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[掌編]do it again (r) -嘘の五つの顔②-


 彼は殺されたが、同じ一つの場面が反復されるために死ぬのだということは知らなかったはずである。                         ボルヘス「陰謀」

△△△△

 山の中ほどの暗い林を抜ける道路、夜更けに自動車のライトが走った。
 月光の作る木々の影の根元、闇と静寂、車の灯火は睡り男の脈のように時折現れ道を抜けて消えて行った。
 ……今度の真っ赤な一台はカーブに合わせて減速し、途中の崖に向けて膨らんだ路肩に車が寄せられ停車、運転手が降りて来た。
 その若い男はガードレールの脇に立ち、周りを伺い誰も見えないのをしばらく確かめてから口笛を吹いた……私は森の木の陰から出て彼の前に立った。
 名前も顔も知らない男は、私に卑屈な笑みを浮かべうなずくように会釈した。
「もっと早く来れなかったのか」私が突き放すように難じると、男は口だけは丁寧に答えた。
「これでも急いだんですよ。でも仕掛けは念入りにしないといけませんから」
 男の顔はよく見えない。
 あまり頭の良さそうではない喋り方だし、目上への口のきき方もなっていない。
 だが今は上手く働いてくれれば文句は言うまい。
「明け方には火が出てあなたは火災現場で死亡した……ってことになります。なに、替え玉は姿形が近い男をわざわざ見つけたんで警察も分かりませんて」
 私の身代わりになっただろう男にかすかに同情の気持ちが湧いた。
 元々、金を騙し取る詐欺には手を染めたが自分で人を殺めたことはなかった……。
 尤も私の詐欺で命を絶ったものはいるかもしれないが、それは当人の弱さの所為でこちらが気に病むこともない。
 ともあれ……私の持っていたあらゆるものは火災現場から見つかり、その中に囲まれた遺体は、詐欺で追われていた私自身だと警察も見るだろう。
 ここにいる私は、もはや誰でもないのだ。
「……彼女は何か言っていたか」
「あの人、「淋しい」って言ってましたよ。ほとぼりが冷めるまで我慢しなければならないのが辛いって」
「騒ぎが落ち着いたら、どこかで落ち合うさ」
「煙草吸います?」男はポケットから箱を出し勧めてきた。
「もらおう」
 差し出された箱から一本抜き煙を口にすると、人心地がついた。
 若い男は頭をかがめて自身に一本つけた。
 月明かりが差して彼の首筋に蜘蛛がたかってるのがちらりと見えた……
 夜の冷えた空気に紫煙を吐いた。
 道路に吸い殻を放り、靴で火を踏みつけた時に突然後頭部に衝撃を受けた。
 よろめきながら後ずさりすると、折れたパイプのようなものを若者がふるって来るのが見えた。
 男が私にとどめを加えるためにパイプを振り上げて近づいた時、対向車線方面から自動車のライトが近づくのが見えた。
 男は一瞬、そちらに気をとられ私から目を離した。
 私は逃げるために、道路端のガードレールにしがみつき、乗り越えて、下の斜面に、暗い中に、草の中に、土の中に、倒れ落ち、逃げるために、……

▽▽▽▽

 ……テレビのワイドショーや新聞記事などの幾つかのニュースをの見出しを……断片的に思い出している。
 とある悪質な詐欺事件の主犯の男が潜伏場所の火災で焼死した。
 当初は事故死かと思われていたのが、主犯の男の愛人が、逃亡などを幇助の協力をしていた男と一緒に裏切り、金を奪い放火で殺害をしたのではという容疑が浮かんだ、という。
 そのニュースを見て以来、僕の頭に揺らめき上がった情景がある。
 暗い森の中、背後から頭を殴られ大怪我をしながら逃げ、高い斜面から転げ落ちて……

「僕はその焼死したとされている男……替え玉を生贄にして逃走していた男ではないか」
 どうしても思い出せない記憶の先を手繰り、焦燥する。

 ニュースだと、焼死体については本人と見なされたままだった。
 しかし火災現場の死体は、替え玉として用意されたどこの誰とも分からない男であり、火事で自分の死を偽装して捜査の手から逃れようという計画の犠牲者だったのではないかと僕一人が、予測をしている。
 工作の仕事を請け負ったヤクザ者は待ち合わせた場所で本物を密かに殺害し、女と金をかすめ取ろうとしていた、という。

 二年前……林の中に酷い怪我で倒れていたらしきところを見つけられて保護をされた。
 頭を強く打った為なのか、それまでのことや自分自身が誰なのかすら思い出せない。
 身につけているものも何の手がかりもなく、そこから以前の記憶は霧に包まれたように全てが分からない。
 そんな自分を、親切らしく仕事と住まいを世話してくれたものがいて、どうにか今日まで生活はしてきた。

 テレビのワイドショーで見かけた、とあるマルチ商法詐欺の疑惑を見ていて、記憶の情景らしきものが浮かび、自分がその詐欺事件の主犯だったのではないか、という気になった。
 日付の定かではないテレビニュースと新聞屋週刊誌の記事が、断片的に頭に浮かぶ。
 火事による主犯の死亡が謀殺だったのではないか、と騒がれ始めた記事の内容が頭に流れ込み、それがまるで自分と関係のあるようにしか思えなくなった。
 報道にはまだ知られてない、自分が替え玉を用いて逃げ延びたのではないかと。

 ところが、それ以外の自分の記憶を探るためにも、関連するニュースをたぐろうとしてのだが、一切のニュースや記事が見当たらなくなってしまった。
 図書館の新聞縮刷版で僕の記憶の途切れる時期の各紙紙面を調べたが、どこにも記事は見当たらない。
 過去に件の詐欺事件など、まるでなかったかのように……まるで僕の夢であったかのように、すべての記事は消滅していた。

▽▽▽▽

「ああ、探してたんだ」

 買い物へ外出しかけた時、自分に仕事と住まいの世話をしてくれた若い男とアパートの前で鉢合わせた。

「頼みたいことができてさ、今夜のシフトを休みにしてちょっと手伝って欲しいのがあるんだ。班長には俺から連絡をつけとくからさ。何、簡単なことなんだがどうしてもあんたが必要でね。一緒にきてくれないか」

 彼の乗って来た赤い車を見て、どこかで見たような気がする、と思った。
「この車」
 初めてなのに知ってるような『デジャブ』を味わった。
 若者は得意気に笑った。
「買ったばかりだ。人に見せるのも乗せる初めてなんだけどな。……まあ乗ってくれ」
 真新しい車内に乗り込み安全ベルトをする。
 男は饒舌で一方的に話しかけてくる、探るように、奇妙に。

「あんた、記憶喪失だけど、勘が良かったよな。案外、予知能力でもあるんじゃないか」

 軽口を言われて首をかしげた。
 男は運転席に乗り込み安全ベルトをつける……僕は男の首筋に、小さな蜘蛛のタトゥーを見つけ……



※冒頭の文はホルヘ・ルイス・ボルヘス「陰謀」 訳 鼓直
詩集『創造者』より

初出:2022年(令和04)11月27日(日)
note [掌編]Do It Again
https://note.com/palomino4th/n/nc53f1dc03845
改稿:2023年(令和05)09月07日(木)


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