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よっかかってもいいよ。

慌ただしさから、予期もせずに解放されたので、またNoteの更新をしっかりやっていこうと思う。

それはそうと、6月半ばなのに、ちょっと肌寒さを感じるのはなぜだろう。日差しが照っていると暑いくらいなのに、雨が降っている日は結構寒い。

梅雨って、もっとジメジメベトベトしているはずだったのに、これじゃあ秋にふる雨と代わりないじゃないか。紫陽花の爽やかで梅雨をしのげないじゃないのと思う。

梅雨を迎える度に「ジメジメが嫌だ」とか文句を垂れていたけれど、今年は文句が言えないかもしれない。そう思うとなんかちょっと天気に一本とられたような悔しい気持ちになるのはなぜだろう。

ところで、先日健康診断に行ってきた。小学生の頃は、健康診断の日は、勉強しなくていいし、一年前と比べて成長している私を知ることが出来てワクワクしていた。
ところが、成長が止まってからの健康診断は、たまらなくめんどくさい。むしろ、嫌なものである。上に成長している分には楽しいけれど、上への成長をせずに横に成長していないことを願うばかりで気が重い。
そして、いろんな診断をされるのも、原材料から加工食品になるまで様々な工程を経る食品に自分がなったかのような気になって居心地が悪い。
お仕事をしている看護師さんも、きっと個々人のことなんて気にしていないだろうし、魚を次々に捌くのと同じ要領で人をさばいているに違いない。

そう思って私も段々と無の境地に至り、健康診断をこなしていたわけなのだけれど、腹部エコーのときに、技師さんから

「はい、横になって背中をこちらにより掛かるような形になってくださいね〜」

と言われることがあった。

おそるおそるよっかかってみる。

全然知らない人のお腹と私の背中がくっつくような形になって、私の体重の何分の一かを相手に預けてみる。

その方の名前も知らないし、きっと今後その方と再会して会話が弾んだりすることもないであろう人

それなのに、身体を預けただけで、人のぬくもりが伝わって、なんだかとっても落ち着いた。検査でなかったら、そのままちょっとまどろんでしまったかもしれない。

この安心感って、生きているものにしか出せないんだよなぁ。

そう思った。

数日前に、今後何十年かで、AIにとって変わられる職業というのに目を通した。そこにあげられている職業を今生業にしている方からしたら、気分のいい記事とは言えないだろう。

だけどね、きっと何割かがAIになっても、こうゆう温かみは機械に取って代わることができないから、ちゃんと残っていくと思うし、大丈夫だよって誰に声をかけるわけでもなく、一人体温を背中に感じながら納得していた。

「寄っかかることができる」

っていいなぁ。電車で、席の隣の人が眠りこけちゃったとしても、今度から私は存分に肩を貸してあげることができそうだ。

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