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酔灯夜話 #43

奈良大学通信学部の文化財購読Ⅰの授業の課題である「文化財保存科学ノート」を読んでのレポート作成。

(1)文化財の保存学について 
 文化財保護は1949年の法隆寺金堂の火災を契機に「文化財保護法」が公布され、ここで初めて「文化財」という言葉が正式に登場した。文化財は過去から現在、未来へと受け継がれていくべき人類の貴重な遺産であるとともに未来を創造していく指針となるものである。  
文化財の保存研究で重要な方法論として①材質を調べること ②肉眼で見る事のできない内部の構造を調べる事 ③文化財資料を後世に伝えていくための保存環境の研究 ④保存修復のための保存材料と保存技術の開発研究である。これらは日本古来の伝統を尊重し、しかし最新のハイテク技術を取り入れる姿勢を示したものである。
日本での最初の文化財の保存科学的研究は法隆寺壁画の調査と言われており、1934年の法隆寺伽藍大修理開始時に金堂壁画の損傷が激しいことが判明した。このことから解体修理に先立って金堂壁画の修復が喫緊の課題となり、1939年に自然科学分野の研究者を交えた法隆寺壁画保存調査会が組織された。修復の方法論として日本古来のニカワやふぬりによるか、現代科学材料である合成樹脂によるかで議論が重ねられた。そのさなか空襲が激しさを増す中で壁画を解体し疎開することが必要となり、その時すでに応急処置的に使われ始めていた合成樹脂であるアクリル樹脂の生産性が高いことから、修復にアクリル樹脂の使用が決定された。戦後1949年法隆寺金堂壁画が火災に見舞われ、前述のとおりこれを契機に1950年「文化財保護法」が制定されると同時に金堂は早々に保存修理されることになり、1956年に22年間に渡る大修理を終えた。この大修理を通して文化財の保存技術が飛躍的な向上を図ることができ、さらに自然科学分野の研究者を交えた保存事業の先駆けとなった。
保存科学の研究方法について先に述べた4つの方法論に沿って展開していく。「①材質を調べること」について、分析は文化財にダメージを与えることとなるため極力傷つけない方法が採られる。例として、物質にX線を照射することにより、その物質を構成する元素固有のX線が二次的に発生する性質を利用した蛍光X線分析法や、結晶性の物質にX線を照射すると散乱線がお互いに干渉して回析する性質を利用したX線回析分析法が近年よく使用されている。「②肉眼で見る事のできない内部の構造を調べる事」について、内部構造の調査においてはX線ラジオグラフィによる透過撮影がよく用いられ、近年では多角的かつ詳細に観察する方法としてX線断層写真撮影も使用される。また顔料の剥落などで肉眼では見えにくくなった壁画の図柄解明には赤外線写真撮影が力を発揮する。「③保存環境の研究」について、重要なことは文化財がおかれてきた従前の環境を調査し、それを踏まえた保存環境を設定することである。考慮しなければならない問題として、文化財を展示する場合の環境条件の決定である。展示室の温度、湿度、照明等の条件が保存に適しているかどうか。また収蔵庫と展示室の温度差による影響を考慮しなければならない。「④保存修復」について、重要なことは文化財遺物の内部に潜んでいる劣化要因の除去、あるいは活性化を抑えることである。またその際に使用される保存材料については、より優れた新しい材料の出現に備えて、これを解除し保存修理前の状態に戻すことのできる素材を採用することである。
(2)素材毎の保存方法について
【木製遺物】
木製遺物は古建築の部材などとして遺存する乾燥した木材と、長年湿潤な土中に埋没していたために過分に水を含んだ木材がある。ここでは後者の水浸出土材について述べる。
 水を含んだ木材の性質は、木材の樹脂成分やセルロース成分のほとんどを失っていて、木材の強度が消失している状態にある。さらに述べると現生材の含水率(物質に含まれている水分の割合)は100%内外に対して、水浸出土材の含水率は針葉樹では100%~500%、広葉樹では300%~800%であり、過分に含んだ水によって辛うじて形状を維持した状態と言える。これらの遺物を出土して乾燥すると、木材の変形を起こしたり収縮を起こしたりする危険性がある。
 水を含んだ木材の処理方法の基本的考え方は、放置すると蒸発してしまう不安定な水を他の安定した物質、すなわち固形で蒸発しないような物質に置き換える方法と人為的な手段で木材の形状を変えずに強制的に不安定な水分を除去(乾燥)させる方法が採られている。前者で代表的な方法としてミョウバン法、PEG含浸法があり、後者ではアルコールエーテル法、真空凍結乾燥法が挙げられる。以下では最も良く利用されるPEG含浸法と真空凍結乾燥法を例にそれぞれの方法を述べていく。PEG含浸法のPEGとはポリエチレングリコールのことで、環状エチレンオキサイドの重化合物であり、その重合度のちがいによるPEGの特性が異なる。PEG含浸法のポイントはまず水浸出土材の樹種やその保存状態すなわち含水率などを考慮してPEGの初期濃度を決める。通常はPEGの水溶液濃度は20%から始めていく。ただし保存状態の劣悪な資料については5%程度の低濃度から始めるようにし、時間も長めにする。そして濃度を段階的に徐々に高めていき浸透させていく。つぎに真空凍結乾燥法の仕組みは水溶液あるいは水分を含む物質を急冷却して凍結し減圧状態で昇華させて物質を乾燥させる方法である。留意点として木材に収縮変形を与えずに乾燥処理することが重要であり、そのため乾燥の所要時間をできるだけ短縮するため有機溶媒を用いたりする。ただ真空凍結乾燥法は大掛かりな乾燥装置が必要であるため船体などの大型遺物については常圧冷風乾燥法などが応用される。
 最後に水浸け状態にあった木材の処理後の注意点として、保管する場所の条件は高温高湿の場所を避け、相対湿度60%、室温20℃程度に維持するのが望ましいとされている。
【石造文化財】
 石造文化財の劣化現象は環境に支配されることが多く、それは物理的・化学的・生物学的な作用に分類されるのが一般的である。物理的作用は岩石にしみ込んだ水の凍結による体積膨張による破砕、直射光の熱による膨張・収縮、地震や交通事情に伴う振動等が劣化の原因となる。化学的作用は岩石中の水に溶け込んだ塩分が水分の乾燥に伴って岩石表面に析出し、その結晶が岩石を破損する塩類風化が代表的な現象である。その他にも酸性雨も化学的作用による劣化要因の一つであり、酸性雨や汚染空気は国境を越えて移動するので国際的なレベルで研究し解決すべき問題である。生物学的作用は岩石の隙間に樹根が入り込み、生長とともに隙間を押し広げて岩盤を破損する事態である。しかしその樹木を伐採すると樹根はやがて腐敗し、隙間にゆるみが生じることで岩盤の崩壊を招く危険性もあるため、遺跡を保護するために伐採することなしに生長を抑制する手段が採られる。              
 石造文化財の保存修復について、①劣化診断、②保存材料の選定、③遺物の洗浄、④保存、を行うことが必要であり、これらを順次述べる。①劣化診断について、赤外線を利用した診断が用いられている。これは物体にはそれぞれ固有の温度差があり、熱を赤外線として放射していることを利用し、そのエネルギーを測定する方法である。従って岩盤表面に直接触れることなく、かつ遠隔に測定可能なため絶壁にある摩崖仏の測定にはよく用いられる方法である。②保存材料について、劣化してもろくなった石造品を硬化する為の強化材料、破断したものを接合するための接着剤、欠損した部分を整形して補填する為の整形補填材料の3種類が必要である。強化材料については通常は硬化したあとも再度溶解して除去できる性質のものを利用する。接着剤については熱可塑性のものと熱硬化性のものとがあり、修理対象となる石材に応じて使い分ける。整形補填材料は、通常土や石の粉にエポキシ系の樹脂を混ぜて擬土・擬岩を作る。ひび割れを埋めたり塩類風化の修復には軽量骨材をまぜた樹脂モルタルを利用する。③遺物の洗浄について、その目的は生物的な作用のうちコケ類・地衣類などによる影響を排除することである。石造品に損傷を与えることなく物理的に除去できるものも多いが、薬品を使って枯死させたり枯渇させてから物理的に除去するなどの方法が採られるが、薬品の中には環境を汚染する危険性が高いものもあり注意が必要である。④保存について、石仏の保存に関しては劣化の要因となる周辺の水を遮断し、表面に撥水材を塗布して、雨水や地下水を回避する保存工法が大勢を占めている。しかし完璧と言えるような保存材料や保存工法はまだ出現しておらず今後の開発研究に期待する。


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