2 世界の中の自分とは 04.20.2019

授業中、自習中、休み時間、隙あらば関係ないことを考えてしまい、起きているのに「目が虚ろですよ?」と先生に注意されることもしばしば。
頭の中で常に数人の小人が無線で会話しているような、そんな感覚に陥ることもある。

とあるきっかけで侵入思考という病名を知りGoogleで引っ掛かった本を1冊読んでみた。内容がかなり本格的、専門的だったので所々に於いては飛ばしつつ、一通り目を通した形になった。

侵入思考について、正確さに欠けるかもしれないが軽くまとめると
・自分の意志とは無関係に暴力的、反社会的、残虐または性的な内容に関する雑念が湧く
・雑念に関して自覚があり、その思考を辞めたいと考えているが止めることが出来ない
・脳内に浮かんだ空想を現実世界と結びつけて過度な心配や恐怖を抱く

などなど こんな感じだったと思います

情報から判断するに、私の脳内の思考の種類は侵入思考ではない、という結論に至りました

あくまで自己判断ですが
・空想の内容としては侵入思考とほぼ等しいが思考の鮮明さが少ない
・私自身はこの空想を自分の一部だと考えていて、気晴らしになるので辞めたくはない むしろこの思考を捨てることで自分を失ってしまうような気がしている
・空想と現実とを取り違えて齟齬が生じることもたまにあるがそこまで深刻ではなく、ショックを受けるようなことは無い
などの理由から判断しました。

ただの白昼夢見がち人間ということでとりあえずの答えを出しました

さて本題

新年度が始まってから自分の心が安定していないような感覚を得るのは他者からの見られ方を気にしすぎているのではなちか?空想の餌になっているのも大抵自分が好かれたいと思っている相手で。
学校での美術の授業は周りを忘れて自分とひたすらら対話できる、その上ほかの生徒はいるので孤独を感じることもない最高のものだった
ああ、また美術の授業を受けたいなあ

週に1時間だけだったけど私には必要な時間だった
期末考査前にも関わらず作品を完成させるために休み時間も放課後もつぎ込んで友人と美術室に通ったことも既に思い出と化していて
時の流れ 風化の速度が早すぎで淋しいですね

日にちまたいでしましましたが今日はこの辺りで
読んでくださった方ありがとうございました

ではまた