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<たまむすび>終了に際して

<たまむすび>終了の知らせは私に大きな衝撃を与えた。

2015年から、仕事の移動中にタイムフリーでなんとなく聞き始めた<たまむすび>は、今やなんとなくではなく、私の欠かせない生活の一部として存在している。

アイドルや、歌手のコンサートなどの類に、これまで大きな情熱を注いだ経験がない私にとって日本武道館とは縁遠いところであったが、昨年9月に<大収穫祭>と題した、番組10周年イベントで初めて足を運ぶことになった。
しかも、北海道から。
イベントだけのために。
自分でも、驚いた。
何に驚いたかというと、自分自身がこんなにも<たまむすび>を【好き】だということに無自覚であったことにである。

よく、番組内でも<たまむすび>リスナーは、あまり表立って「聞いてます!」という人は少ないとは聞いていたが、確かに私自身も、長年聴いている番組を誰かに話した記憶があまりない。
誰かに話したこともなければ、自分自身の中でも【好き】という自覚も薄いけれども、無くてはならない生活の一部として間違いなく存在している。例えるなら、ドキドキするような恋人との関係ではなく、いつも顔を合わせて安心できるような家族や親族のような関係なのかもしれない。
だから、私にとって10周年イベントの参加は、推しのコンサートというよりは、家族や親族の結婚式や法事のような感覚に近かったのかもしれない。
だから、もちろん楽しかったし、思いっきり楽しんだのだが、イベントが大成功に終わって、勝手に安心している自分もいる。いちリスナーが、大人気番組対しておこがましくもあるのだろうが、そんな感想を持った参加者やリスナーさんが私以外にもいるのだろうと想像している。
そして、この勝手に心配してしまい、放っておけない気持ちにさせる事が<たまむすび>の魅力であり、メインパーソナリティである赤江さんの魅力ではないかと思っている。

今だに<春風亭一之輔>さんをまともに紹介できないような隙を見せ、ポンコツと呼ばれ戯けながら明るく振る舞っているが、共演者、スタッフ、リスナーにはいつも愛を持って真摯な姿勢で向き合っている赤江さん。
社会的不条理に対してはキャスターな一面を出し、芯のある主張をするけれども、一方で誰に対しても気取らず、喜怒哀楽を自然に表現できる赤江さんがみんな愛おしく感じるのだと思う。

放送終了の知らせを聴いて、改めて私と<たまむすび>との関係について振り返る。

お尻の話と政治的な話を同じ情熱で話す町山さんの映画コーナー。
この数年、見る映画のほとんどは町山さんが紹介してくれる映画だった。

様々なコーナーに出てくるゲストの書籍をAmazonでポチることもしばしば。
活明論文(コラッツ予想の「謎」の探求)も、もちろん購入。

竹山(ちくざん)先生があまりにも絶賛するので、夏のTシャツはジムマスターが増えた。

新しい物好きのレオレオの影響でメタクエストも購入した。

ゴシップ好きな山ちゃんが、ボタニーになる過程を毎週火曜、定点観測し、大吉先生のM1解説にお笑いの奥深さを知る。

エリツィンの底抜けの明るさに元気をもらい、小田嶋おじさんには、多くの気づきを頂いた。

一番好きだった木曜の瀧鬼がいなくなった時は心を痛め、
ナタリーが去った時、玉さんが流した中島みゆきの「時代」を聴いて涙した。

どんな理由であろうが、長年聴いていた番組が終了するのは寂しい。
ただ、多くの<たまむすび>ファミリーは、家長である赤江さんの判断をしっかりと受け止め、今までの放送に心から感謝して、この<たまむすび>家を旅立つのだろう。

「3秒前は過去」という、<たまむすび>家の家訓を胸に、
過去に囚われず、前をしっかり見て一歩ずつ進めば、
自分にとって、新たな<たまむすび>のような素敵な出会いがあると信じて。

長年、私の生活に彩りを与えてくれた素敵な番組に感謝を込めて。

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