ワタシはキリギリスになりたい:『14歳からのアンチワーク哲学』へ寄せて
お久しぶりです。
ヤキソバライターです。
今回はいつものnoteとは毛色が違います。
ある本に向けてのワタシなりの紹介です。
父親との衝突
ワタシは大学生の頃、父親と揉めたことがあります。
当時(2017年頃)は、ベーシックインカム(以下、BI)の議論が盛んでした。
その中で、2ちゃんねる創設者ひろゆきの「働きたくなければ生活保護取ればいい」という言葉を鵜呑みにし、大学卒業後は生活保護を取って遊んで暮らそうと考えていたのです。
もちろん結婚もして、子どもも作ります。
その上で生活保護を受け続けようと考えていました。
父親は猛反対しました。
「楽ばかりして仕事もせずに生活していくことなんてできるはずがない、社会はそんなに甘くないぞ」とのことでした。
当然といえば、当然です。
ワタシの父親は高卒で公務員になって以来、今までずっとその仕事をしているからです。
つまり、他の生き方を知らないと言っても過言ではないでしょう。
父親が20代のときにはバリバリ働いて、車を買って、船を買って毎週のように遊んでいたそうです。
「バリバリ労働して、いい思いをする」−それが父親の中での正解と呼べる人生でした。
そんな父親にとって、BIをもらって生きることなど考えられません。
まして生活保護をもらいながら最低限度の生活をするなんて、逆立ちしたってできないでしょう。
父親の言い分もわかってはいましたが、当時のワタシはまだまだ青く、納得などできませんでした。
そんな父親に反発してバイトもほとんどせずに少ないお金をやりくりして大学生活を送っていました。
例えば、メルカリを活用したり、要らなくなったカードゲームのカードを買取に出したりしていました。
しかし、そんなワタシも大学卒業後はめでたく就職し、地方の工場で働くことになりました。
日勤と夜勤の繰り返しで正月休みしかなく、ボーナスもなかったので残業代と夜勤手当で稼いでいました。正直給料はたくさんもらっていましたが、ストレスからか出費も多くあまり貯金はできませんでした。
その後紆余曲折あって転職し、東京に戻りました。
その頃から双極性障害のうつ状態と躁状態の波がひどくなり、昨年会社員をやめました。
現在では働かずに生活保護をもらって生活しています。
働かなくなって、5ヶ月が経とうとしています。
そんな日々の暮らしの中で見えてきたものがあります。
働かなくても、案外日々は充実しているということです。
そして会社員時代を思い出すと、なぜあんなに長時間労働していたのだろうと思います。
大学生のときには、あんなに働きたくないと言っていたのに。
おそらくそこには「慣れ」と「諦め」という恐ろしい毒があるのだと思います。
最初は憎んでいた労働に対し、次第に慣れ、そして諦めて寄りかかるようになるのです。
生活保護を受けていると、金銭的には制限がありますがストレスは少なく、日々の生活を楽しむことができています。
「アリとキリギリス」
そして最近、ふと思い出した童話があります。
イソップ童話の「アリとキリギリス」です。
いくつか再話されているため、みなさんも様々なパターンを聞いたことがあるかと思います。
ワタシが子どもの頃に聞いたのはこんな話です。
この童話には将来に備えておくことの大切さが教訓として込められているようです。
しかし、子ども心にワタシはこう思いました。
「冬になったら、アリがキリギリスに食べ物を分けてやればいいのに」
これに対して、よくある答えは夏の間遊んでいたアリの自業自得だというものでしょう。
同じことは実社会でも言えると思います。
おそらく現在20代で生活保護を受けていると伝えるとほとんどの人がこう聞いてくると思います。
「将来はどうするんだ。いつになったら働くのか」と。
まるで「働かない」という選択肢がないかのようです。
そんなモヤモヤした気持ちを代弁してくれる本に、ついに出会いました。
『14歳からのアンチワーク哲学』
始まりはnoteでこんな記事を見つけたからでした。
「まとも書房」という一風変わった名前の出版社を立ち上げたいから力を貸してほしいという記事でした。
頭の中に稲妻が走ったような気がしました。
そのまま出版社立ち上げのためのdiscordに参加し、『14歳からのアンチワーク哲学』に出会ったのです。
この本は高校の倫理で習った遠い昔の哲学書のように、主人公である14歳の少年とおじさんニートとの対話形式となっています。
内容はとても読みやすく、興味深いので一気読みしてしまいました。
書いてある内容は、まさに労働ありきの現代社会に対して一石を投じるもので、タイトルにもなっている「アンチワーク」つまり労働なき世界を作らないかと語りかけてきます。
この本の中では、労働を「他者から強制される不愉快な営み」と定義しています。
この定義を見たとき、ワタシには一つ思い当たる節がありました。
それは子どもの頃、誰しもが一度は家族から言われたであろう「早くお風呂に入ってきなさい」という言葉です。
本来、お風呂に入ることは汚いものをきれいにすることであるので、快感を抱く行為のはずです。
しかし、他者から強制されると、途端に入る気が薄れていくのです。
最悪なのが、だいたいそろそろお風呂に入ろうかなと考えていたタイミングで言われることです。
これを労働に見立てると。他者から強制されなければ本来楽しんでできることがあるはずだということです。
だからこそ労働なき世界を作らなければならない、という著者の意見に対してワタシも賛成します。
そして、もう一つ、ワタシには脳裏に浮かんだことがあります。
それは5歳離れた姉の姿でした。
ワタシの姉は知的障害を持っています。
日常生活のうち、いくつかできないことがあります。
金銭の管理と、ご飯を作ることです。
しかしそれ以外の身の回りのことは一人でできるので、現在はグループホームに入って、他の知的障害を持っている人たちと共同生活を送っています。
そして休日のみ実家に帰ってくるのです。
それでは平日は何をしているかというと、福祉作業所で働いています。
さて、福祉作業所にはA型作業所とB型作業所があります。
両方とも一般企業で働くことが困難な方向けのサービスではありますが、以下のような違いがあります。
ワタシの姉は後者で働いており、フルタイムで週5日働いてだいたい月5,000円くらいの工賃を受け取っています。
間違いではありません、五千円/月です。
もちろんそれ以外にも年金などがあるので、安定した生活が送れているようです。
工賃が適正なのか等の問題は本旨ではないのでここでは語りません。
しかし彼女にとって週5日他者と触れ合う機会があり、することがあるという状況は間違いなく活力を与えていると思います。
もしBIがあって、労働なき世界が実現すれば誰もがそのような生活を享受できるはずです。
それはまさにキリギリスのように。
そんな世界が来ることを願って、ワタシはいまこの本の出版に協力しています。
もしこれを読んでいる方の中に、同士諸君がいれば下記のクラウドファンディングに参加して、この本を手に入れてみてください。
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