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おかねのはなし(前編)

少し前に、おそらく何かしら疾患を持って生まれた子を育てているお母さんの
「医療費助成制度のおかげで、私の子どもは医療費の負担が軽く多くの治療を受けることができている。こうした制度に感謝しかない」
といった内容のツイートを見た。

私は先天性心疾患(生まれたときから心臓病)だ。
比較的重度とされる部類におり、生きている限り病院と縁が切れることはない。手術はもちろんのこと、子どもの頃からずっと投薬をしているし、入院したのは数知れず。
だから昔から医療費助成を利用している。
障害者福祉制度を利用している。

そんなわけで、先ほどのツイードをわかるわかるとニコニコした気持ちで見た私だが、そのツイートにはかなり冷ややかな(あるいは悪意のある)リプライをつけている人たちがいた。

まあ、いるよね。
「ずるい」というような反応は常にあるものだ。
「我々が納めたお金なのに、お前たちが湯水のごとく使うのが許せない」「他人の金で生きやがって」みたいな感じが、心の中にあるのだろう。
その思考の行き着く先は「弱い者は滅びろ」という弱き者を蔑み、他人の不幸を望む大変恐ろしいものだ。

冒頭のお母さんはただ、この国の制度に本当に救われたと思ったからつぶやいただけだろうに。
なのに見えないチンピラに囲まれて嫌な思いをして傷ついただろう。
どこの誰かもわからないお母さん、私はあなたの言いたいことが、全てではないにせよわかる。だからツイートしたことを悔やまないで欲しい。

今回、社会保障制度については書かない。
そこの部分ではなくて。

それでは批判している人たちは、疾患や障害のある子や人が生きる上でどのくらいお金がかかるか知っているだろうか。
「他人の金でのうのうと生きている」と決めつけるくらい、暮らしぶりを知っているのだろうか。
きっと、知らない。

…とか偉そうに言いつつも、私も他のおうちのお金事情はよく知らない。
だから自分のことと、+αで聞いた話などを書いてみたい。

住まいのこと

私が先天性心疾患を持って生まれたことで、私の両親は住まいを変えた。

転勤族だった父はそろそろ我が家を、と考えていたそうだ。大体、どこに住むかも検討をつけていたらしい。
が、ここに私が生まれた。

両親は私を診ることができる病院を探し、とある病院を見つけた。
それが、私が結婚して転院するまで通ったA病院だ。
けれどその病院はもともと家を構えようとしていた土地からは遠く、県を跨ぐことになる距離だ。

父は当初考えていた地ではなく、自分の通勤圏内で、かつ病院に比較的近い場所に住むことに決めた。
環境が素敵だよねとか、前から住みたかったからとかではなく「病院」を基準に選んだのだ。

住居に関する父の予算がどの程度だったのかは知らない。とはいえ、住む地域を丸ごと変えたのだから、出費額には大きな差が生まれただろう。

住む場所というのは一つのご縁だろうし、結果的に私の両親は今住んでいるところを気に入っている。
それでも、知り合いもいないあの場所で暮らして行こうと決めるのは勇気がいったろうと思う。

一方、大人になった私が夫と新生活を送る上でも重要となったのは、病院と自宅との距離だ。
夫の勤務地の都合もあり、病院までは車で30〜40分の距離になった。
救急車がなるべく早く到着するよう消防署の位置も確認した。

私はたまに「ポツンと一軒家」という番組を観る。
Googleマップの衛星写真で、住宅地や集落とは離れた遠くにポツンと写っている一軒家を目指し、そのお宅にお邪魔してそこに住むに至った経緯を聞かせてもらうという趣旨の番組だ。

これを観るといつも思う。
自然に囲まれ暮らす姿は素晴らしい。
いろいろと創意工夫しながらそこで暮らす人たちの生き方も魅力的だ。
でも、健康であり続けなければこの家(土地)に住むことはできないだろう。
「このお宅までの道のりだと救急車は入らないな」とか
「最寄りの病院へ行くのが大変だろう」なんてことをすぐに考えてしまう。

疾患や障害があると「住まいを選ぶ自由」の幅は狭まる。
いろんな事情を抱えているのはいわゆる健康な人でもそうだぞと言われるかもしれないけど、私はそう感じている。

さて、「住まいを病院基準で考える」と言うのは簡単だが、実際はなかなか難しい。

病・障害児のきょうだいがすでに学校に通っている場合は引っ越すと転校が必要になり、きょうだいへの負担が大きくなる。
あるいは、例えば四国で暮らす人が東京の病院に通うことになったとしても(地元の医師に「専門医のいる病院に」ととんでもなく遠い病院を紹介されることはままある)、急に東京に引っ越すことは土台無理だ。

全国各地に支店があるような職種や現代ならテレワークで仕事がこなせるなら話は別だが、そうでないなら転職しなければならない。
うまく転職できれば良いけど、それほど容易いことではないはずだ。

また、田舎と都会とでは物価だって違う。
生活レベルが極端に変わることも考えられる。

私の場合はいろいろとタイミングが良かった。
きょうだいが就学前であったこと、父の勤務先が全国展開されており転職する必要がなかったこと、まだ持ち家ではなかったこと。物価の差が大きくなく、生活レベルを(厳しいなりにも)維持できること。
全てにおいてラッキーだったと言っても良いかもしれない。

最終的に病児と母親だけが引っ越し、きょうだいと父親は本来の家で暮らす、そういう別居暮らしが常態化する家族もある。

「住むこと」は生活の大切な基盤だ。
その基盤が疾患や障害のあることで揺らいでしまう。

入院は突然に

入院生活はたいてい突然に始まる。

家とは違う場所でしばらく生活するのねうふふ、なんて気楽さはない。
体がしんどいのはもちろん、何よりも急な入院生活突入に生活必需品の準備が追いつかない。
例えば旅行でホテルに宿泊した場合、そこにはスリッパやパジャマやバスタオルにタオル、ドライヤー…要するにアメニティグッズが置いてある。
それらを、入院となると全て自分(や家族)で準備する必要がある。
スマホの充電器だとか、入院期間が延びれば爪切りなんてものまで必要になる。
入院すると、病室の一角、自分に与えられたスペースに仮の住まいを作ることになるのだ。

現在の私で言えば、私が入院すると私と夫がそれぞれに暮らす場所(病室と家)を持ち、一定期間世帯が分離する。

私が(どのタイミングか忘れたが)若い頃に入院したときは、父が単身赴任中であったために、父・母ときょうだい・入院中の私と3世帯になっていた。

世帯が分離すると、お金がかかる。
それぞれの場所で「生活」しなければならないから。

入院はお金がかかる①

でも入院した人間にはお金はかからないのでは?

確かに医療費はいろいろな助成制度で随分と少なくなるかもしれない。
けれど例えば、個室に入院せざるを得ない場合、私の通う病院の個室料金は、一泊1万円~だ。
病院都合による個室入院のときは無料になるという話は聞く。
だが緊急入院時に
「大部屋が今いっぱいで…。個室料金がかかりますが了承いただけますか。なるべく早く大部屋に移動できるようにしますので」
と言われてごねることができるだろうか。

私はできない。
体がしんどい。なんとかして欲しい。入院は嫌だけど仕方ない。
え?1万円…。財布から諭吉さんが飛んでいくのが想像できる。
とはいえ救急外来の処置室のベッドで寝ているこの状態、ごねる気力はない。
わかりました、お願いしますと同意書にサインするだけだ。

個室からすぐに大部屋に移動できたとして、今度は可能な限り入院生活を快適に過ごしたいと思う。

ということで、入院中にテレビを観たい、(小さな)冷蔵庫を使いたいとなれば電気代が加算される。
システムは病院により異なる。
一日当たり数百円を徴収するところや、テレビカードを購入(1枚当たり1000円)、それを使うことでテレビ視聴や冷蔵庫の稼働が可能になるところ。

また、細かい話をすると、私は入院中ほぼ毎日飲み物のお茶やジュースを買うことになる。

私が幼いときに入院していた病院では、1日2回、大きなやかんに入ったお茶を「お茶の時間です~」と看護助手さんが運んできていた。
それを各々用意している水筒に入れるのだ。お茶を自分で用意する必要がなかった。
が、どこかの病院でそうしたやかんのお茶に異物が混入される事件が発生、以降私が入院する病院ではお茶を用意されることはなくなった。

これが意外と痛い。
比較的最近のとある入院中、私は「1日最低でも1.5リットル水分を摂取せよ」と言われていたことがあった。
500ミリリットルのペットボトル3本のお茶が毎日必要と言うことだ。

お茶は夫に箱買いしたものを持ってきてもらっていた。が、病室で与えられた空間はそれほど広くない。ダンボールごとお茶を置いておくのは無理だ。だから見舞いのたびに冷蔵庫に入る限りのお茶を持ってきてもらい、足りなければ病棟内にある自販機で買うことになった。
(私は病院内フリーではなく病棟内フリーの指示のため、院内のコンビニに買い物には行けない)

水分摂取は人間として当たり前に必要なことだ。
だから普段からお茶を買うことが習慣である人にとっては、なんてことのない額なのだろう。
けれど私の場合は、お茶は煮出すよ&急須で入れるよという生活をしているので、お茶を毎日買い続けるのがもったいなく感じる。

入院はお金がかかる②

入院中、私はパジャマを着る。
スウェットやジャージで過ごす人も中にはいるが、大体はパジャマだろう。

で、私は院内にあるコインランドリーや乾燥機を使いに行けないので、パジャマやバスタオルと言った洗濯物は夫に預けて洗濯してもらい、また持って来てもらう必要があった。
でも夫は毎日病院に来られるわけじゃない。
しかも仕事のシフトによっては、洗濯できないまま病院に来るという日もあった。

パジャマやバスタオルは何らかの処置に伴い汚れることもあり、多めに置いておかねばならない。
汚れ物をしばらく保管しなければならないことや、ストックを置く場所の都合などを考えるとストレスになる。
せめてパジャマだけでも減らしたいと、だから私は入院したらパジャマを病院で借りる(レンタル)ことにしている。

このパジャマ、以前は1日あたり80円程度で利用できていた。
ところが数年前から、今通う病院では外部業者に委託するシステムに変わった。

この業者とは病院を通じて契約する。
契約するとパジャマの他に、バスタオルやハンドタオル、ティッシュやウエットティッシュといったものまで支給される(ティッシュやウェットティッシュのような消耗品は使い切ったら新しい物を補充してくれる形)。
まあなんて親切!と思ったものの、その利用料1日あたり500円弱。

パジャマだけじゃなくバスタオルやハンドタオルまで借りられるのは助かる。非常に助かる。
何もせずとも綺麗なバスタオルが使えるなんてと、業者さんに対する感謝の気持ちだってある。
しかし、今まで80円程度だったのに突然の500円弱。
しかもよく契約書を見るとパジャマは週3組、バスタオルも週○枚までと決まっている。
…これで1日500円弱は高くない?
1ヶ月ほど入院したら、利用料ざっと15,000円。
シルクのパジャマ買えるわ!(買ったことないから知らんけど)

外部業者との契約なのでこれは実費負担。
それでも夫の来る頻度や諸々を考えて毎回レンタルしている。

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こういうことを書く私を、あなたは細かいと思うだろうか。
思うだろう。
実際、私も書きながら「ケチケチしたこと書いてるな」と感じている。ちょっと引いている。
けれど実際入院するとこうした少しずつの出費が増えるのだ。

そしてこうしたお金は、私がいわゆる健康であれば使う必要がなかったであろうお金だ。

無意味な出費だとは思わない。
私のために出て行ったお金だ。
でも必要に迫られての出費だから、有意義なお金の使い方とも言えないだろう。

このお金は、もしかしたら本当はどこか旅先で使うことができたかもしれない。
あるいは家族や友人と楽しく、ちょっと高級なランチが楽しめたかもしれないお金でもある。

家族も大変①

では家族の立場から考えてみる。

先ほど父が単身赴任中だったことがあると書いた。
単身赴任中の父が私の見舞いに頻繁に来るようになると、その交通費はかなりのものであっただろう。
そして母もほぼ毎日病院へと来てくれるから交通費がかかる。

現在であれば、夫。
夫は外食が増えて食費がかさむ。

また、夫は車で病院に来るけれど、駐車料金がかかる。
病院によっては駐車料金無料のところがあるだろうが、現在は大抵なにがしか料金が発生するだろう。
たとえば患者(ここでは私)が手術を受ける、医師による説明を受ける、退院すると言った特別な事情で家族が病院に来るときは駐車料金無料・もしくは一定料金に変更の手続きがされる場合が多い。
けれどただの「お見舞い」は適用外、実費だ。

最初こそ病院の駐車場ばかり利用していた夫、だんだんもったいなく感じたらしく、見舞いの際は病院からちょっと離れた安いパーキングに駐車するようになった。

私がとある治療を受けることになったとき、夫は病院近くのホテルに一泊した。
自宅から病院まで車で30~40分。
それでも「何かあったらすぐに駆け付ける」のは難しい。
だからいつ呼び出されても良いように、近くのホテルに宿泊した。
「病院近くのホテル」が選ぶ基準なので、ここでは値段を気にしない。
このときの私は特に問題なく経過したので、夫は一泊で済んだ。

では「すぐに駆け付けられる」状態を維持しなければならないときは?
ホテルに連泊。するしかない。
もうお金がどうのと言っている場合ではないだろう。
そんなときのために貯金しているのだ。使えば良いと夫は思うに違いないし、私もそうしてくれれば助かる。
けれども仕事を長期間休むことは難しい。

また、仮に家族がもっと遠くに離れて暮らしていたら?

家族も大変②

「ドナルドマクドナルドハウス」という施設について聞いたことがあるだろうか。
詳しいことはサイトを見てもらうとして、簡単に言えば、

自宅から遠く離れた病院に入院する(している)、疾患や障害のある子の治療に付き添う家族のための滞在施設 だ。

先ほども書いた通り、疾患や障害のある子や人が専門医に診せるため遠く離れた病院へ通うことは珍しくない。

大人の場合は一時的に離れてもなんとかなる。
けれど入院するのが小さな子の場合、そばを離れることは難しい。だから家族の生活は一変する。

入院して実際に治療を受ける子どもはA病院。
「何かあったらすぐに駆け付けられる距離」にいる必要がある親はBホテル。
入院しているきょうだいのことも心配だし、親が離れて寂しい気持ちもたくさんある、きょうだいは親戚の家のC。

家族はてんでばらばらの環境に置かれ、長期化すれば親が宿泊しているホテル代はどんどんかさんでいくだろう。

そうした家族のため、病院に近くて安価で、たまにはきょうだいも宿泊できるような施設、それがドナルドマクドナルドハウスだ。

ただこうした施設はまだまだ少ないのが現状だ。

また、病院で子どもと一緒の「付き添い入院」が可能だったとしてもこれはこれで大変だ。

付き添いが可能な病院では、子どもの病室で(主に母親が)共に寝泊まりする。
けれどもその親の食事が病院から提供されるはずはなく、付き添いの合間を縫って食事し、チャンスを見つけて入浴施設に走り、細切れの睡眠時間を見つけるような生活が続く。
当然食費や入浴代といった付き添っている間の親の生活費はかかり続ける。
ちなみにはるか30年前、私の母が付き添っていたときは、病院からボンボンベッドを借りていたので(高くはないものの)レンタル料が発生していた。

生活する上で、ある程度の出費が発生するのは当然のことだ。

ただ、選択肢がないのだ。

スーパーを見て歩いて買い物をするわけでもなく、値段を気にする暇もなくコンビニでカップ麺を買い込むこともあるだろう。
こういうホテルに泊まりたいなと宿泊予約するわけじゃない。
お洒落なショッピングモールに買い物に行くために駐車料金を払うわけでもない。
全部、なされるがままなのだ。
こうした出費があることを、たぶん多くの人が知らない。

一方で、すっかり中年になった元病児の私。
私の実家は遠い。県をいくつも跨ぐ。簡単には行き来できない。
そんな中でも私の状態があまり良くないと、両親は可能な限りこちらに来てくれようとする。
日帰り弾丸見舞いにくるときもあり、娘としてはヒヤヒヤする。
というか、日帰りが多くてハラハラする。
大きめの治療のときは宿泊したのだが、夫への気兼ねか気を遣う煩わしさか、両親はホテルに泊まった。

もう来なくて良いと言う私に両親は
「こういうことができるのも今のうちだから。もう数年したら無理だから」
と言って譲らない。

それでもこうして実際に来てくれる親がいて、夫がいて、ある程度経済力がある私は恵まれている。
頼る身内(に限る必要はないが)がおらず、全て一人で手続きや治療を行うのはなかなか大変なことだ。

急な入院であれば家に生活用品を取りに行くこともできない。
病院内で買い揃えるほかないだろう。
それも自分で買いに行けるかどうかはわからない。
お金を看護師さんや看護助手さんに預けて、
「〇〇買ってきてください」とお願いする以外に手段がないときだってある。
そこに節約と言った考えや買い物の楽しみはない。

大人になってもやはり、疾患や障害があると出費はかさむ。

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医療費を、いろいろな制度を利用して抑えてもらっている。
それは事実だ。
でも、だからと言って生活が豊かなわけではない。

そもそもそんなに弱い人間に医療費を注ぎ込むだけ無駄だ、と考えるだろうか。
…うん、そういう人は必ずいる。
では、その「弱い」基準はどこにあるのか。

そういうことに対しても想うところがある。
そしてお金にまつわることに関しても、もうちょっと書きたい。

ということで、来週に続く。

あまり本を読んで来なかった私、いただいたサポートで本を購入し、新しい世界の扉を開けたらと考えています。どうぞよろしくお願いします!