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正確な記録より、その日の感情を積み重ねたい

約40年前にできたデジタルカメラの画素数は25万画素程度だったらしい。
最近発売されたiPhone15の画素数は4,800万画素。200倍近い進歩があった。

昔、特別感のあった写真はいつも手の届くところにあり、際限なく記録できるようになった。いつ撮ったかわからないスクリーンショットも、見返すことのない料理の写真も、大切な思い出も、混ざり合ってカメラロールに記録されていく。

何でも、どこでも、いつでも、手軽に。
写真は昔よりも遥かに綺麗に撮れるようになったし、便利になった。でも、手軽さと引き換えに大切なことを失ったのかもしれない。
思い出にしたい、その一瞬、その出来事を選りすぐることや、
その瞬間や出来事を、大切な思い出として積み重ねることが重要なことのように思う。

カメラの画素数の向上によって出来事を精細に記録できるようになった。でも際限なく撮れるがゆえに、大切なものとそうじゃないものがわからなくなってしまう。写真を撮る行為が特別じゃなくなった分だけ、振り返るという行為は薄れてしまう。

そうした記録的な行為以上に、その出来事が人生にとって大切な思い出や記憶として積み重ねられていくことのほうが遥かに重要なことなのかもしれない。

何となく過ぎる日々の出来事をしっかりと噛み締めておきたい。
自分が何に心が動くのかを知っておきたい。

そんな想いから、PaperShootというカメラを買ってみた。

このカメラは、
・背面液晶がなく撮影した写真の出来上がりをすぐに確認できない。
・ファインダーがただの穴なので想定外の構図に仕上がる。
・材質は紙でできており耐久性はまさに紙装甲レベルのカメラ。

でも、
・すぐに確認できないし仕上がりがわからないからこそ、見返す楽しさがある。
・想定外に仕上がるからこそ、面白い。
・紙装甲だから、60gでいつでも持ち運べるほど軽い。

そして何よりも、
その撮りたい、残しておきたいと感じた感情をそのまま思い出にしておけるような写真に仕上がる。高画質で精細な写真ではないけれど、その瞬間や感情や、空気全体を表現するような写真になる。

公式HPより引用

自然とそのときの記憶や感情が蘇ったり、そのことを話したくなるような不思議な写真が撮れる。

これだけ便利な世の中になったのに若者が写ルンですに惹かれるのと同じように、人は不便で不自由で非合理的なものに感情が突き動かされる。それは完璧じゃないがゆえに、人が関与する余白があるからなのかもしれない。

初めから完璧で、誰でも同じで、いつでも手に入るものは便利だけど特別じゃない。それは写真に限らず、大量生産された衣服や家具、食、あらゆる量産的なものに愛着を持つことができないのと同じことのように思う。
安くて何でも手に入ることは、便利だけれども大切なことが抜け落ちてしまう。本当はすでに十分なのに、不必要だったものを必要だと勘違いしてしまいそうになる。
必要以上に増やすよりも、自分にとって大切な1つのものを大切にし続けるほうが人生にとっては大事なことかもしれない。

だから、いつも自分にとって本当に必要なもの、大切でお気に入りのものを見定めることを忘れないようにしたい。



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