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虐待されていた友達が死んだ日②

突然の連絡に、頭の中は真っ白に。

『え、どうして…?他殺?』

新しい仕事も決まっていたと聞いてたから、タイミング的にも自殺というのは考えられなかったからだ。

『いや、正直まだわからないって事なのかハッキリ聞いてないんだよね。付き合ってたホストもその時部屋にいたらしいけど…。多分ODじゃないかな、事故みたいな…』

その子もわからないと言ってる以上、これ以上不毛なやり取りをしていても意味がない…私の中では、結果として事故死だったかな…と今でも思っている。


あまり聞いた事のない方へ一応補足をしておくと、処方されている薬を、決められた容量をオーバーして過剰に摂取する事をOD(オーバードーズ、ドーズとは英語で服用量)薬には致死量というものがあり、致死量に達するほど摂取してしまうと死んでしまうのである。ただし、致死量に達していなくても死んでしまう例はあります。


薬が効かないと感じて、決められた量より多く飲み…それでも効果が感じられない場合はもっと飲み…それが加速していったのかな。という解釈でした。

『明日お通夜だって。行く?』

『行くよ』

即答した。

職場には事情を話して、遅刻させてもらった。

場所は、埼玉のとある駅にあるセレモニーホールだった。

私は、80パーセントの悲しみやショックと、5パーセントの嬉しさ(飲み会であったりする程度だった私でも、最後の挨拶をする場をもらえた事)…

残りの15パーセントは、何とも私のつたない語彙力では表せない感情が渦巻いでいた。

(お母さんってどんな人?泣いているのか?もし、アミちゃんが虐待されてなかったら違った未来もあったんじゃないか…?)


怒り…いや、怒りともちょっと違うし、興味とも違う…そんな会場につくまでにはとても整理できない気持ちを心にしまっていた。

会場に着いた。もろもろを済ませ、列に並んだ。

棺が前に置いてある…あの中にアミちゃんは、人生に幕を下ろし眠っているのだ。

昨日の今日で、全然心の整理や準備が出来ていない…それでも一人、また一人と私の番は回ってくる。

これが、アミちゃんとの最後のお別れになるというのに…その時さえも時間は待ってはくれないのだ。

もうすぐそこまできている、棺の周りに何人か人が立っていた。

少し年齢が上っぽい女性、背が低くて丸顔(アミちゃんとそっくり)で…会った事なくても、すぐに直感でわかった。お母さんだ。

その横には、小さな女の子。きっと妹さんだ。

お母さん…なんと泣いていた。オイオイ声を上げて、両手で顔を覆っていた。

もう私の心は張り裂けそうになっていた、何もかもが整理出来なくなり…(なぜ泣いてるの?虐待してたんでしょ?なぜこの子はこうなったと考えている…?表向きの嘘泣きなのか…?)

この時は、そんな事が頭の中をグルグル回りづつけていた。

(かなり偏った感じ方をこの時はしていますが、まとめようと思ったのには続きがあります。ここで不快に思った方も最後まで読んでくださるとうれしいです。)

そんなこんなしてるうちに、ついに私の番。

棺の中のアミちゃんを見て、私は(良かった)とほんの少しだけ思ったのだ。

それは、やっぱり自殺ではないと感じたからだ。(個人の価値観として、自殺自体が悪い事だとは思っていません。この子に関してはそう思いました。)

アミちゃんは、出会った頃より細身になっていたし、髪の毛はボブになっており…髪の毛が染めたばかりになっていた。最近美容室にいったばかりだと思った。(とても明るいミルクティのような色)


人は、咄嗟に死にたくなり勢いでそのまま死ぬ勇気が出てしまう場合もあるだろう。でも…どちらかというと、これは死のうと思っている人の直前の姿ではないと思った。

アミちゃんは普段着のような服を着ており、まぶたは柔らかく閉じられ、眠っているようだった。

これでも、本当に死んでいるのだな…と棺が思わせてくる。

アミちゃんとお別れを済ませ、駅に向かう道が異様に混んでおり…浴衣姿の人たちがちらほら。

そんな幸せムードいっぱいの中を逆流するように、全身真っ黒の私は駅に向かう。

駅に着くころだ。花火が上がっていた。

どうやら、花火大会の日だったようだ。

なんと皮肉なことか…みんなが楽しく幸せな裏で、悲しみに包まれている人もいるんだと…そんな私の生きる世界を一気に体感したような気分だった。


帰りの電車の中から、目に焼き付いて離れないのはお母さんの姿。


どうしてあんなに泣いていたのか?

悲しかったというのか?なぜずっと放置していたのか?

後悔しているのか?

私のおぼろげな記憶だと『親より先に死ぬなんて…』のような事も泣きながらいっていたように思う。


世の中はなんと不条理なんだ、と。

どうしてこんなことになるのか?こんな事になるために、アミちゃんは生きてきたと思うか?そんなバカな事があるか。

怒りながらポロポロ涙を流しながら、ひたすらに窓の外を眺めて顔を隠して職場へ向かった。

あれから何年たっただろう、10年は経ったと思う。

今回こういう記事を書こうと思ったのは、徐々に心の整理がついてきて浄化にも似たような心境になってきて。

死にたいと考えている人や、育児に悩む事がある方、親とうまくいっていない方などなど色んな方の心に、何かキッカケになればと思ったのだ。

その10年以上かけて私の中での思いの変化や、感じた事などを③でまとめます。これで最後になりますので、ぜひ読んで頂きたいです。


お腹いっぱいシャウエッセンが食べたいです。