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85 城下町に住む

暑い。
ようやく“熱い”レベルから解放されたけど、“暑さ”は当然残る。
我が家は夜に冷房をつけるので、昼間はなるべくつけたくない。自然に汗をかきたい。

しかしその弊害は山ほどありますねぇ。
とにかく頭皮ケアが必要だ…。秋でもないのに髪が抜ける。ああ、中年男性の発言だ…かなし。

ま、しかし中年になれば男性も女性もないですね。ヒト科の問題でしかないですね、ええ。

さて、そんな猛暑の東京。
7月1日は山開き、海開き。富士山も山開きで、江戸城下ではあちこちで「お富士さん」があったようです。

私は東京の非江戸エリア出身なのですが、お富士さんという縁日は聞いたことがありませんでした。

職場で今日はお富士さんと聞いて、ああ、富士神社か、じゃあ江戸後期にあったといわれている富士講かな?と思い、
駒込富士神社は帰り道だったので寄ってみました。

38℃に届かんという平日に縁日がびっしり。焼きそば屋さんには同情の念しか湧かん。



お富士さんの存在を教えてくれた先輩に、それ富士講じゃないですかね、って言ったら
「ああ、だから本殿の階段があんなに急なんだ!」と合点してました。

江戸という都市は家康が建設している段階から富士山を非常に大事にしていたと聞きます。
その影響か、江戸城下には富士の名前がついている地名が非常に多い。
江戸は坂道が多いので、高台のところでは確かに富士山は見えていたろうね。

もちろん私が生まれた町は江戸よりもっとはるかに西なので、富士山はもっと見えてたはず。冬の多摩川河川敷に出れば、今でも富士山は見えるのですから。

でも、かつてもし村の中に富士講があったとしても、それを文化として繋いでいく力はない。だって名もない農村ですから。その証拠に住宅街となった今、歴史を感じさせるエリアスポットは大変に少なく、地域の神社が草臥れ果てているのです。

お祭りは縮小され、土地は細分化され、土地のことをよく知る人がいなくなり、流入してきた地方の人たちで構成される街になりました。

こういうエリアは東京中、いや日本中たくさんあるとは思うけど、
古くからの柵(しがらみ)がなくなって、解放的になる一方で、ルーツが見えないという閉塞感が存在するように感じるの。

その点江戸は、ありがたいことにありとあらゆる力が集中しているところだったし、その上で昔から村ではなく町だったので、人が行き来することに執着もなく、
その上で出身者たちが土地を愛していることが多いなと思うのです。

自分達が住んでいる、親や祖父母が住んでいた町にきちんと関与している人が多い気がします。
特に私の住んでいる下町よりやや山手寄りのこの地域はこの傾向が強い気がします。

昔のものがちゃんと残っている。自分達の暮らしを手放してない。
根津神社のお祭りも神田のお祭りも、ちゃんと町会が関与してまだ生きている。
近所のじいちゃんたちが祭りの前夜にそわそわして酒を飲んで、若い衆はそこまでの1年間諸事をこなしているんです。

その姿に感動して私は地元を離れてからずっとこの地を愛しているんだけど、このお富士さんには久々にそのことを再確認させてもらったし、歴史の道の上に立たせてもらっている感動がありました。

150年超の歴史に参加させてもらいたくて、いそいそと名物麦落雁を買いました。

ちゃんと富士講って書いてあって、やっぱそうだった!と感動した
落雁は富士山の形。かわいい。扇風機のコードは無視してくだせえ。


多分この町で産まれてしまったら、そんなこと気づかなかったけど、歴史と個性を手放してしまったような住宅地に生まれ育ったおかげで、城下町の持つ素晴らしいエネルギーと伝統を感じて、久々に本当に多幸感に包まれました。

前回の記事で書いた、鎌倉の地が大好きなのも、
おそらく歴史と今が絶妙に融合された土地だからなきがします。

歴史が生きている町はすごく呼吸がしやすい。
わかりますか、この感覚。

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