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社会不適合者

 自虐して自身を社会不適合者だと呼ぶ人が多い。実際私もその1人だった。クラスには馴染めない、バイトも面接が怖くてできない、
成人式も怖くて行っていない、電話に出られない、レジに並ぶこともできない、人と会った時に挨拶するのが怖い。できないこと尽くしだった。だった、と過去形で言ってはいるが今も苦手なことばかりだ。どうしてできないのか、どうして人が怖いのか。わからないから辛かった。中学生の頃から漠然と死にたいという気持ちがあった。
 高校生の時は当時憧れだった女の子が言ってた『綺麗で若くて楽しいうちに死ぬ。25歳までに死ぬ』と言う言葉がキラキラして見えていた。人が怖かったから教室が怖かった。いつも息が苦しかった。学校は何度も仮病で休んだ。仮病とはいえ本当に腹痛頭痛がし始めるので、罪悪感はない。でも人に何かを頼むのもこわかった。授業に遅れてしまうがノートを写させてもらうのが怖い。人に話しかけるのが怖い。体調がいい時なんてほとんどなかった。そのせいでやる気がなさそうに見えると先生に名指しでみんなの前で怒られたこともある。余計に学校が嫌いだった。職員室に入るのも怖くて呼ばれていたのに入れずそのまま家に逃げ帰り次の日めちゃくちゃに怒られた。
 それでもなんだかんだ道から外れることなく耐えてきた。色々合ったけど学校も卒業したし正社員にもなれた。しかしそこでも躓く人間関係というハードル。職場では世間話をしなかったことで協調性がないと言われた。『元気がないし話しかけてもはい、いいえで終わらせるから話しかけづらい』とも言われ1番歴の長いパートさんに嫌われていた。しまいには『困っている時呼んでも助けてくれない』などと有る事無い事を上司に報告されるようになった。私の言い分など聞いてくれるわけもなく一方的に怒られた。緊張感で仕事でミスをするようになった。ミスするたびに何度も長文のメールで指摘されたり、電話がかかってきたりするようになった。鍵を閉め忘れてないか、仕事のやり残しがないか確認するために何度も退勤中に職場にUターンをするようになった。家から30分の職場なのに0時に退勤して何度もUターンし、帰り着くのが2時になることもよくあった。上司にパートさんとたくさんコミュニケーションをとらないと!と言われ頑張ってはみたけど無理だったみたい。異動の時も、あっ、今日最後なのね。で終わった。先輩が異動になった時と大違いだった。不憫に思ったのか1人のパートさんがお菓子くれて嬉しかった。大学生のバイト君達とは比較的仲良くできてたからいなくならないでくださいよ〜って言ってくれて嬉しかった。上司には最後まで何も改善しなかったねと言われた。

 昇進による異動だった。『あなたがここのトップなんだからこの店の文化を変えるんだよ、ここのスタッフにも話しておくから』と別店舗からアドバイスに来てくれた先輩が言った。その一言が同じ店舗のスタッフの逆鱗に触れたらしい。まずはいつも定位置にあった書類がなくなった。パソコンからデータもごっそり消されていた。書類がないため前例がわからず、パートさん達に相談しながら作った書類に対し『今までのを勝手に変えるんですね』と日誌に書かれていた。そこから監視カメラで監視されるようになった。毎日朝礼はあなたの愚痴ばかりですとメールが送られてきた。ある時はパートさんに3回電話をかけたけど全く繋がらなかったから、日誌に『電話が繋がらなかったため次回出勤時に話します』と書いていたら、『着信音なっていません。本当にかけたんですか?用事があるならちゃんとかけてください。どういうことか説明してください』と2人ほどから日誌に書かれていた。毎日業務日誌に長文で指摘をされ、どうしてそうなったのか回答を書く欄、謝罪をする欄も設けられていた。
 少ない日は店舗に2人しかいない日がありどうしても仕事が終わらせられなかった。どうしてこんなに私は仕事ができないのか、どうして人とうまくやっていけないのだろうかと毎日夜中の2時まで明日は何も指摘されませんようにと1人で残って仕事をしていた。鍵を閉めた後もまた開けて金庫を見に戻ってまた鍵をしめ、また開けて店内を見回りして、という確認癖がついた。帰るために車を走らせて、また気になって職場に戻ったりを何度も繰り返した。

 ある日、朝から全員に少しずつ割り振っていたスケジュールを私が遅番で出勤した段階で全部書き変えられていた。できません。とだけ書かれたメモが残されていた。1日かけてしないと終わらない仕事だったが、遅番で出勤した時点で進捗は0。急いで上司に報告の電話をし、接客をしながらその仕事をしていたが終わらなかった。次の日は5時起きだったが深夜2時まわっても仕事が終わらなかった。他の店舗の人たちが上司のはからいによってたくさん助けに来てくれた。大変でしたねという言葉に嬉しくて泣きそうだった反面、効率も悪く、人に不快な思いをさせ、迷惑しかかけない自分はもう死んだ方がいいと思った。生きているいみがわからなかった。いつも段ボール開けるカッターを右のポケットに入れている。試しに思い切り手を切ってみた。けどたくさん段ボールを切ったカッターは全然肌を裂くことはせず、擦り傷にしかならなかった。何度も何度も上から突き刺してもみたけれど、血はうっすらとしか滲まなかった。自殺どころか仕事もリスカすらもまともにできない自分に悔しくて泣いた。ならば!とロッカーで首を吊ろうかと思ったがまだ仕事も終わっていないことに気付いた。いつもの確認癖も止まらない。眩暈も止まらない。頭痛も止まらない。息も苦しい。どうせまた仮病なのに。きづいたら誕生日は過ぎていた。親から連絡が来ていた。あまり記憶はないが家には帰ったみたいだ。
 次の日無理やり病院に連れて行かれ鬱病と診断され、隔離病棟へ入院となった。マットレスと、ドア無しのトイレしかない部屋で下着もコンタクトも取られた状態で寝そべりながら、本当の社会不適合者になっちゃったな、と思う反面心のどこかでホッとしてる自分がいた。

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