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【小説】夏草の露 07/25

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#7 悲劇のジェットコースター

「ね、聞いてる?」
「あ、うん。右耳とかすごい駅名だよね」
 戻りたいとはなんとなく言いにくかった。
 そして本心を誤魔化すためについ何も考えてない人みたいな返答をしてしまった。
 トワさんは肩をすくめたが、反論もしないしバカにもしない。
「ん……」
 代わりに出たのがこの色っぽい声。
「……あたし耳弱いから、あまり息吹きかけないようにしてね」
 僕は慌てて彼女から離れようとする――が、彼女の手はまだ僕の首を捕まえていて、すぐにぐっと顔を近づけさせられる。
「話、まだ終わってないから。クレイジー・モンキー・トレインはね、各駅に顔の部位の名前がついているの。そしてその駅に着くたび、先頭車両についているマスコットのクレイジー・モンキーが頭だけくるっと後ろを向くんだけど、そのとき駅と同じ名前の部位が顔から飛び出て嗤うらしいのよ。一説では、都市伝説の猿夢っていう話、あれの元ネタになったんじゃないかって言われているの」
 さすが自ら詳しいと豪語するだけある。情報の厚みよ。
 ただその話って今要るか?
「瑛祐君達とは逆の方向に行くのが良いと思うから、ここからいったん出たあと『右耳』駅を越えてまた高架下に潜り込んで線路沿いに移動するってのが案1。ナイトメアかギロチンクロスに隠れながら別の方向を目指すってのが案2」
 ようやくこの後の方針へと話が移った。
「いったんフェンス越えて園の外に出て大きく回り込むってのは?」
 そう提案した途端、彼女は肩をひゅっとすくませる。耳に息を吹きかけないで耳打ちってどうやるんだ?
 やりづらいな。
「ネイデさんたちがフェンスの向こうに隠れる予定だから、それを類推させるような場所への移動は避けるべきだと思う」
 それはもっともだ。
「ナイトメアもギロチンクロスも両方とも屋外型のアトラクションだよね、月がけっこう明るいし案2より案1かな?」
 ギロチンクロスというのは、ジェットコースターのことだ。
 事前調査ではミラーハウスと同じくらい噂が多かったアトラクション。
 ここで事故があったらしいんだけれど、その事故ってのがいくつも説があって。
 コースターから落ちたとか、落ちたんじゃなく飛び降りたとか、コースターに乗っている途中に何かが飛んできて目に刺さったとか、幽霊が隣に乗っていたとか、コースターが燃えたなんて噂まであったっけ。
 あれ? トワさん、震えている?
 いったん体を離してから彼女の顔を見つめる。
 トワさんの両の瞳には大粒の涙。
 え、どういうこと?
 彼女の評価は上がったり下がったり、それこそジェットコースターかよ。めんどくさいな。
「……あのコースター……ダブルジェットコースター・ギロチンクロスは……大きいのと小さいのと、二つのループコースターがループ部分で交差する造りになっていてね、一枚のチケットで大小二回乗れたんだって。それでカップルがそれぞれ別々のコースターに乗って、ちょうどループ部分ですれ違う時に視線を合わせることができたら、そのカップルは幸せになれるって噂があったんだって。あのコースター、空からみるとちょうど十字架の形をしていて」
 いきなり何を言い出したかと思えばジェットコースターの説明。
 まあ初耳ではあるけれど。
 ネット上には怖い系の噂しかなかったし。
 でもそんな幸せな噂があるのにギロチンって。
「ネイデさんも若い時ここで、彼とその乗り方したんだって。ネイデさんが大きい方、彼が小さい方。大きいコースターのループの内側を小さいコースターのループが潜り抜けるとき、視線を合わせようねって約束して……そしてすれ違う時、彼は叫んだんだって。『結婚しよう』って。ネイデさんはその声のする方を一生懸命見ようとしたら、何かが飛んできて目に当たって……それで結局彼女は失明したんだって。でもね、その飛んできたのは、彼が隠し持っていた婚約指輪らしくって……ジャケットのポケットに入れていたのが、落ちちゃったんだって。彼はそれを悔やんで自殺して……ねぇ、そんなの酷くな」
 僕は慌ててトワさんの肩をぎゅっとおさえた。
 いつの間にか、声が小声じゃなくなりかけていたから。
 彼女もそれに気づいたのか、ハッとして口を固く結ぶ。
 そして最悪なことに、どたどたと足音が近づいて来るのかが聞こえた。
 僕はマグライトを、彼女は人形の手を握りしめ、息を潜めて様子をうかがう。
 やがて高架下通路の外側、それもすぐ近くで話し声が聞こえた。
 男と女の。それも外国語っぽい――ヤツラか?
 ガサガサと緑の壁をまさぐる音、それからガシャンと大きな音。
 植物が巻き付いている金網にぶつかった音だ。
 また何か言っている。
 ……ガシャン……ガシャン……ガシャン……。
 音は近づいて来る。
 時折、金網の隙間から飛び出た指も見えたりする。
 もうすぐ僕らの居る場所――金網のない場所だ。
 トワさんの顔を見る。
 彼女も「どうしよう」って表情で僕を見つめている。
 僕は彼女の手を引きつつ、通路を向こう側へ戻ろうと顎で合図する。
 だが彼女が反応するよりも早く、緑の壁を突き破って手が現れた。
 僕と彼女の間、僕らがつないでいる手のすぐ真上。
 とっさにお互い手を放して「武器」を構えた。
 手は肘まで中に差し込まれ、しばらく宙を切っていたが、すぐにそれ以上中へ入ろうとする。
 今度は手だけじゃなく上半身から全部を。
 ああ、頭が見え――た瞬間、鈍い音がした。
 トワさんだった。
 ちょうど中に入ってきた頭めがけ、マネキン人形の腕の付け根を振り下ろしたのだった。
 止める間もなく、彼女は更に何度も追撃を加える。
 連打。連打。連打。
 僕は今、目の前で何が起きているのかのみこめないでいる。
 でも一つわかったのは、僕と一緒に行動しているこの女の子が、僕らを追いかけてきていると思われるヤツラよりもずっとずっと恐ろしく見えるってこと。
 というか本当にこの覗いて来た人って「ヤツラ」とやらなのか?

 殴られていた人は前かがみにつんのめって倒れ込む。
 上半身は通路のこちら側、下半身は外。
 顔はこちらを向いている――気絶しているのか?
 死んじゃいないよな?
 害のなさそうな平凡そうな男にしか見えないけれど。
 その時、彼の体が引き裂いた緑のカーテンの隙間から差し込む月の光の中に、赤い血が広がって行くのが見えた。
「オーマインゴッ」
 外から女性の声が聞こえる。
 そして何かを叫びながら声は遠ざかる。
 ヤバい。
 仲間を呼ばれてしまう。
 ヤツラが何をしたいのかはわからない。
 わからないけれど、ここまで徹底的に攻撃したら、向こうも同じかそれ以上の暴力を持ち出しかねないじゃないか。
 しかもこの子、倒れている人のポケットを漁っているよ。
 どれだけフリーダム?
 これ以上、一緒に行動するのは危険かもしれない。
 彼の体が作った隙間から顔だけ出し、周囲をうかがう。
 猿の電車の高架に沿って走り去る女性の後ろ姿が見えるだけ。
 あの方向は魔女のホウキの向こう側、ホラーランドの入り口がある方か。
 今のうちに移動しないと――とりあえずあの女性とは違う方向へ。
「信じてもらえないかもしれないけれど」
 トワさんが何か言い出した。
「あたしはあたしの人生を守っただけなの。この男、ヤツラになってしまう前、あたしのことを脅していたの」
 ちょっと何言っているかわからない。
 いろんなことが一度に起こり過ぎて頭の整理が追い付かない。
「後で全部説明するから……だから、今は信じて。お願い」
 どうするんだ?
 この子を信じるのか?
 いくら恨みがあるとは言え、人を、こんなにめった打ちにするような子を?
 僕はトリーを探さなきゃいけなくて、ヤツラに捕まるわけにもいかなくて――ああっ!
 こんな切羽詰まった時に面倒くさい問題持ち込むなんて!
 僕は思わずその場から逃げ出した。
 だってここでぐちゃぐちゃ言い訳聞いてたらヤツラの仲間が来ちゃうじゃないか。
 あの女が逃げたのはあっちの方、右側、魔女のホウキの方から。
 左側、ギロチンクロスの向こうには確かミラーハウスがあるはず。そっちには近づきたくない。
 なら真正面か――ナイトメア・ザ・メリーゴーラウンド越しに見える幽霊船の方へと、僕は走り始めた。

 数メートルほど走って、足音がついて来ない事に気付いた。
 立ち止まって振り返ると、トワさんは倒れた男の下半身の横にポツンと立ち尽くしている。
 月の光に照らされたその表情の中には、悲しみとか後悔とかいろんな感情が混ざっているようにも感じる。
 あの子はこの先どうするんだろう。
 ヤツラが仲間を呼んで戻ってきてもあそこにずっと立っているつもり?
 そうしたら今度は彼女が殴られるか、良くてヤツラの仲間にさせられるか――もしかしてそれって僕のせい?
 思わず大きなため息がもれる。
 彼女に向かって手招きをする。
 何度目かの手招きにトワさんは気づいた風だった。
 僕は誘ったぞ。
 これで来なかったら彼女の意思だ――って、うわっ。
 まるで名前を呼ばれた飼い犬のように彼女は真っ直ぐに僕へと向かって走ってくる。
 あの厚底靴、走りにくそうなのにものすごいダッシュ力。
 おい待て、ちょっと止まれ――そのまま僕にぶつかった、というか抱きついたというか。
「風悟さん、大好き」
 また僕の耳元でそう言った。
 僕は彼女を引きはがし、釘を刺す。
「トワさんがヤツラの仲間になったら戦闘で勝てる気がしないから、ですよっ」
 でも彼女は満面の笑顔で僕の手を取り、前方に見える幽霊船の方へと走り始めた。
「こっちってアクアツアーだよね。新大陸エリアに移動するんでしょ?」
 まだ彼女を信じたわけじゃない。
 事情も聞いていない。
 ヤツラが戻ってくるかもという焦りもあった。
 だから彼女に告げるタイミングを逸してしまったんだ。
 僕らの横で、メリーゴーラウンドが灯りもつけず静かに廻っていたことを。

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