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164.忘れてはいけない、、、3.11東日本大震災。

こんにちは。合同会社Emuの坂井直貴です。
今日3月11日は何の日でしょうか?
11年前の2011年3月11日に東北を中心に大災害を引き起こした「東日本大震災」が起きた日です。
今の20代の若者の中には「東日本大震災」って何?と言って知らなかったり、感心がない人がいることが驚きでした。
ただ知らないことが悪いことではなく、私自身も祖父などから聞いた戦争の話を聞いていましたが、「若い人が特攻するんだ!」とか「昔の人は志がすごいな!」と興味を持ちながらもどこか他人事でした。

今思えば本当に恥ずかしい限りです、、、

東北沖

※東北沖の位置です
「東日本大震災」は午後2時46分ごろに起き、
東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10メートルを超える津波が押し寄せた大地震です。

地震の恐さは第二波

津波

当時は広告会社の制作会社で忙しい日々を送っていましたが、その日は昼食を取って、夕方に行く打ち合わせの準備をしていた時に、社内が大きく揺れたのです。
女性社員は不安まじりな表情で「揺れてますよね〜。。。」と隣の社員に話しかけたり、お調子者の先輩は「めっちゃ揺れてるや〜ん。やばい!やばい!」と冗談混じりにはしゃいでいました。
バタバタと忙しさを感じながら、スマホもテレビを見る時間も取れないままに仕事から帰った後、私は疲れ果ててそのまま眠ってしまいました。

そして朝目が覚めてニュースを見た私は口が空いたまま、固まってしまいました。

それは10メートルにも及ぶ高さの津波が防波堤を越えて、街を飲み込んでいく映像でした、、、
車はオモチャのように簡単に流れていき、家は白波をたてて渦巻く波にのみこまれていました。
そしてところどころは火事で、火が上がっていたのです。
地震が直接街を崩壊させたのではなく、地震によって起きた「津波」により被害で大災害となっていました。

大災害が起きた後

災害後の街

宮城県、福島県をメインに周辺の街は津波に飲み込まれ、一夜にして瞬く間に姿を変えてしまいました。

東北の人々は当たり前に朝に目が覚めて、会社に出社をし、晩御飯を恋人や家族を食べて、お風呂に入って、寝るという生活ができない人が溢れかえり、避難場所やシェルターに移動をして生活をすることを余儀なくされてしまいました。

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そして庭に放し飼いにしていたりしていた「ワンちゃん」や屋内で飼っていた「猫ちゃん」の行方はというと、崩壊した街でお腹を空かした動物たちが放置されたままでした。

自分が生きることに精一杯だったり、国も動物よりまず人命を救助をすることを優先した結果でした。

犬を飼っていたこともあり、動物のことは気がかりでした。
愛犬との暮らしを書いた記事です。

・街がなくなってしまい、仕事がなくってしまった人
・ローンで購入したばかりの住宅が津波で流されてしまった人
・挙式を控えていたが挙式が流れてしまった人

ニュースではこんな悲報が流れてきました。

やらない善よりやる偽善

トラック

「偽善」と言う言葉は敢えて書かせて頂いたのですが、ボランティア活動などやられていない人は、やっている人のことを偽善と指を刺して当人は何も行動に移しません。

地震が起きて、私が住んでいた関西では正直ライフスタイルは全く変わらずだったので、周りの人たちも地震が起きる前と変わらない生活を送っていました。

数多くの著名の方や芸能関係の方も救援物資の援助をしていましたが、街が崩壊しているため配送もなかなかうまくいかず、東北では食べるもの困っているのを日々ニュースで流れていたのでした。

そんな中、黒のタイツで上半身が裸が特徴的な江頭2:50さんは自身でトラックを運転し、福島県の避難所に援助物資を届けた!とニュースを見てお届きでした!

名前を売るためではなく、想いから行動されているところにとても感銘を受けました。

他にも「はるな愛」さんも自ら足を運んだり、海外アーティストの「レディー・ガガ」さんなのど数多くの方が援助されています。

私も大好きなアーティストのライブで、保存が効くレトルト食品をほんの少しだけ寄付したりしていました。
私も偽善と言われても自分が正しいと思う行動を取ってきました。

嬉しい出来事

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そしてとても嬉しい出来事もありました。

チケットもすぐに完売し、伝説のまま解散をしてしまったずっと大好きだったアーティストのHi-Standard(ハイスタンダード)が復活したのです。

ずっと沈黙を決めていたアーティストが先頭に立って東北のために開催したair jam2012でその姿を見せてくれました。

そしてair jam2012に出演をしていたバンドのBRAHMANのTOSHI-LOWがライブMCで話していた内容が心に刺さりました。
少し長いですが。

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MCの中で、特に考えされされたのは言葉がこちらです。
TOSHI-LOW「男が泣くなんて格好悪いと思ってたけど、あの日から今日まで何回も泣いたよ。
石巻の沿岸で「お母さん!」って泣きながら歩いてる子供を見て泣いた。
100歳のお爺ちゃんが避難所で自殺した話を聞いて泣いた。
皆の邪魔にならないようにって「お墓に避難します」って亡くなった93歳のお婆ちゃんの話を聞いて泣いた。
町民のために防災無線でアナウンスし続けて被災された南三陸町の職員の話を聞いて、泣いた。
大船渡の、何も無くなったって言ってた友達が、震災から暫くして自分の車が発見されて、
後部座席の泥の中から足が見付かって、掘ったら自分の息子が出てきたって。
苦しそうな顔してたって。その話聞いて….泣いた。
震災があっていっぱい泣いた。」

TOSHI-LOWの言葉です

変わらない日常変わらない世界変わらない自分 本日、晴天の…

当たり前に過ごしている日々は当たり前ではありません。
当たり前にいる目の前の人は当たり前ではありません。

大事な人はより大事にし、

やりがいがない人は誰かのために生きてみましょう。

目標がない人は毎日を全力で生きてみましょう。



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