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自己価値はお国柄?

こんにちはPANDAひとみです。

最近、興味深い資料を目にしました。
ヒーリングをやっていたり、学んだりすると多くの問題をクリアにしていく事になるのですが、その度に出てくる問題といえば

自己価値に関する問題です。

確かに自分の価値に関してクリアにしたりヒーリングすると、驚くほど人生が変わります。
それと同時に、大きな問題でもあるのです。

日本は謙虚が美徳の国

以前noteにも書いた通り、日本は謙虚な姿を美しいものとします。
一つの美徳です。

そのために必要以上に謙る事を強いられたり、時にはそれが当たり前のマナーのように扱われます。
そんな時代もありましたが、今でも根強く残っている所もありますね。

違う表現をするならば、自己肯定感がとても低いとも言えます。

自己肯定が実はまだまだ低い

国立青少年教育振興機構の調べによると、7年前に比べ自己肯定出来る高校生が増えたというデータがあります。

しかし現代の高校生は「私は価値のある人間だと思う」「私はいまの自分に満足している」などの自己肯定的な項目に対する評価が米中韓に比べて低いという結果が出たそうです。

http://www.niye.go.jp/kanri/upload/editor/126/File/gaiyou.pdf

私は価値のある人間だと思う』と答えた日本の高校生は44.9%だったが、米中韓はいずれも80%を超えていました。
また女の子の自己肯定感のピークは10歳で、年齢とともに下降していくとの話もあるそうです。

確かに年を重ねればそれだけ様々な物が見えるようにもなり、考える機会も増えるのも確かですよね。

私も幼少期は叱られたり具合が悪くなったりする記憶が豊富で、なんとも甘酸っぱいを通り越して、苦い思い出が盛りだくさんです。
勿論褒められたことも沢山ありましたが、正直苦い思い出のほうが色濃く残りがちですよね。

自分の価値を感じることに対して、日本は受容体が少なく、臆病に感じてしまっているのかもしれません。

自分の価値を決めるのは誰?

日米の教育現場で働いた方のツイートでこんなことを言っていました。

日本では、社会にいかに貢献できたか、人に認められたか、という他人のモノサシで自分の価値を図る事が確かに多いように感じます。
自分が、ではなく「人がどう思うか」ですよね。
人の振り見て我が振り直せ、なんて言葉もあるくらいです。

例えば、小学校の道徳の時間。
いつでもどこでも「人の気持ちに寄り添いましょう」という教育をしている印象もあります。
人を思いやる事はとても素晴らしく、美しいです。
決してそれが悪いわけでもありません。
でもいつからか「自分はさておき」になってしまいがちなのです。

人の気持ちに寄り添うことはとても大事ですが、人=他人という意味だけではありません。
自分もその一員であるのです。

ダウンロード

以下「はい」と心の中で唱えるとダウンロードされます
・私は皆と共に暮す方法をしっています
・私はこの地球で、自分と創造主と人生を共同創造することが出来ます
・自分が価値ある存在だと理解し、認識しても安心安全です
・能ある鷹は爪を隠すという集合無意識を手放しても安心安全です
・出る杭は打たれるという集合無意識を手放しても安心安全です
・私は最高最善に能力を発揮することが可能です


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