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自分で限界を作っていないか?

 重い腰をあげてようやく取り組み始めた超加速学習、始めるために必要なことは、何はなくともマインドセット

 このマインドセットというのは、新しく何かを活動するのに最初に取り組まなくてはいけない大事なことである。

 いろんな自己啓発書を読んでは積読にしてしまっているが、2章ぐらいで必ずといっていいほど登場する。「早く答えを教えろ!!」ということで2章を飛ばして、3章から読み始めることも少なくない

 でもマインドセットは、最も大事なので絶対にとばしてはいけない!!

 大事なことだから2度いうけど、絶対にとばしてはいけない!!

 必要なマインドセットは自分の限界を作らないことだ

 まず、人間の脳みそというものは、すべての情報を処理できるほど優秀ではない、潜在意識の中で必要なことそうでないことに選別している。インスタのアルゴリズムのように興味のありそうなものを中心に集まるようにできているのだ。

 その興味のある情報が集まって体得できることは良いことであり、それが自分の個性となるので良いことではある。

 問題となってくるのは自分に限界を作ってしまうときであり、こうなってしまうと情報が無意識的にシャットアウトされる

 わたしが口癖で言ってしまうことの一つに「○○に興味ないしなあ」というのがかなり多いのではないかと自覚している。

 例えば「お金の勉強(株・投資など)」には全然興味がないといっているのですが、もちろん貧乏は嫌だ!!と思っている

 こういう風に自分で興味がないと、決めつけてしまうとお金に遊ばれて、挙句に逃げられてしまうような気がしてならない。

 このように自分で限界を作ってしまうことで、巡り巡って大きなチャンスを逃していることが多分にあるのではないだろうか?

 そうなってくると、自分で限界を作る言動が多すぎる結果、自分の成長に見えない壁を作っているのではないのでしょうか?

試しに私の固定観念をはずしてみよう

自分にはリーダーは向いていない、サポートがあっているはずだ

 と自分で思っている節があるので、飲み会やらなんやらに誘われれば参加するけど、自分が企画して人を集めることに積極的でなかったりする。

 他にも仲間や友人を手伝うことはあっても自分で企画したり、何かに立候補することはあまりに少ない

 こうなってしまうと、本当にリーダーにならざる得ない時にブレーキがかかるのだが、普通に生活していると気が付いたらリーダーになってしまうこともある。場合によっては自分が一番年長者になるか、一番の経験者になっているので、自分で判断をしなくてはならないのだ。

 そんなときに、心のブレーキをかけている場合ではないのだ

 そもそも、なんでリーダーシップがないと思い込んでいるのか?

 いまの私をどのようにイメージしているのかわかりませぬが、昔の私は口数が少なく、自分から話しかけることがほとんどないのだ。リーダーシップ云々の前にコミュニケーションをとることに苦手意識を持っているようだ。

 そんな状態の私でも、班長とか幹事とか、係のリーダーとかよくわからない形でリーダーになることもある。コミュニケーションに不安のある自分がリーダーとなっていると失敗した気になる。

 小学生だったら学級委員となっているだけで先生に代表して怒られて、クラスメートからも文句を言われる。そんなものが大きなトラウマになってしまっている。

 その苦手意識を抱えたまま、永遠の2番手として学生時代から今に至るまで、上手くポジションをとってきたのだ

 その2番手としてインフルエンサーにコバンザメのようについていく戦略をとることで、それなりの成果を出しまあまあ良い人生を送れている。

 職場であれば、会社のリーダーの考えを汲み取りながら総務経理課として、それなりの成果を出している

 プライベートであれば、何か面白そうな企画をして人を集めている人のところにコバンザメのようについていくのは得意なようで、企画をする友人と一緒にいる仲間とのコミュニケーションをとり、楽しい日々を過ごせていると思う。

 ホントに永遠の2番手でもいいのか?

 多分違うだろうな

 昔の自分であれば、虐められないようになるべく目立たないように過ごしていた。それがコミュニケーションがうまくいかない理由だが、それでも早い段階で2番手のサポートとしてのポジションを獲得しているので、大きなトラウマにならずに済んでいる

 最近思うのは、そのポジションは天職ではないだろうな

 いまも昔も潜在的に思っていることは「かなりの目立ちたい願望がある」そのくせ「ホントに目立つのが怖い」とのダブルスタンダードを持っている

 そんなめんどくさい性格をしているので「企画力がないし、0⇒1できない」というリミットまで作ってしまっている。

 2番手が心地よいと思わなくなったのは最近の職場の状態かもしれない

 わたしの18年間のサラリーマン生活の前半は、幸いなことに尊敬できる上司と一緒に仕事ができたので、サラリーマン生活が充実したものだった。

 そして、私がそれなりの知識と経験を積んでくそ生意気になった時に、考え方の違う上司の下にいることが、とてつもなく腹立ってくるのです。

 その感覚は昔から持っていたかもしれないし、考えの違う人の言うことを聞くことにストレスを感じていたし、文句も言えない性格だったので大きなストレスだったのだろう。

 やっぱり私が行動してリーダーシップを発揮していかなくてはならないのではないか!!

 わたしが完璧な人間だと思わないけど、自分の考えをある程度は発信して無条件に引っ込む必要はない

 とはいえ、まだまだ不完全で至らぬところも多いので、「リーダーシップがない」というリミットをはずすとともに、解放感と同時に大きな責任を伴うのだなと感じた次第であったのだ。

 これで、リミットを少しは外せたのだろうか!!!

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