならないほどの出会いがあった。マジで価値の塊だと思う。

ユーティリティやユニークさは無く、無料で手に入れられるNFTではあったが、昨年行われたカレーグランプリのNFTは、カレーを食べながら集められるという点で自分の人生への価値があった。それを集めたり、集めたことを報告するのがすごく楽しかった。

一方、何かの対価としてもらったとしても、それが全くユニークではなく、市場で売買するしか遊ぶ手段がないNFTは、金銭的な価値があって魅力的に見えるかもしれないが、すぐ飽きたり、突然虚しくなったりする。

特に「時間が奪われるなー」と思うものに対しては、かなりドライな反応になっていると思う。

アートの側面では、やっぱりキャラクターが好きだから、キャラクターが良いだけで価値があると思っちゃう。けど、よほどのことがないと、「欲しい」とはならない。

むしろグッズ作って。フィジカルに俺を楽しませて。みたいな。フィジカルで楽しみたいところをNFTに置き換えないで、と考えている節がある。

最近、名刺のような感覚でNFTをもらうことがあるんだけど、俺が欲しいNFTの条件には当てはまらないものの、貰ってとても嬉しい。個人と個人の繋がりの可視化なのかな。とても貴重で大切にしたいものだよね。そういう意味での価値とかさ。ぱねぇ。

一方で、某ファラオがやっているクソリプNFTに関しては疑問がある。
「クソリプじゃなくて、ファンメって言いなよ」って。

クソリプNFTの発想はとてもユニークで面白かったのだが、先日行われたクソリプNFTオークションでついた価格を見て「俺とは縁がない世界だ」と思った。多分2度と交わらない、俺とクソリプNFT。いますぐその名をお捨てになって。ファンメNFTに名前を変えたら会いにきて。

ばか言ってる。

色々と忙殺されて、精力的に活動していたコミュニティから疎遠になっている。先日、そのコミュニティに参加していた人から「もうイヤになっちゃった?」と聞かれたが、改めてそう聞かれると、そうかも、と思った。

嫌いになったわけじゃないけど。

たくさん時間をかけていたんだけど、それに対して見返りがないと続かない性格だ。金銭的なもの、評判的なもの、他にも何かある?あるかも。

アウトプットしたものに注目してほしいし、それを有効に扱ってもらいたいと、俺がNFTに価値や意味を求めるように、俺も自分が作ってアウトプットしたものにそういうものがあれと、欲やエゴ、煩悩を捨てきれず、折り合いをつける前に忙しくなっちゃって、「どうでもいいか」と他人事になった。「イヤになる」っていうのとどこかよく似ている。

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