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「二項対立」という落とし穴

War never changes.

さっきNoteを開いたら、”「戦争」の対義語は何か?”というようなタイトルの記事を見かけたので、興味本位で読んでみた。
(※段落名のWar never changes.ってのは某ポストアポカリプスゲーから)

(その記事)
https://note.com/amorphous180131/n/n81aa421d0bc4

戦争していない、ということの意味

その記事の筆者(Xとしておく)は、対義語としては「妥協」というものを挙げていた。

X曰く、「戦争」を「平和」の対義語に据えると、「平和=戦争がない」ということになるが、これでは現実感が無い

戦争していないからといって平和とは限らない。

以下の具体例は私の付け足しになるが……

実際、日本は昭和20年に終戦を迎えてから、「平和」を国是としてここまで歩んできた。

しかし、朝鮮戦争,ベトナム戦争,中東戦争,湾岸戦争etc...といった戦争が世界のどこかで起こっていたことは厳然たる事実(”史実”ではない)であり、その間に私たちが享受していた「戦争がない」生活を「平和」と呼んでしまってよいものだろうか?

あるいは、古代で言えばローマ帝国は「パクス・ロマーナ」―ローマによる平和状態を生み出したわけだが、果たしてこれは私たちが”平和”という言葉を口にするとき、頭の中に思い描く理想通りの姿であっただろうか?
―ただ、ローマという巨頭が聳え立つことで闘争状態が抑えつけられたに過ぎないのではないか?

というこの漠然とした矛盾が、Xの主張の根底には流れているのだろう。

かく言う私もその一人であり、この主張を補強してみたい。

「対義語」が提示する構造

ここで一つ注目したいのは、この議論では「対義語」というものを考えている―つまり、AとBという二項対立を故意に生じさせようとしている点だ。

試しに、幾つかの対義語のペアを並べてみよう。

例)
A:厚い    B:薄い
A:固い    B:柔らかい

といった具合に、幾つか思いつくものを挙げてみた。

ところで、あなたの手元にハンカチがあるとする。それは「固い

」ですか、それとも「柔らかい」?

どうだろうか。

おそらく、こう答えた人が多いのではないだろうか?

「どっちとも言えない」と。

別にこの具体例でピンとこないと言うならば、お好きな二項対立(対義語の関係にある語のペア)を持ってきて、他の具体例でやってみてください。

元ネタの記事ではこんな問いを発していた。

例えば石ころは生きていないけど、死んでもいないよな・・・。

回数を重ねれば重ねるほど、この二項対立の図式には明らかに無理があることに気づくはず!

ここでXは、”補集合”の考え方を議論の俎上に引き上げていた。

集合論を少しでも勉強したことがある人ならば分かることだが、補集合と二項対立は同義では無い

例えば、「厚い」の対義語は「薄い」であり、補集合は「厚くない」だ。

より正確には、「薄い」⊂「厚くない」(「厚くない」という集合の中に「薄い」が入っている)である。

他には、「どちらとも言えない」は「薄い」にも「厚い」にも属さない集合だというのも理解できる。

つまり、集合によって世界の各要素を眺めることによって、事物の本質を突いたカテゴリへの帰属が可能になったというわけである。

この二項対立と補集合の話を哲学の世界に結び付けると、脱構築(feat.デリダ)という思潮がこれに当たる。より広く取れば、ポスト構造主義である。

脱構築から見る「戦争」とは

以上の話を踏まえて「戦争」を記述するとするならば、「戦争をしない」の補集合となるだろう。

今までの流れからすると、なんだか堂々巡りしている(循環論法である)と思われるかもしれないが、これはこれで立派な脱構築の成果と言えるのではないだろうか。

しかし、「戦争」と「平和」という二項対立の中では捉え切れなかった「戦争をしない」という集合を導き出せたことには大きな意味がある。

後はこの集合に帰属する要素を検討し、更にその中から「平和」に帰属するだろうものを洗い出すのだ。

何事においてもそうだが、いきなり細かいところから詰めようとするのではなく、徐々にゝ絞り込みを掛けることが、探し物をするときのキーポイントなのだ

まとめ

☆全体集合S=[「戦争」∪「戦争しない」]⊃「戦争しない」⊃「平和」

という構図があることが脱構築によって分かったが、これは二項対立で見落としていた「戦争しない」という項を拾い上げているのが魅力的である。

二項対立ではそのせいで、

◎全体集合S=[「戦争」∪「平和」]

という等号が成り立たなくてはならない、という矛盾を孕んでいたというわけである。

安易に対義語を使っちゃうのは、選択肢を狭める、思考の範囲を狭めることになる

と最後にXは述べるが、この意味は上述のようにして理解されるのだろう。

と、ここまでこのように、あたかも二項対立は不便で使いどころが無いように響いているのだとしたら、それは全くの誤解である、ということだけ最後に述べておく。

言葉には対象を標識する機能があることは周知の事実だが、このときに二項対立は便利である。標識する際にわざわざディテールを記述するよりも先に、とりあえず白黒はっきりつけておくことは重要であるからだ。

しかし、時としてそのやり方は誤謬を生む。それが、私がこの記事を通して言いたかったことである。

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