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そのときそのときの、

このところやる気が出ない。

梅雨どきは毎年体がだるい。
何かをしようという気になれない(最低限のことはするけれど)。
こういうだるさはおそらく心疾患あるあるだけにとどまらず、いろんな疾患や障害のある人ならわかるものだと思う。

それにしても、今年はこのだるさが尋常ではない。
これが年齢によるものなのか、豪雨災害を起こすくらいの雨続きだからなのかはわからないけど、なんというか、辛い。

11歳に開胸手術を受けた私は、その後雨が降るたび胸の傷がしくしく痛んだ。
これは(少しずつ落ち着いたものの)30歳手前くらいまで続いたと思う。
雨の前も痛んで、低気圧が近づいているのがわかる体質になっていた。

そして私はもう一つ、雨が降るとたいてい背中がほんのり痛く、重くなる。

25年以上前、

私の食道の裏あたりにはコイルが入っている。

これは25年以上前、私が17歳のときにコイル塞栓術で入れたものだ。

コイル塞栓術は、めちゃくちゃ端的に言うと
「本来あるはずのない血管が何らかの原因でできちゃってるよどうしよう。それがあることで正しい血流にならなくて体に負担がかかってしまう。そうだ、じゃあコイルを詰めてその血管を塞いじゃえば良いじゃん!」
という治療法である。
(…伝わる?)

ちなみに私はその血管のことを今のように「側副血管」とは言われず、「奇静脈(きじょうみゃく)」があるのだと説明された。
その血管ができている場所が、食道の裏あたりだったのだ(この血管の存在が判明するまでにはかなりの時間を要した)。

小児科にかかっていた私は最初、それをどうにかするため開胸手術を受けると言われた。
が、外科は「そんなハイリスクなことはできない」との見解を示し、あっという間に手術の話は立ち消えた。
それでもどうにかする必要があったので、なんやかんやとカンファレンスを繰り返してくれた結果、放射線科の協力を仰いでコイルを入れることになったのだ。
コイル塞栓術をすると決まったとき、私は心からホッとした。
ああ、まだできることがあるのだと。

当時、放射線科では癌患者さんの体内にある癌組織へ血流を送らないよう、組織の成長を阻害するためにコイルを入れる治療法があり、それを私に応用することになったと伝えられた。
もしかしたら先天性心疾患患者にコイル塞栓術を行うのは、今ほどポピュラーではなかったのかもしれない。

このコイルを入れること自体はまずまずスムーズに終わった。
ところがどっこい、入れたあとが大変だった。
食道の裏あたりにあるコイルが、食べ物を一口飲み込むたびに痛くて痛くて。
食事の時間が苦痛になった。

しかしまぁ、人間の体は良くできている。
慣れた。
体にコイルが馴染んだ部分もあるのだろう。痛みは少しずつ落ち着いてきて、なんとかやり過ごせるようになった。
そしてコイルは本来の威力を無事に発揮してくれ、そのあと私は体調が落ち着いた。

でも、それ以降雨が降ると背中が痛むようになった。私は少し側弯があるので、その影響もあるのかもしれない。

痛みが控えめで気にならないときももちろんあるものの、体調が悪いときほど痛くなる。
コイルは8つ入っているとのこと、同じようにコイル塞栓術を受けた人はもっとたくさんコイルを入れてる。それに比べれば屁でもないだろうに、私はこの8つを、なんとかグリグリ取り出せないかしらと今でも思うときがある。

どうやらこの不快感とは一生お付き合いする必要があるようだ。

4年前、

そんなこんなでコイルを入れたあの日から随分と経過したある日、私は復視になった。
(複視は、物が二重に見える視覚異常である。例えば目の前に置いてあるグラス1個が2個に見える)

これはヤバいと思った。
脳だ。血栓かもしれない。
慌てて救急外来に行くも、脳神経外科の先生は言った。
「CTしかできない。MRIは無理です」

そうでしたそうでした、私、コイルを入れたあの日からMRI検査が禁止になったのでした。

MRI検査というのは、磁気の力を利用して体内にある臓器や血管の状態を調べることができる検査のことを指す。
が、私の場合コイルが入っているため、その磁気が体に悪影響をもたらす可能性があるのだ。

のちに、お世話になった先生に聞いた話によれば
「ぱきらさんもMRIを受けられなくはないと思う。言ってしまえばコイル部分が磁気と反応して熱くなるだけなんだよ。ただそれがどのくらい熱くなるのか誰もやったことがないからわかない」
とのこと。
いや、造影剤の熱さだけでもちょっと気持ち悪くて泣きたくなる私としましては、その熱さは怖いです。
そして何より、誰もやったことがないことは、私もやりたくない。

ということで複視で行った救急外来、私はCT検査だけを行ったのだが、結局原因はわからなかった(そしていまだにわからないままだ)。
ひとまず吐き気などもなく、血栓等ただちに問題がある状態ではないということで帰宅、後日脳神経外科を受診せよとなった。

脳神経外科を受診した際、先生に聞いてみたことがある。
「もし私が脳梗塞とかなったらMRIできないとどうするんですか?」
「うーん、CTしかできないからねぇ。難しいねぇ」

なんとも頼りない答え。

でも、そんなものなんだろう。
みんな私が大人になったときのことなど考えてコイルを入れたりしない。
とにかく目の前のこいつ(奇静脈)をなんとかしなければ。そう思ったはずだ。
そして私も何とかして欲しかった。
だから入れた。

これは大人になったが故の悩みかしらね。
血栓ができないよう、祈るのみだなと私は思っている。

3年前、

心房細動になった。
心房粗動は経験があったが、細動は初めてだった。

現在お世話になっている我がハンサム主治医は、カテーテル検査は負担が大きいからまずは心臓MRI検査をしたいと言った。

で、それを阻むのがコイルだ。

私がコイル塞栓術を受けた病院へ問い合わせをしてくれて、いろいろ調査をしてもらった結果
「どのタイプのコイルを使っていたかわからない」
ことが判明した。

結局MRI検査はできないままで、カテをすることになった。
カテはやはり負担が大きくて気持ち悪くて苦しくて…とにかく辛かったけれど、まあカテはカテで得られるものがあったようなので、結果オーライとする。

一方で、ハンサム主治医はこう言った。
「ぱきらさんがもう2年後にコイル入れてたらなぁ。MRI検査を受けても大丈夫な素材のコイルに変わってたんだよね」

まあ、初耳。
ということは、私よりあとにコイル塞栓術を受けている人たちの多くは、心臓MRI検査を問題なく受けられているのか。
たかが2年、されど2年。
なんて、医療は進歩してるのだろう。素晴らしい。
しかし私の場合その2年が待てなかったのだから仕方ない。

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この入院時に、私はアブレーション治療を受けた。
アブレーション治療はとっても簡単にいえば、
「悪い不整脈を起こす原因となる心臓にできちゃった異常な電気回路を、カテーテルという細い管をその部位まで入れて、カテーテルの先端でジュッ!と焼いてその回路を遮断しちゃおう!」
というものだ。
(…伝わる?)

アブレーションまでは(毎回だけど)、かなり時間がかかる。
おそらくこれは先天性心疾患の皆さん同じだろう。先天性心疾患患者に対するアブレーションは、その経験を有した医師に加わってもらう必要がある(心奇形がある心臓を焼灼するのは、経験がない循環器内科医だけでは無理なのだ)。

そしてようやくアブレーションの日取りが決まり、事前の説明のときに、私は次のように言われた。

このときの心房頻拍は、わかっているだけで6種類(事前の電気生理学検査で判明)。
その全てを焼灼することはできないだろうとのこと。

「今回の頻脈は抑え込めるかもしれない。でももって5年、早ければ2年で再発する可能性がある」

ハンサム主治医はそう説明した。

夫はこのとき、今一つ納得できていないようだった。

「負担が大きいのにそんなすぐに再発するんですか」
そう聞いていた。

仕方のないことだ。
良い面ばかりの説明ではダメなのだ。
効果と同時にリスクやその持続性を伝える必要がある。

それでも、手段があるうちは幸せなのだ。
アブレーションまで比較的すんなり進めた私は、今回も恵まれている。

「仕方ないよ。とりあえず、今のこの頻脈を何とかしてもらおうよ。今のままじゃ生活もままならないやん。再発したらそれはそれやで。それは、そのときの私と先生がまた悩めばいい。先生に頑張ってもらえばいいやん。
私、この後もまだまだアブレーションできるんですよね?」

そう聞くと主治医は「できる」と言った。

なら、それで良い。
そのときはそのときだ。

夫は、わかったと頷いた。

さてこの後私は2年を待たずして、今度は心房粗動になってしまった。
でもそのときもアブレーションを受けて、今何とかなっているからそれで良い。
しかし今後同じようにアブレーションができるかどうかはわからない。
正直だんだんと難しくなってきているように思う。
でも、それもまたそのとき考えたらいいか。
おそらく泣くような出来事もあるけれど、未来の私に丸ごと託してしまおう。

2年前、

胃腸が絶不調になった。

一日中ずっとお腹が痛い。胃が痛い。トイレと仲良し。
胃が痛いから食欲がない。
でも薬のためにごはんを食べる。
そしたらトイレへ直行…そんな日々が半年ほど続いた。

さすがにこれはまずいぞと消化器内科を紹介された。

そこで受けたよ、初めての胃カメラ検査を。

抗凝固剤を服薬していると、鼻からカメラを入れることはできない。
もし万が一鼻の血管を傷つけたら大出血を起こすからだ。
ということで口から胃カメラを入れるのだけど、このカメラは鼻からのカメラより大きいそうだ。負担はこちらの方が大きい。

加えて私は内臓逆位(内臓の位置が左右逆にある。本来盲腸は右にあるが、左にあるなど)。
左を向いて寝かされてカメラを入れるのだが、途中で看護師さんに一旦起き上がらされ、右を向いて寝かされるという、とんでもない荒業をされる。

私は薬剤にも反応しやすいので、麻酔は最小限度しか使われず、痛さ爆発、気持ち悪さ炸裂。

しかもサチュレーションが下がらないよう酸素もしているのだから、もう何がなんやら、とにかく気分が悪かった。
(あ、でもこれは私の場合なのであまり参考になさらず…)

と、話が脱線してしまったけれど。

この胃カメラ検査の結果、私の胃腸は随分と炎症を起こしていることが分かった。
そのときから胃薬を処方されている。

でも実は、この胃腸の具合の悪さの原因は、当時飲んでいた抗不整脈剤の副作用だった。
夫が副作用の項目に胃腸障害があることを発見、それを主治医に指摘して薬をやめたらあっという間にお腹が落ち着いていった。
あの半年はなんだったの…。
とは言え、夫、グッジョブ。

では胃薬は飲まなくなったかと言えば、継続している。

抗凝固剤(ワーファリンじゃありません)を飲んでいると、胃腸から出血が起こりやすくなるそうだ(あくまでも私の場合です)。
そうならないよう、胃を常に保護してあげる必要があると言われた。

「ぱきらさんは、抗凝固剤を飲んでいる限り胃薬を一生飲み続ける必要があります」
と、消化器内科の先生は言った。
(これも私の場合なので、抗凝固剤を飲んでる人が自分もか!?と思わないでください)

それはまあ、もう良いのだ。別に衝撃でも何でもない。
問題は副作用だ。

今私が飲んでいる胃薬は比較的新しい薬で、少し強めなんだとか。
(後で調べるとこの薬、本来だと長期服用は向いていないらしい)

「副作用として、認知症になる確率が高くなります」
とサラリと言った、消化器内科の先生。

「え~、それは嫌です…」
と伝えると、
「まあ、そうですね。でも正直なところ、新しい薬だから情報がないんです。長期服用のデータがない。少なくとも10年くらいの服用データが欲しいのですが、それもなくて、10年後がわからない。だから、認知症になる確率がどのくらい上がるのか等きちんとした副作用は実は僕たちにもわかりません」
とのこと。

わあ、先生正直で好き…。

などと感心している場合ではない。

「でも、飲まなきゃいけないんですね?」

「僕は飲み続ける必要があると思います」

「じゃあ、飲みます」

飲めと言われれば飲むしかない。

10年後どうなるかよりも、今を維持することが大切だ。
それに一錠130円もするのだ。
ありがたく飲もうではないか。
これも将来の私、もし認知症になったらごめんやで…。

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今回、どうしてこんなことをダラダラと書いたのだろう。

ただ何となく、この間から医療の進歩について考えている。

先日私はTwitterでこんなことを呟いた。

考えてみれば、私も他の人も、そのときそのとき、それが最良だと思われる治療を受けて来たのだ。

でも気がつけばその治療方は古かったり、時代遅れの器具を使っていたり、最先端ではなくなっている。
かと思えば少し先を行き過ぎている薬や治療法に賭けるしかないときもあって。
いつだって私も他の人も、医療の進歩のさなかに立たされているのかもなぁ…なーんて、思ってみたりする。

医療の進歩に終わりはなくて、なのに私はいついつまでも、医療の進歩を求め続けているのかもしれない。

でも願わくば、今、目の前にある治療法が、それぞれの人にとって「今」を「明日」へとどんどん繋げることのできる手段となりますように。

特に答えもオチもない、雨が多くて、背中がほんのり痛い日の、私のそんな気持ち。



あまり本を読んで来なかった私、いただいたサポートで本を購入し、新しい世界の扉を開けたらと考えています。どうぞよろしくお願いします!