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がんばろう北陸④孤独にならないように(2024. 1. 3)


能登半島地震が起きた日のことを書きます。辛くなる方は読むのを控えてください。(1185文字)


中学3年のときの同級生7人<女子限定>のグループラインがある。
毎年、元日の午後ともなると「あけおめ!」で、盛り上がるのだが、今年はまだ沈黙していた。

お昼のニュースを見ていたら、卒業した中学校の地元は、液状化の被害が出ていて、大変なことになっていた。
午後1時「みんな無事ですか?」とラインメッセージを送ってみた。

しばらくして「無事だよ」とか、「怖かったね」と、メッセージが届き始めた。みな無事だった。良かった。

今も地元にいる同級生からは「断水しているので、給水所に毎日並んでいる」とか、「今は息子の家にいる」とのメッセージが届いた。
ほかにも「実家が損壊したので、親を呼び寄せたのだけど、親が家に(もう住めないのに)帰りたがる」という話も。

液状化した町にいる同級生によると、地震が起きたとき、通りの地面が波打ちはじめたのだそう。泥水がみるみる間に溢れ出し、家や電柱が傾いていく様は、地獄絵図のようだったと話してくれた。

それでも、ラインのグループトークはどこか明るいのだった。なぜだろう。
余震で揺れると、
「また揺れた」
「揺れたね」
「揺れてなくても揺れてる感じがする」
と、また話が続く。

私は用事で抜けたり、また戻ったりしながら、みんなの話を聞き、トークに参加した。

ペットのわんちゃんと避難所に行ったとか、一緒に行ったけど大パニックになってしまって連れて帰った(←私)とか。
地震に驚いた猫さんが、家のどこかに隠れてしまい、二日間出て来なかったとか。

明日から仕事だけど、ペットを家に残していくのが心配だとか、高齢の親を置いていくのも心配だとか、何でも言いあった。
何か言えば、誰かが「わかるよ」「わたしもそう」と言ってくれた。
看護師の友人の話を聞きながら、不眠不休で仕事にあたっておられる方のことも思った。

トークが盛り上がる中、私のスマホに、市役所から〈自宅に住めなくなった人への相談窓口開設のお知らせ〉が届いたので共有。

午後9時になり、そろそろ解散することに。
「辛くなったら、ここ(グループライン)に来ようね」
「孤独にならないようにね」
「体に気をつけてね」
「みんなもね」

グループラインのトークは8時間続いていた。
あの日あのときを、みんな必死で頑張っていた。
寄り添い、励まし合うのは、生きる気力が消えないようにするためなのだと、今ごろ気づく私。
これから、もう少し優しくなれるかなw

そう言えば、わが家の家族の会話、声が大きくなっている気がする。
しかも、やや明るめ。普段はもう少し、淡々とした調子なのだ。
もしかしたら、正常性バイアスが働いているのかもしれない。
となると、それはそれで、後から来る反動が心配なのだけど。


読んでくださって、ありがとうございます。北陸の伝統工芸品をひとつ、ご紹介します。

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