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時間には限りがあるから、坊主という選択をしてみた。

第一子の妊娠中に「坊主にしよう」とおもった。

友人・知人に、出産時に坊主にした女性が2人いた。そのどちらを見ても「かっけー!!」と思ったミーハーなわたしは、妊娠とは縁遠い時から出産する時に坊主にするのっていいなと思ってはいた。

本気にしていたかは分からないが、夫には妊娠してすぐの頃から「坊主にしてみたいんだ〜」と話していた。夫はダメと言わない。いつも「好きにすればいいよ」と言う。

ダメと言われてもやりたきゃやるわたしだが、いいよと言われていても、直前まで坊主にするかどうか悩んでいた。
だって坊主なのだ。

豚もおだてりゃ木に登る

美容室でよく「頭の形がいいから坊主似合いますね」と言われていた。いろんな人に似合うと思うよ!と言われてその気にはなれていた。
でもベリーショートと坊主には髪の毛の長さでいったらほんの2〜3cmしか違いがなくても、感覚としてはマリアナ海溝くらいに深い違いがあった。
坊主は、令和の時代になってもシジューの女の髪型の選択肢にはほぼ無い

千里の道も一歩から

3月で41歳になる1980年生まれのわたしはショート歴が長い。小学生の時にショートにして以来、ほぼショートヘア。長い時でもボブよりのセミロング。
この2年くらいはツーブロックにし、バリカンを購入してセルフカットしていたため、頭にバリカンをあてることへの抵抗はすっかりなくなっていた。

それでも、坊主にしたい→するへの一歩は大きかった。

産後の育児のあれこれ読み物をみていると、自分の身支度ができなくて大変!というのがよくあった。ドラマ「コウノドリ」では、高橋メアリージュンが髪の毛が抜けるなどして産後鬱になっていた。

坊主にしたら、髪の毛を洗う・乾かす・寝癖をなおす・ヘアスタイルを整えるという一連の流れがほぼなくなる。脱毛も気にならなくなる。

だってお母さんになるんだもん

「育児のために坊主にする」と言っておけば、坊主にびっくりな人にも言い訳がたつ。
言い訳なんて必要ないと言えるが、独身の時と違って義両親や義姉妹、夫の同僚など…。育児のためだって、と言っておいたら平和な気がした。

坊主にするならいまだっ!
これを逃したら坊主にできないっ!

実際にはそんなことはなく、いつでもしたい時にやればいいんだけど、いざホントに初めての坊主にするにはこういう勢いが私には必要だった。

類は友を呼ぶ…?

シジューに限らず女の坊主はそこそこ珍しいモノなので、バリカンで刈ってくれる友人を募ったら5人集まってくれた。

うち1人は元理容師で、仕上げにきれいにバリカンで整えてくれた。
うち1人は本職の坊主で、なんと、我が家で安産祈願をやってくれた。

そんなこんなで、マリアナ海溝を越えて初めての坊主になった。

フルメイクよりもびっくりしない

なってみたら、マリアナ海溝に見えていた境界線はただの線だった。
美容師たちに言われてきた「坊主似合うよ」はお世辞ではなかったようで本当に似合っており、「坊主にしてしまったぜ…」という感慨みたいなものが生まれるんじゃないかという予想は全くの見当違いで、馴染み度合いが高かった。自分でもすっかり気に入って、月に1〜2度バリカンで刈って坊主を保ち続けている。

「フルメイクよりもびっくりしない」は、坊主頭のわたしを見た夫の感想だ。9月にマタニティヌード撮影のためにフルメイクしたときは、大層ギョッとしたおめめでわたしの顔をみていた。

「似合っている」「気持ちいい」と、いまも頭をよく撫でてくれる。夫は、坊主をやめてくれとは思っていない。気に入ってくれている。
それでも「俺の嫁はなんで坊主なんだろう?」「いつまで坊主なんだろう?」と、ふとした時に思うそうだ。なんて可愛い人なんだろう💕

坊主頭での初育児

坊主での育児がスタートしてもうすぐ4ヶ月がたとうとしている。結果として、わたしは坊主にしていなかったら気が狂っていたかもしれない。
髪の毛を洗う・乾かす・寝癖をなおす・ヘアスタイルを整えるという一連の流れには、けっこうな労力も時間もかかる。それがなくても乳をあげるだけでもあっぷあっぷしていた、特に初めの2ヶ月。これで髪があったらどうなっていたことやら…と、寒々とした気持ちになる。

世の大半の女性たちへの身だしなみスキルに、あらためて敬意を表したい。子育て中の女性に「終わってるなw」とか軽々しく言うやつは私刑にしていいと思う。
(いや、だめだ。そしたら若かりし頃のわたしもしばかれてしまう。ごめんなさい。申し訳ありませんでした。)

坊主育児は、想像以上に楽です。

風呂上がりに秒で髪の毛のあれこれが終わる。
寒い冬に濡れた髪の毛で息子の身体を拭く必要も、乳をあげる必要もない。
泣いている息子を待たせてドライヤーをあてる必要もない。
出かける時に寝癖を直したりスタイリングを考えてする必要もない。

変化は必要があって初めて起こる

10代〜20代の頃は毎月美容室へいき、毎日ヘアスタイリングをあれこれするのが好きだった。
30代になって頻度は下がったものの、それでも「髪型が決まっている」ことの優先度は高めだったのでお気に入りの美容師が常にいた。
いまではすっかり坊主だ。自分のバリカンで鏡も見ずにバリバリ刈っている。

息子が生まれて育児や家事に大半の時間を注ぐ生活に変わったいま、自分の身支度に時間がかからないというのはQOLを高めてくれるしストレスにもならない。
わたしは坊主が似合う。

この2つが合わさったいま、坊主以外の髪型にすることの必要性が分からなくなってしまった。というか、今のわたしには髪を伸ばす必要性が見つからない。個人的な欲望もない。
息子が大きくなって坊主の女性が周囲にいないことに気がついた時に「髪の毛伸ばして」と言われたら、ムスコ沼にハマっているわたしは請われるがままにほいほいと伸ばすかもしれないが、いまのところは

「坊主頭って被らないから覚えてもらいやすいかも?」
「坊主頭→変わってる人認定が素早くされて、保育園とか小学校とかでなんかやらかしても『まみさんだから仕方ないか』という特権が得られるのではないか」

などと、虫のいいことだけ感じている。

理由がいらないのは知っている

先にも書いたけど本当は理由なんていらない。
たいがいのことは当事者以外に大した影響は持たないし、やりたいことを好きにすればいい。

でも、今回わたしは理由をつけてから坊主頭にした。何かをしないための理由も、するための理由も、巡り巡って自分のための理由になるなら言い訳がましくなっても悪くないなと思った。
結果オーライだ。

坊主頭の育児は(いつまで)続く(のかな?)。

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