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塔2024年6月号若葉集より(好きだなと思った歌10首)

塔の会誌を読みながら、ああいいなと思った歌に印をつけています。印をつけただけだと忘れてしまうので書き写すようにしています。
こちらではそのうち10首を紹介します。

わたくしの臓器はこんなにピンク色 明るい服を着ようと思う/片山裕子

臓器の色を意識する、実際に見る機会は稀である。そんなタイミングを捉えて気持ちを乗せた一首。検査や病状の説明などで、必ずしも明るくない話題につながってしまうかもしれない不安な気持ちとそれでも自分の中の無垢な可能性を信じる気持ちが伝わってくる。

百円玉ひとつでパッと開くゲート 未知の世界はこんなに近い/音羽凜

一連から競艇場に行ったことが伺える。未知ということから初めて行ったのだろう。百円玉も、改札のようなゲートも、身近なはずなのにその先には行ったことがなかった。意思次第でどこへでも行けたんだという喜びが、未知やこんなにという言葉選びからから感じられる。百円玉の具体もいい。※開く(あく)

「パパがいい」と泣きわめく子を抱きしめるお腹のなかに押し戻すごと/小金森まき

母親からの目線。子どもがイヤイヤしているのかもしれない。強制をすることなくただ抱きしめている。自分の中から出てきた存在であると気持ちが伝わるように。いつか子離れ親離れする日が来る。決して押し戻すことはできないが、まさにそこに強い意志が込められている。

久々に帰りし島の路地裏に手押し車の亡き友の母/川崎雅昭

島での時間、今の生活の時間、それぞれが同じ時間軸で流れているはずなのに、すでに出てしまった島は島の時間で流れているような気がしている。それがいざ久々に帰ると、やっぱり同じ時間が流れていた。時間の経過が、亡き友とその友の老いた母の手押し車に描写されている。

わたしこそあなたを通り過ぎてゆく驟雨のような感情だった/とりばけい

「わたしこそ」というところに前後の物語性を感じた。あなたがわたしを通り過ぎていった=気持ちを通い合わせていたが短い期間で終えてしまった。「あなた」の方から終わりを告げられたのか離れてしまったのかもしれない。わたしこそは、強がっているようにも思える。驟雨という比喩の濡れているイメージに悲しみが感じとれる。

クッキーの粗熱をとるようにしてうれしい荷物を箱のまま置く/古井咲花

うれしい荷物というざっくりな把握が面白い。まだ開けていないから何かははっきりしないけど、きっと良いもの。私に届いた嬉しい気持ちそのものを箱のまままずは置いておく。クッキーの粗熱という比喩がとても素敵。

日光はしあわせホルモン産むという能登にもガザにもそそぐ日光/松本淳一

ちょっと抱えきれないが、ガツンと当てられた歌。皮肉にも祈りにも思えるが、祈りとして読みたい。国内も世界情勢も不安な中で、どこにでも日光は注いでいる。ちょっとした日々の幸せだけではなく、真の幸せを感じられるように、自分のできることを少しずつでもしていきたい。

ポケットに入れていたはずのハンカチがなくて光溢れるように泣いた/潮未咲

拭けば涙かもしれないが、拭かないならばそれは光。秀逸な喩が気持ちいい。
とめどなく出てくるものが光であることに自分自身の尊さを見つめ直しているようだ。

蜘蛛の血は緑ですこし思います、あなたの肌の薄いことなど/石田犀

気づいてしまった感のある舌足らずな丁寧語がとてもいい。すこし思うといいながら、深い謎を提示してくる。あなたにも血が流れていること、それが赤じゃないかもしれないこと。あなたをどこまで理解しているのか。
蜘蛛の血を緑であることを知っているのは潰したからかもしれない。そうとするとあなたに対して視線が、肌の薄いという把握から少し猟奇的にも思えてくる。

また明日、といつかきっと、は振り方が違う大きく大きく振った/桜庭紀子

毎日会っていた人との別れの場面か。ああ、確かにと思う発見の上の句。下の句では大きく大きくと繰り返しいうことで、何度も何度も大きく振ったように思える。さらに四句目の句割れがダイナミックに作用している。
いつかきっとまた会えますように。

以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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