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「私らしいデザイン」って何?の話

ある人に

「(本名)さんは『自分らしいデザイン』、『自分の美学』を見つけて、
『このデザインなら(本名)さんに任せたい』
って思われるようになってください」

と言われて、

私らしい」って何?

となったので、ここで考えていきます。

これまでのデザイン遍歴

詳しくはこちらを読んでください。自己紹介が載ってます。

簡単にまとめると、
「高校時代、演劇部でデザインに興味を持って、そこから独学で勉強して、謎解きサークルでもデザインを続けて、今もやっている」
といった遍歴です。

誰かに教えてもらうようになったのは2020年以降です。
それまでは独学で、その場しのぎで制作し続けていて、

  • 写真

  • 写真合成

  • デジタル水彩

  • デジタル油彩

  • あと、フォトショとイラレでできそうなこと色々

を一通りやった気がします。


高校時代が原因だと思う

高校時代、私は何度も死んでいました。
もちろん生きていましたし、普通に学校も通ってましたが、
作品への没入が酷くて、「私らしくない」生活を送る日々が多々ありました。

高校時代の制作物は

・高校1年10月 文化祭公演
 パンフレット
・高校1年3月 卒業公演
 ロゴ
・高校2年4月 新入生公演
 フライヤー
・高校2年10月 文化祭公演
 ロゴ、パンフレット
・高校2年3月 卒業公演
 ロゴ、フライヤー
・高校3年4月 新入生公演
 フライヤー
・高校3年10月 文化祭公演
 ロゴ
・高校1年3月 卒業公演
 ロゴ、パンフレット

です。基本的に、年3回の公演でロゴとパンフレットかフライヤーを作っていたことになりますね。

演劇部でのデザインは、

  1. 公演全体を統括する演出・舞台監督からイメージを聞き取る

  2. その時点で上がっている台本を読み込んで、細かい部分を理解する

  3. ラフだしを繰り返して、演出・舞台監督のイメージに近づけていく

と言った流れで進めていました。ここに、「私の気持ち」が入る余地なんてなかったんですよね。

周りの人も演者が多くて、役になりきるタイプの人に囲まれていたので、
どこまで自分と作品を重ねられるか
をずっと追い求めていました。

すると、ここで問題が発生します。
先ほど紹介した高校時代の制作物の内、

・高校1年10月 文化祭公演←そもそも幽霊出てくる
 パンフレット
・高校1年3月 卒業公演←親友の死
 ロゴ
・高校2年4月 新入生公演
 フライヤー
・高校2年10月 文化祭公演←主人公死にかける
 ロゴ、パンフレット
・高校2年3月 卒業公演←ほぼほぼ死
 ロゴ、フライヤー
・高校3年4月 新入生公演
 フライヤー
・高校3年10月 文化祭公演
 ロゴ
・高校3年3月 卒業公演←自殺がきっかけの物語
 ロゴ、パンフレット

高校演劇、死にすぎじゃないですか?
特に卒業公演。
3年間の集大成として、何かしら大きなテーマと向き合いたいとなったときに、大体誰かしらキャラクターが死ぬんでしょうね。

「死」をテーマにした物語に対して、自分と作品を重ねようとすると、
どうなるか分かりますよね。

  • 脳内で自分が死ぬ

  • 脳内で大切な誰かが死ぬ

2択です。
自分の時はまだいいです。大切な誰かの時は、中学時代からの親友Mちゃんに登場してもらって、「ごめん」と思いながら彼女が亡くなった世界を作り上げてました。

特に最後の高校3年3月の卒業公演は、私にとっても集大成だったので、
自分と作品の重ね合わせに全力を注ぎました。
結果、
奥多摩で飛び降りられそうな橋を自転車で探す」といった奇行に走ることになりました。

高校3年3月 卒業公演のパンフレット扉ページ
(奥多摩で見つけた「飛び降りられそうな橋」)


3年間の演劇部生活では、
公演があるたびに、デザイン制作期間の1ヶ月ほどは
「死」が常に頭の中にある状態で日々の生活を上の空で送っていました。


謎解きサークルの物語なら死なないはず!

大学に進んでからも演劇サークルに入るという選択肢はありました。

しかし、
「もう『死ぬ』のは懲り懲りだな」という気持ちと
「演劇サークルって留年してる人が……」の危機感から、
謎解きサークルでデザインを続けていくことにしました。


そして、大学1年生(2018年)の9月、矢上祭公演のメインビジュアルを担当することができました。
作品は『Re: mind』です。

では、公式のあらすじを見てましょう。

「あなたは死にました」
怠慢な天使は告げた。
あなたはある一人の男性。
目をさますとそこは無限に広がる闇の中だった。
これはあなたの大事な選択の物語。
運命を変える60分が、今始まる。
チラシ裏面より

はい、死にました

「脱出ゲームってまあ生還するものだし?」と思っていたら、
デフォルトで死んでいました。

しかも、死後の世界の話です。
これまでのモットー通り、自分と作品を重ね合わせていくのなら、
死んだ後、どんな世界なのか
を理解しないといけません。
このメインビジュアルが、一番精神的に辛かった気がします。

「どうして死んだのか」
「絶望はどんな状態か」
「死後の世界には何が見えるのか」
「どうやって立ち直っていくのか」

これらを毎晩毎晩考えていました。
「絶望はどんな状態か」を想像するために、
某歌い手さんの曲を聴き続けて「自己否定感」を何倍にも膨らませたり、
親友Mちゃんに再登場してもらって、彼女が居ない世界に自分を置いてみたり
と努力していました。

結果、納得できるメインビジュアルができたので、この「死」も無駄にはならなかったんですけどね。

『Re: mind』メインビジュアル


その後の制作物

ここはサラッと流していきましょう。

『アオイナツニモドレ』メインビジュアル
『まぼろし新聞社』メインビジュアル

こんな感じのデザインをしていました。

私としては、それぞれの作品に違う自分を重ね合わせている状態、
言い換えれば、別の人が作っているようなイメージで制作をしていました。

「K2らしい」……?

それは、世間の情勢により幻となった「K2フェス2020」のメインビジュアルを公開したときです。

『K2フェス2020』メインビジュアル

こんなコメントをいただきました。


このツイートを見た時の最初の私の反応は

えっっっっっっ

です。

「見てて楽しい」と言っていただけて、とてもうれしい限りなんですが、
それでも、自分の予想とは違うリアクションに戸惑いを隠せませんでした。

「最近K2のこういうデザインに」とおっしゃっているので、
この作品以前のメインビジュアルを振り返ってみました。
(灰色の枠が私が関わったもの)


2018年にK-dush2が出したメインビジュアル


2019年にK-dush2が出したメインビジュアル(ロボットキッカーは共作)
※フェス内公演はツイート以後だったので除いています

うーん、分からない。

私が関わった作品と、先輩や同期が作った作品が並んでいて、
私の目では統一感だったり法則性だったりは見つけられません。

ただ、この「K2らしい」を掘り下げれば、
「私らしい」デザインに近づける気もしてきました。


考察

私が意図しないうちに「K2らしい」デザインになっていたことについて、
仮説を立てて、考えてみたいと思います。

  • 隠しきれていない手癖

  • 他団体との比較

  • 普段よく見るデザインの違い

  • K2の作品として出す責任感


隠しきれていない手癖

て‐くせ【手癖】
《「てぐせ」とも》
1 習慣的にしてしまう手の動き。手の癖。「手癖足癖」
2 つい盗みをしてしまう癖。「手癖のよくない子」
3 手で何度も触るなどした跡。「手癖のついたグリップ」
デジタル大辞泉

今回は1の意味ですね。よくギターを弾く人とかも口にしていますね。

他の人のデザインを見ていると、
「あ、このデザイン○○さんが作ったやつだなー」
って分かることが結構あると思います。
そういうときは大体、色味やフォント、画風から判断している気がします。

私は「作品そのものになりきりたい人」なので、なるべく個人の手癖が出ないようにしています。
作品ごとに使う色、フォントを変えてみたり、やったことのない技術を使ってみたり。
(英語フォントだとダントツでDINが好きだけど、使うのを我慢してみたり)

ただ、1つだけ心当たりがあるとしたら、青みです。
当時使っていたパソコン(VAIO Zというほとんど使っている人がいなかったパソコン)の画面の影響か、
デザインを担当しているのに、眼鏡に入れてしまったブルーライトカットレンズの影響か、
「少し青すぎるかな?」
ぐらいの調整を最後にすることが多かったように思います。

「K-dush2 10th Anniversary」のレンダー画像(左)と完成ビジュアル(右)

意識してみると、そのクセは今も残っていて、
フォトショを使っていると特に、
最後に青みのレイヤーを重ねていることが多いです。


他団体との比較

これはもっと詳しい方とお話ししたい内容ですね。
某団体さんのサイバー系デザイン、一度は挑戦してみたいです。

他の団体のデザインと比べたときに、2018、2019年のデザインは振り切っているものが多いような気がします。
何かのパロディなら徹底的にパロディをするし、
ほんわかした作品では柔らかいタッチにする。

そういった点で「K2らしさ」が「見てて楽しい」のかもしれません。


普段見ているデザインの違い

インプットが違えば、アウトプットも異なるだろうという話です。

私に限って言えば、謎解きのデザインよりもそれ以外のデザインの方をじっくり見てきたような気がします。
といっても、週に1、2回は脱出に行ってたので、そこでメインビジュアルや公演内印刷物を観察していましたが、
それ以外にも、美術展やファッション誌、ブランドのランディングページなどを見ることが多かったです。
その一方で、アニメやボカロにはあまり触れてこなかったので、
普段そちらを見ることが多い人とは違うアウトプットになっているのだと思います。


K2の作品として出す責任感

デザインを作ってる時は、私自身がその作品になるぐらいのつもりで入り込むので、
あまり他のことを考えることはありません。

ただ、最後に
「このビジュアルでいこう」
と決めるときは、
K-dush2の作品としてこれまでの積み重ねに応えられるか、これからを作っていけるか
を考えていたような気がします。(3年前の記憶なので曖昧)

無我で作っていたものが、K2の作品として世に送り出されてしまう訳ですから、それ相応の責任感がありました。


バイトと年賀状と

自主製作の年賀状(2020年・2021年)

昔の話が続いたので、最近作っているものに目を向けていきたいと思います。

今は小さなデザイン事務所でグラフィックデザインをしたり、3DCGを作ったりしてます。
その中で、一番作ることが多いのが年賀状です。

作った分だけ採用されて売られていくので、
年賀状作成シーズンはひたすら量産します。
美大や専門学校出身の社員の方々は、「その人らしい」年賀状をどんどん作っていくのですが、
私が作るものは「このデザイン事務所らしい」年賀状になっています。

無意識のうちに、
自分=デザイン事務所
の重ね合わせをしてしまっているのだと思います。

自宅用に作った年賀状も、
2020年の画面きっちり埋めていくようなデザインから、
2021年は余白をしっかり残した(バイト先らしい)デザイン、そして(バイト先で習得した)3Dデザイン
になってます。

2023年の年賀状もきっと、
バイト先らしいデザインを自宅で作ってしまう気がしたので、
バイト先で作ったデザインを購入しました。

「無我の我」

さて、大した考察もできないまま、結論まで来てしまったのは、
理系学生として恥ずかしい限りなのですが、
何とかしてこのnoteを終わらせましょう。

高校時代から、まるで役者が役を演じるかのように、
自分=作品
と重ね合わせて作ってきました。
大学に入ってからも基本的には変わらず、
作品や団体としてのデザインを考えてきました。

言うなれば、作品そのものになりきり、自分の存在を消す「無我」の状態を美徳と考えてきたのです。

ただ、その中にも共通する「らしさ」、「無我の我」があって、
それをかき集めれば「私らしい」を見つけられるはずです。
実際にいくつか要素は転がっていたので、後は拾い上げるだけだと思います。

方針が決まっただけ良いとしましょう。

最後に、「無我」は仏教用語だそうで、
知らずに使っていたために、本来の意味とかけ離れてしまっていたら、申し訳ありません。


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さて、こんな記事を最後まで読んでいただくぐらいなら、
こちらのpdfをお読みいただいた方がよっぽどタメになると思います。

また、最近デザインしたLINE謎を2つご紹介します。

どちらも良質な謎で構成されているので、しっかり楽しめると思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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