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自然科学の参考書の読み方について

はじめに

昨今では稀薄になった経験かもしれないが、書店に行くと本がずらりと並んでいる。

てきとうにぶらぶらと物色しながら、デザインの良い表紙の小説や、気になる作家さんの新刊を思わず手に取ることもあるだろう。

参考書*だって同じだ。イカしてるとかカワイイ女の子が表紙にいるからついつい手に取ってしまったり、勉強できるアピールでちょっと分厚いものに手を伸ばすこともあるだろう。
*以下参考書というときには、物理や化学といった自然科学のものを念頭に置いている。

または、ネットの通販レビューや教育系の記事を読んで良さそうな参考書を調べる。

そして、購入するまではいいのだが、問題はそこからである。

せっかく買ったのだから、当然勉強しようという気になったはずである。

だが、実際に参考書を開いて勉強を始めると、どうしてもその気概は長持ちしない。

自主勉強として買った本の大半は、そのページの糊が乾き切らないうちに本棚の中で眠ることになるのがオチだ。

どうしてこのようなことになるのだろうか。

そういう人は、実は読み方が間違っているのかもしれない。

本の構成

当たり前のことだが、参考書の頁は左から右(乃至右から左)のように、一方向に流れてゆく。

本文も当然これに倣うようになっていて、章立て(内容構成)は起承転結を設けるようにできている。

初学者というのは、いわばこれから学ぼうとしていることの起承転結、一番盛り上がるのがどこなのかよく分からない。

書物の方が盛り上がりのランドマークを築いてくれていて、それにむけての道のりを丁寧に設定してくれているならば問題は無いように見える。

しかし、大概のものはそうなっていないのが事実だし、それが一概に良いとはいえない。

それもそのはずである。

自分のストーリー・思想を組み込んだ書物というのは、大変読みづらい。

読み手と書き手の側で、問題にしていること(盛り上がり)が違うのは当然のことであって、本の構成を考える書き手がこの盛り上がりに向けて書いたならばどうなるだろうか。

純文学ならば、結構なことである。なぜならば、読者はそのドラマに完全に順応するように読むからである。

だが、科学は必ずしもそうである必要はない。

自分で体系を組んで考えていくのが科学的なものの考え方だ。

残念なことに、著者の側が盛り上がりを決め打ちして書いた参考書は、その盛り上がりしか読者の印象に残らない。

これは小説が、感動を「押し売り」するのと全く同じ原理である。

初学者にしてみればそのほうが読みやすいのかもしれないが、これは即ちその本の著者の「盛り上がり」しか分からない、ということである。

それ以降に更なる勉学に励むならば、結構だがそれだけしか読まないとなると微妙な話だ。

フラットな書きぶりをどう捌くか

以上、盛り上がりを本に持たせることは、参考書として微妙かもしれない、という話をしてきた。

では、盛り上がりの無いフラットな参考書をどのように読むのがいいだろうか。

これは、難しい問題である。

既にある盛り上がりを体験したうえで読むならば、自分の盛り上がりを強化・補足してくれる本として読んでいけばよい。

だが、なんら感動を知らない初学者が読むとして、このフラットな書きぶりは時として冷淡である。

ただ淡々と事実だけ述べられたとして淡白以外のなにものの言葉も出てこない。

読んでいて苦痛なのである。だから、途中で投げ出してしまう。

何が楽しいのか分からないのである。

だから、緒から読もうとするのではなく、あえててきとうな頁をぱっと開いてみて自分の興味に合うかどうかを見てみるといいかもしれない。

これはネット通販だと難しいかもしれないが、リアルな書店であれば容易である。

そこで盛り上がりを得たのならば、例えばその本を買って、それまでの展開を追うもよし、ネットでそれにまつわるキーワードを入れて、記事で勉強するのもよいかもしれない。

本を手元におくメリットについては、ここでは不問とする。

学校の教科書について

学校の教科書というのは、これとはまた話が違ってくる。

あれは、そもそもフラットな形で書かれているし、これから先勉強していく上で基礎的な知見をまとめたものである。

あれで不満足と思うのは結構である。そう思うならば、それ以上のことを参考書で学べばいいのである。

書き方が足りないところは、先生が説明してくださるし、それでも不明ならば先生に直接聞くなりすればよいのである。

最後に

参考書を読む、というのは要は自分で「盛り上がり」を探すということである。

盛り上がりを見つけたら、それまでに書かれていることを読んだり読み返したりして、その論拠を見つけるのである。

本は往々にしてフラットである。

論文は結論があるが、参考書にはそういったものは稀薄である。

本の終点が、必ずしも理論の帰着点ではないのである。

だからこそ、自分で盛り上がりを見つけ、問題を設定することが肝要になる。

初学者、既習者問わず、フラットに考えることだけは避けねばならない。それでは、学問する意味が無い。

本がフラットだからといって、自分がフラットに考える道理は無いのである。

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