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信じられる死生観って

夫が空に旅立って8か月ちょっと。この3年は本当にいろいろあって、さらに夫が亡くなってからは私の心もかなりやばくなっていて「生きるってなに」「生きるのってこんなにしんどいのか」「楽になりたい」と思うことも多々あった。

夫が亡くなって悲しいのに、だからこそ夫の分まで生きることを精いっぱい楽しまなくてはと理解はしていても、生きることそのものが辛くなってしまうこともあるのだ、という経験をした。

「死ぬ覚悟で生きればいい」と以前の私は思っていた。ものすごいエゴだった。全然、理解できていなかった。私は「そちら側」の気持ちがわかってしまった。生きることが辛いんだ、これ以上無理ってところに立つ経験。おそらくそこから実行するにはさらに向こう側があるのかもしれない。幸いにも私はまだそこの景色はみていない。

頭で理解するコトと、心でわかることって全然違う。「死にたい」って思ってしまうことに罪悪感を抱き、「でも辛いんだもん。楽になりたいんだもん」って同時に思う。そのこと自体がつらい。ただでさえ辛い精神状態なのに、「死にたい」って思ってしまう自分にさらに「なんて自分は弱いんだ」って追い込みをかけてしまうような。

「時がたてば」と言われる。時間が薬だ、と。でもそれって全然慰めにならないし、時がたてば楽になれるってわかったって、今を生きれるパワーにはならない。だって「今」が辛いんだもの。

「辛い、もうだめ」「あ、大丈夫かも」を1日の中でも繰り返し、それが日々かわる。自分の心がまったく制御できない。今までの人生で辛いと思ったこと、いっぱいいっぱいあるけど、次元が違う。

宗教みたいだけど「生きるって、死ぬってなんなの?」をぐるぐる考え続けた。仏教やキリスト教の本、ほかの宗教の本も読んだ。でも、結局そこに答えはないのだ。だって宗教によって考え方が違うんだもん。死んだらどうなる、とか誰にも分からない。当たり前だけど。

心から信じられる宗教があれば、どんなにいいかとも思った。だってその宗教の死生観を信じればいいんだから。でも私にはそれがないし、信じられる死生観もない。そしてきっと、それは私が生きている間中、考え続けることなのだろう。

今の私は、生きることが全然楽しくない。日々を頑張って心を保って、生き永らえている。とりあえず子供たちをなんとか大人にするまでは生きていたいなあとも思う。でも同時に、こんな精神状態の私がそばにいることは悪影響なんじゃないかなとも思う。

ただただ、日々を、時間がたつのをなんとかやりすごしているのだ。心に余裕がないという言い方では言い表せない、いまの状態。


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