【14】手の傷よりも痛い。

最近、人間不信になってしまっている。完全に自分の物事の捉え方の問題なのでほんとうに申し訳ないことなのだが。相手の言動を信じることが出来なくなっている。特に初対面のベンガル人に対しては、目を見て話せなくなってきている。そんな自分の態度に腹が立つし、なんで変わってしまったのだろうと悔しく思う。

根拠のない「怖い」が先行している。別に何か危害を加えられるわけでもないのに。必要以上に冷たい態度をとってしまう。本当は目を見て、柔らかい表情(?)で、心から思っていることを伝えたい。優しさを持って接したい。でもできない。理由はよく分からない。分からないから悩む。


一昨日、家の目の前の道で盛大に転んだ。右足のサンダルはちぎれ、左足のサンダルは頭の先まで吹っ飛んだ。両手は血まみれになってしまって、服は砂で汚れた。

転んだ瞬間、周りには誰もいなかったのだけど、恥ずかしすぎてさっさと立って何も無かったかのように歩き出そうと思った。でも遠くからおじさん2人がものすごい速さで走ってきて(バングラデシュの方々は歩くのが遅いので(完全な主観)そんなに速く移動してくる姿を見て正直驚いた笑)、助けてくれた。その後も続々と人が集まってきて、大丈夫?とたくさん声を掛けてくれた。

出勤前だったため、家でゆっくり絆創膏を貼っている時間等なく、とりあえずサンダルだけ取り替えてオフィスへ向かった。オフィスへ着くと、血だらけの左手を見て、元から大きな目をさらに大きく見開いて「大丈夫か!!!!!」とみんなが心配してくれた。すぐに救急箱を開いて、丁寧に薬を塗ってくれた。その後も、「まだ痛い?」「血は止まった?」「薬は家にあるか?」と事ある毎に気にかけてくれた。


ベンガル人の心の温かさに久しぶりに触れて感動した。と同時に、最近冷たい態度をとっていた自分が本当に惨めに思えた。アクシデントがあったら知らない外国人に対しても全力でサポートをしに駆けつけてくれるほど、優しさで溢れた方々に対して、私はどんな態度をとってきたのだろう。困っている(ように見える)人に対して、自分のことかのように手を差し伸べてくれる優しい心の持ち主の集団の中で毎日仕事ができていたことがどれだけありがたいことだったのだろう。

人の優しさを受け取るには、その優しさに気が付くための心の余裕と、それ相応の優しい心を持ち合わせていないといけないと思う。冷たい態度で対応をしていた最近の私は器の小さい惨めな人間だった。周りはこんなに温かい方々なのに。悪いことをしたな。

手の傷は痛くない。それよりも、惨めな自分の態度に心を痛める結果になった。でも気が付いてよかった。ここから変えていけばいいんだ。

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