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日々よしなしごと~街の風景としての~

自分も喫茶店をしていて、また20年近くまちづくり関係の活動にも関わっていることもあり、自分が身を置く街についてよく考えることもあるのだが、今朝、FBので最近まちづくり関係者の間で注目されているTさんの投稿に、昔の旅行で見たあるシーンを思い出した。

Tさんの投稿の内容は、東京のおしゃれなまちと言われているまちの駅ナカカフェでコーヒーを飲んでいると、60歳代のカップルが来てスパークリングワインを飲み始めた。男性はサンダル履きなのでおそらく近所に住んでいる人たちなのだろう。何となくめんどくさそうな、せーかく悪そうな(という彼女の印象と表現)なんだけど、携帯見たり、新聞見たり時々談笑したり、ふたりだけに通じる常識とかモラルの中で生きていて、ゆったりと過ごしている。その二人がいい人そうじゃないのも(これも彼女の印象)むしろ安心できていいなーと思い、景色としてもいいんじゃないかと。

実際問題、性格が悪いか、いい人じゃないかどうかは分からないけど、その時に感じたいいなーというニュアンスはとてもよく分かる気がした。


もう何年前になるか、娘が中学生くらいだったので20年ほど前だろうか。家族3人で京都と神戸に旅行に行ったことがある。京都も清水寺くらいしか行ったところの記憶がなく、神戸も北野地区を歩いて回ってお昼に小さなレストランに入ったのだが、この時の印象がずっと残っていて、他にどこに行ったのかさっぱり記憶がない。

神戸の北野地区といえば、小高い丘に瀟洒な洋館が立ち並ぶ、神戸の有名な観光地だと思うが、そこを歩いて回り、坂を下ったところでちょうど昼になった。どこかでランチをしようということになり、何軒か小さなお店が並んだ長屋(のようなところだったと思う)に、地下に降りていくフレンチレストランがあった。細長い店内に壁側が長いソファになっていて、6つくらい大小のテーブルがある。3人連れの私たちは4名テーブルに座ったのだが、隣には2人用のテーブルにシニアのカップル、反対側はやはりシニアの男性一人が新聞を読んでいる。お店は40代ほどの夫婦でやっているような店だった。

何を食べたのかも覚えていていないが、おそらくランチメニューを頼んだと思う。中学生を連れた私たちを、隣の夫婦は少し珍しそうに時々ちらちらと見ていたが、ほとんど会話もなく静かに食事をしていた。この夫婦と新聞の男性は明らかにこのお店の常連で、夫婦は休みの日のお昼はこの店とひょっとしたら習慣になっているのかもしれない(とその時感じた)

先ほどの、Tさんの投稿を読んで思い出したのはこの時のことだ。

毎日あるいは毎週のように来るお店にはいつもの人たち。観光客が入るようなお店ではないので、どこか遠くから来たらしい田舎臭い(と映っていたかも 笑)家族がやって来た。しかも中学生も一緒。このお店で私たちはきっと異邦人というより異星人のような感じだったんじゃないかと、今になって思う。

一方でその時の私は、夫婦の静かで少々退屈もあるが安らかな時間を過ごしている感じとか、家ではないもう一つのくつろぎの場所としてゆったりと新聞を読んでいる普段着の紳士がいる風景は、まちの暮らしとしてはすごく満ち足りた豊かさを感じた。年を取って夫婦二人になったらこんな風に休みの日にはランチを食べに行きたいなあと、思ったものだ。

他に行ったところは覚えていなくても、なぜかこの店の時間はよく覚えていた。


Tさんが、駅ナカカフェで見かけたカップルの佇まいや、この神戸の小さなレストランにいたシニア夫婦と新聞の紳士がいる風景には、その街に暮らし、その街で過ごすいつもの場所と時間。あのランチの店、ワインやスパークリングで軽く飲む場所、時間をかけて新聞を読む場所・・・そんな自分が決めたルーティーンで過ごせる場所の来易さが感じられる。

自分が自分でいられる場所があるって安心できるよね。『いつものあそこ』という感じ。取り立てて気構えることなく、でも家とも微妙に違う場所。

Tさんが感じたことと、少し違うかもしれないけど、彼らだけがいつものように過ごす場所に迷い込んだ?私たちは、正直浮いていたかもしれない。でも、それだって気にすることなく受け入れられて、その街の風景になっていく。

そんな街の風景があるといいな、と思う。


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