必死のパッチのスクーリング

通信制高校にはスクーリング(面接指導)がある。

*現在はいろんな通信制高校があるので、ここで紹介するのは私個人の体験(しかもだいぶ昔の出来事)で「へー、そうなんだ。こういう学び方もあるのね」と言った感じで読んでいただけると嬉しいです。

また、併せて読んでいただくと、より経緯がわかるかと思いますのでリンクをぺたり。
「高校を辞めたとき」

「もう一度、高校生」

私が編入学した通信制高校には、
「本校や協力校へ毎月1~2回の登校をする」タイプのスクーリングか、
年に一度、数日間宿泊をして学ぶ「集中スクーリング」があり、私は集中スクーリングに参加した。

集中スクーリングは夏に開催された。
このスクーリングに参加するに際して、学校側から出された条件は一つだった。

スクーリング期間中、付き添いがいること

まあ、予想していたことだったのでそれほどの驚きはなかった。
が、数日間ずっと一緒に付き添ってもらうというのはなかなかの難題だった。

家族…というか、母が付き添えば良いと思われるだろう。
でもこの頃我が家にはペットがおり、母がいなくなったらあの子が困る(ペットがかわいくて一番大事)。
なにより、この頃母の体調が優れなかった。

さてどうしたものかなと考えながらも、私はこれは良い機会だと思った。
私は家にいる。母も家にいる。
ということで、私と母は常に一緒に過ごしている状態だった。

私と母の関係は悪くはなかった。
私は母が好きだし、ひとさまから見れば良い関係が築けていたと思う。

とはいえ、ずっと一緒にいるのはなかなか精神的にしんどいときがある。
それは何も私ばかりでなく、母だってそうだろう。
離れる時間が増えるのは良いことだと思ったし、そうしたかった。


で、元に戻って「さてどうしたものか」と考える。

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このとき私が幸運だったのは、患者会を通じて病児者だけでなく、いろんな活動をしている人たちに出会っていたことだった。
病児者やその家族のために動いている人たちというのは、人脈が広い。

私はそうした人たちにこちらの事情を伝えた上で、手を貸してもらえないかダメ元で聞いてみた。

「私がスクーリングに行く期間中、一緒に同行してもらえませんか?(旅費等はもちろん私が負担します)
もしくは、そうしても構わないと言ってくださる方を紹介していただけませんか?」
と。

すると、皆とても優しくて「いいよ」と言ってくれたのだった。

でも、数日間ずっと一緒に寝泊りしてもらうのは無理がある。相手の負担が大きすぎる。

と言うことで、

1日目 Aさん
2日目 Bさん(Dさんの知り合い)
3日目 午前中Cさん(Aさんの知り合い)、午後Dさん
…といった形で同行してもらうことにした。

学校側は、同じ施設内にいるならば付き添いがずっと私のそばにいる必要はなく、ボランティアでも良いと許可してくれたので、私はスクーリング期間中の付き添いのほとんどをボランティアさんで賄うことにした。

私は(今もだけれど)幸い?なことに、どれほどしんどくなっても意識を手放すことがない。
自分で限界が来たらわかるし、救急車を手配することもできる。
そばにいてくれさえすれば、それで良かった。
付き添ってくれる人に責任を負わすつもりはない。

また、BさんCさんにはこのとき「良ければまたお願いします!」と連絡先の交換をさせてもらった。
次のスクーリングで(先方の都合がつけば)もう一度同行してもらうことができたし、ときには誰かを紹介してもらうこともあった。人を介しつつ、少しずつ繋がりが増えていくのも嬉しかった。

集中スクーリングの会場となるのはユースホステルのような施設だった。

私は付き添いとの2人部屋にしてもらっていたが、他の子たちは数名ずつのグループに分けられ寝泊まりしていた。
寝泊まりするその時間でお互いに親しくなるのだろうから、そこに参加できないのは残念ではあった。
でもこういう「私だけ別」というのは様々な場で経験済みだったし、スクーリングに参加している学生の中で私が一番年上だったから、10代後半が中心の集団に飛び込むのは気が引けた。正直、2人部屋にホッとした気持ちもあった(風呂が部屋についていたのも助かった)。

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そう、私は学生の中で一番の年上だった。

通信制だといろんな世代が学んでいると聞いたことがあり、どんな人がいるのかなと思って参加したものの、蓋を開ければ(詳しく聞いたことはなかったけれど)ほとんどが10代後半~20代の子たちだった。

うう、キラキラしてる…。
彼らを見て私はそう思った。

長らく家で過ごしていた私、患者会の集まりに参加しているとはいえ、それは心疾患の人同士の集まりでいわば「ホーム」。
この、久々の「アウェー」感。
しかも長年使っていないせいで、すっかり錆びついてしまったコミュニケーション能力。にこにこ飛び込んでいく勇気がない。

けれどなんてことはない、彼らとはそれなりに話ができた。

というよりも、彼らはそれぞれに何らかの事情があり、だからあえて私に何かを聞いてくることもなく、また私が彼らに何かを聞くこともなかった。
話がしたいときはして、静かにしていたいときはそうしていた。
他人に興味がないわけではない(そういう子もいたかもしれないけど)、他人との距離を保っていたい子が多かったのかもしれない。

元はやんちゃだったであろうKくんは、一目見てわかるくらいに大きな傷が頭にあった。事故を起こしたようだった。
「覚えてもすぐ忘れてしまう」
と言っていて、高次機能障害だったのではないかと今は思っている。

すごくお洒落で綺麗なSさんは、最初出会ったときは一人だったが次に会うとお腹が膨らんでおり、赤ちゃんを授かっていた。
で、次に会ったらもう生まれていた(笑)。
「かわいいでしょ」と携帯に保存された赤ちゃんの写真を見せてくれたときはたまげた。
この頃の私はすでに自分が妊娠・出産は無理だろうと自覚していた。
羨ましい気持ちもあったけどそれよりも、いわゆる健康な人でも赤ちゃんを産むことはとても大変だろうに、これほどたやすく妊娠出産できる人がいることに驚いた。


とてもまじめそうに見える子たちもいた。
もしかしたら学校に馴染めなかったのかもしれない。
…と、こう思うのは私の先入観であり、もしかしたら何かしら疾患があったのかもしれないわけで、結局のところなぜ通信制高校を選んだのかはわからない。

それぞれが何かしらの事情を抱えていて、そして通信制高校という場を選んで勉強をしている。
私は若い彼らのことをただただすごいなと思っていた。
いや、年齢なんて関係ない。彼らは…そして遅ればせながら私も、少しずつ道を切り拓こうとしていたのだと思う。

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スクーリング期間中、日ごと(場合によっては午前午後で)ボランティアさんが入れ替わるというのは、初めての経験だった。

というか、それまで友人と「〇〇旅行」と言ったものに行ったことがない私、なかなか緊張した。
そもそも一緒に宿泊なんて、見知った相手であっても気を遣うものだ。
どっこい初対面の人と「初めまして、今日はよろしくお願いします」と一緒に同じ部屋に泊まってもらうなんて、我ながらよくやったなと思う。

ときには予定していた人が体調不良で来られず、急遽いろんな人に連絡しまくって、友だちの友だちの友だちは友だちだよって感じの、もう繋がりがあるんだかないんだかわからない人に入ってもらうこともあった。

とにかく必死だった。
普段「絶対」という言葉は使わないようにしているけれど(世の中に絶対はないと思っているので)、このときばかりは「絶対卒業する」と思っていた。
その気持ちだけで頑張ったのかもしれない。

ボランティアとして入ってくれた人たちには感謝しかない。

いくら宿泊費を私が負担すると言っても、その人の貴重な時間を貸してもらうのだ。
私の施設内移動の際には(たくさん歩くのは負担が大きいため)車いすを押してもらうが、お願いすることと言ってもそのくらいしかなく、しかし施設から出るわけにはいかないので、時間を潰すのが大変だったろうと想像している(ボラさんの多くが大学生だったので、本を読んだりノートパソコンを開いて課題に取り組んだりしていたけれど)。

ボランティアの彼らなくして私が高校を卒業することはなかった。
本当にありがたかった。

同時に、疾患や障害がある人間が「一人きりで」学生生活を送ることの難しさを改めて感じた。周囲の支えなくして勉強はできないのだ。

これは現在の疾患や障害のある子どもたちも同じなのだろうか。
それとも、遠隔授業などインターネットを使うことで一人でできることが増えているのだろうか。
現代のいろんな文明の利器を駆使することができているだろうか。
そうだと良いなと思う。

そんなこんなでスクーリングは、勉強もするにはするけれど、とにかく他の学生さんたちと集団生活を恙なく過ごすこと、これが最大の目的となっていた。

家庭科になるのかなんなのか、みんなでカレーを作ることもあった。
最年長ということで張り切ってしまい、任されるままに野菜を切りまくったことは反省している。
いやほんとに、包丁を握ったこともない子たちに譲るべきだった…。

体育の授業は私はもちろん見学だけれど、単位取得のための措置はすでに用意されてあり(いろんな子が通信制高校に通っているのだから、学校側にもノウハウが存在していたのだろう)、特に揉めることも、相談することさえなかった。

そういえば体育の授業の後、体育の先生が近寄ってきたときに「なんか先生臭い」と思ったら、周りの子に「先生、犬のう〇こ踏んでる」と指摘されていたのは心温まる(?)思い出だ。

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二年だ。
予定通り、二年で私は無事高校を卒業できた。
間で体調を大きく崩すこともなかった。

卒業できたときは本当に嬉しかった。
私は最終学歴が中卒から高卒になった。
中卒が悪いのではない、でも私は高校を中退した人間だ。
高校を卒業したことで初めて、他の同世代の子たちに少し追いついた気がした。

私、高校卒業できたよ!

そして欲が出た私はまだ学びたいと思い…通信制の大学へと進学したのだった。
(この話はまたそのうちに)

あまり本を読んで来なかった私、いただいたサポートで本を購入し、新しい世界の扉を開けたらと考えています。どうぞよろしくお願いします!