塔2024年2月号若葉集より(好きだなと思った歌10首)
塔の会誌を読みながら、ああいいなと思った歌に印をつけています。印をつけただけだと忘れてしまうので書き写すようにしています。
こちらではそのうち10首を紹介します。
色や形から想像させられる満月を桃という比喩から感触、そして味までも感じられる想像の展開が素晴らしい。桃を「吸ふ」のは、ぴちゃぴちゃとした液体の感じや、音、甘さまでも感じられる。
ずっと記憶に残ってしまう出来事がある。はっきりとした理由まではわからない。揺れているという表現にそこに触れられない、触れたくない、そんな主体と両親の距離を感じた。
地域の祭りの大きな象徴的な存在を感じた。仕事を頼んだ主体はその大きさにとまどっているように思う。中の人を外からみる視点の異質さが現れている。
海をみてちっぽけだなと思うことはあっても、ししゃもと思うことはなかった。面白い。ししゃものリフレインが小気味良い。ひと皿のという描写がイメージを的確に印象付ける。存在の取るに足らなさが強調されている。
うちの寝室も踏切の音が聞こえる。一度気にしてしまうと心拍とも時計とも違うリズムに耳を持っていかれる。電車が通り過ぎたあともその音が耳でずっとなっている。実際の音とそこに引きずられる体内の音が混ざってゆく終わりのない感覚。この先自分はどうなってしまうのだろうという漠然とした不安と結びつく。
食玩のチョコエッグ。中には何かのフィギュアが入っている。チョコレートと甘さやかわいらしい玩具からの、警察無線という不穏さへの展開がすごい。警察無線を傍受しているのか、もしくは警察官なのか。チョコの中の空洞に何かがあるチョコエッグと本来の業務ではない雑音が近すぎず遠すぎない配置で惹かれた。
別れを詠んだものだろう。これからはそれぞれで生きる二人を靴下と喩えたことにはっとさせられた。二つで一つというものがそれぞれの道を歩む足であること、それを忘れようということ。二つで一つということが幻であったようにせつない。
厳かな場面にそぐわないわけではないがアップルウォッチが妙なギャップを生んでいる。いろいろな機能があるが、哀しみを湛えた目で見るものじゃない。着目がおもしろい。
表札に卵がついているだけだが、孕んだように、カマキリという具体がおかしみを増す。悪意とかないだろうに、誤解されやすいキリッとしたカマキリの顔が浮かんでくる。
行き先が違う電車は確かに普通にあり、遠くへ行く電車は本数が少なかったりする。発見。僕も熱海行きの電車をみると乗っていけたらどんなに楽かと思いを巡らすことがある。主体もここじゃないどこかへ行きたいと思っているのだろう。
以上です。
お読みいただきありがとうございました。
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