見出し画像

遭難して気がついたこと

新型コロナウイルスによる影響で今年予定されていたイベントはことごとく中止となり、3月から5月までの休日は家で静かに過ごしていた。
緊急事態宣言があけた6月初旬、札幌でも少しずつではあるが、日常を取り戻すかのように、人々たちが行動しはじめた。
そんな中、札幌市内にある手稲山へと単身出かけた。

朝8時前に登山口を出発して順調に登山を進める中、中腹を過ぎたガレ場のあたりで道を誤ったのに気がついた。手稲山に登ったことがある方が聞いたら、「どこで迷うのか?」と疑問に思われるかもしれない。ましてや自分自身、手稲山にはこれまで同じルートで二度登頂している。
だから、何故かはよくわからないが、少し速いスピードでガレ場を無心で登っていたら、コースから外れていた。

道を誤ったのなら、来た道を正規のコースまで戻るのが登山の鉄則である。しかしこの時、私はそれをしなかった。
地図を見て「直進すれば登山道にぶつかるだろう」と、しばらく藪漕ぎをして進んだ。
昨年、年間で十数名ほどの登頂しか許さない秘境の山<知床岳>に、仲間と登頂した自信が、自分を誤った判断へと導いたのかもしれない。
しばらくしても登山道にはぶつからず、藪の深みがいっそう増してきた。「やはり引き返そう」と思ったのだが、鬱蒼とした藪に視界が開けず、下るべき方向すら定められずにいた。「これはまずい」とこの時に初めて焦りを感じた。しばらく思慮した結果、山頂付近まで来ているのは間違いないのだから、とりあえず上を目指して進むことにした。しかし、1時間以上、登っても視界は開けず、やがていろんな事を想像しながら自分自身に対する愚かさ、情けなさ、そしてたくさんの不安が全身を覆い被さっていた。

半日ほどの登山を予定していたため軽装なうえ、下は短パン姿で肌を露出していた為、藪漕ぎして撓った枝々が容赦なく両足を打ちつけてくる。スマートフォンは圏外でどこにも連絡できず、GPSを使って現在地の確認すらできずにいた。まさに満身創痍の中、微かに他の登山者の熊鈴が聞こえてきた。耳を研ぎ澄まして、方向を確認しながら、しばらく進むと無事に登山道に出ることができた。出てきた登山道は山頂付近だったが、山頂には向かわずそのまま下山をした。

画像1

下山中、登ってくる30代くらいの登山者に山頂まではあとどれくらいなのかと聞かれ、ポケットから地図を取り出して、距離的にはあと半分も無いが、もうすぐ傾斜がきつくなることを伝えた。その後、また下山を続けたが、ふと先ほどの登山者が気になり、下山してきた道を再び登り追いかけた。しばらくしてその登山者に追いつき、ザックにしまってあった予備のペットボトルの水500mlを差し出した。彼女は息が上がり、汗もかいているが、飲料水も持たず丸腰だったのだ。「この先気を付けてください」とその場を離れ下山したが、さっきまで泣きべそかいてた奴がよく言うよと、自分自身に呆れていた。

ログによると、登山道から外れていた時間は1時間半ほどであった。しかし、その時間は体感的にはそれ以上に長く、憂鬱なもとして刻まれた。
下山して、道を見失い遭難していた時に感じた憂鬱はいったいなんだったのかを考えた。それは、体力的な厳しさからくるような苦しみや悲壮感というものではなかった。進むべき道が解らず、不安の中で歩みを進めなければいけない状況。自分が行くべきゴールが見えないことに対するものであった。四方を藪に囲まれた中、血を流しながら進むその一歩が実は山頂から遠ざかっているかと思う不安が、精神を追い詰めてくる。札幌市内にある手稲山の山頂付近の狭い範囲の中で、自分はその不安に駆られていた。ふと実生活に置き換えて考えてみた。
<芸術は長く、人生は短い>とヒッポクラテスは言った。長い年月をかけて培ってきた芸術に比べば、人ひとりの人生はとても短く感じるだろう。
今年39歳を迎え、人並み程度の人生を歩んでいるだろうと感じている私自身の人生は確かに芸術に比べれば短いものなのかもしれない。しかし、そんな私の人生でも登山よりは長く、広いのではないだろうか。

そして、ふとこう思う。
はたして自分は自分の人生という道で、進むべき方向をしっかり定めることができているのだろうかと。
猛威を振るう新型コロナウイルスの影響は仕事でも大きな影響を受けている。今月、立ち上げから携わっていた福祉事業を閉鎖することにもなった。大変な時だからこそ、無心で進み続けるのだが、そんな時ほど、顔を上げ、自らの進む道が正しいのか、辺りを見渡すことも必要なのだろう。

今回の登山での経験が、そんな事を考えるきっかけを与えてくれた。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?