ひとりごと

自分のことを理解してほしいと思うのって、他人に期待しすぎてるし、なんか子ども的な態度だなーとより思うようになってきた。

普通に考えて、自分に一番興味があるのは自分だし、自分を理解できているのは自分なんだよなー。
特に私は内向的感情優勢だし、自分自身の見立てに対して結構自信あるので尚更。

対事象や仕事における、思考過程や判断は至らない部分も多いのは承知で、他人からの視点や意見をもらうことでより良いものが出せるという考え方だけど、

自分自身の意思決定や感情が左右されるものに対しては、もう他人の意見に惑わされないぞという思いがある。
みんな自分の価値観や世間の正解軸で、あれこれ言うけど、
当たり前のはなし、私のこと(感情・背景含め)を私よりも分かってる人なんていないし、その選択が違っていても責任をとってくれなかった。

私の為を思って色々言ってくれる優しさには感謝できる人でいたいなと思うけど、
一方で、持論を述べてるだけの人には気をつけたい。

分からないながらも、理解したいと歩みよってくれる恋人は欲しいなとは思うけど、
もうこの歳になって、全部を理解し合える人は諦めてる。(とはいいつつなところはあるけど)

ヒトの内面や人生は複雑で、みんな自分のことに忙しいのに、
自分自身の承認や充足感を恋人に求めてる人は、
その複雑さを体験していないような人な気がして子どもっぽく見えてしまう。

とはいえ、
完全に理解し合えない余白があるからこそ、この人をもっと理解したいと思うし、
理解されない寂しさがあるからこそ、より共感し合える人を求めるし、
そういう人に出会えた時の喜びがあるんだよなぁ。

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